土屋氏
「軽井沢の北」から『北軽井沢』へ
「北軽井沢って、群馬県にあるのですね!」。何年か前に、そう言われたことがある。
軽井沢町は長野県にあり、旧軽井沢、中軽井沢、南軽井沢などの地区がある。そのため北軽井沢も軽井沢町、あるいは長野県にあると思われても不思議ではない。しかし、北軽井沢は群馬県長野原町にあり、軽井沢から17キロ離れた浅間山北麓に広がる高原である。さて、この地が「北軽井沢」と呼ばれるようになったのはなぜだろう?
そのルーツには二つの流れがある。一つは1918(大正7)年に草軽電気鉄道の地蔵川駅が開業し、後に「北軽井沢駅」と改称され、周辺が北軽井沢と呼ばれたこと。
もう一つは、大正末期から昭和初期に大学関係者による別荘分譲が始まり、避暑に訪れる文化人や住民の間に「北軽井沢」の名としての地名が広く定着したことである。
なぜ、北軽井沢は知識人や文化人に選ばれたのだろうか。大正の末ごろは、浅間山の噴火による影響で厳しい荒涼とした土地であった。しかしながら、景色は雄大で、浅間山が一望でき、風光明媚な未開拓の土地であった。夏の涼しさや静かな環境もあり、学問研究や思索、体養に適した土地だったのかもしれない。例えば、昭和3年に開村した「大学村」は、多くの文化人が山荘をかまえる別荘地となった。2028年に開村100周年を迎える大学村の歴史は、北軽井沢の歴史を象徴するものの一つである。
戦後になると、開拓団による努力のもと、酪農、高原野菜の一大産地となった。また、観光開発によって、ゴルフ場やホテル・ペンションのある高原リゾート地になった。近年はキャンプ場をはじめとするアウトドアの聖地として、新たな人々を引き付けている。
こうした1世紀にわたる歩みの中で、北軽井沢は「軽井沢の北」という位置を示す名前から、独自の自然、文化、暮らしを持つ「北軽井沢」という固有の地域へと育ってきた。軽井沢と草津温泉という二大観光地の中間に位置する北軽井沢は、単なる通過地点でなく、思わず立ち止まって深呼吸したくなる場所でもある。北軽井沢観光協会の役割はこの土地が本来持つ価値、可能性を見つめ直し、その良さを最大限引き出していくことにあるのではないだろうか。
次の100年、「まずは北軽井沢へ行って、ゆっくりしてから軽井沢や草津温泉に行こうか」。そんな会話がなされる地域を目指していきたい。

土屋氏




