北村氏
(1)はじめに
私は、旅館を日本の宝だと信じています。和室、温泉、季節の料理、しつらえ、女将や仲居の心づかい。これらは、地球上のどこにでもある宿泊機能ではありません。長い時間をかけて磨かれてきた、日本固有の文化資産です。
しかし、宝であるだけでは、現代の事業として十分に成立しません。宝を、現代の旅人が理解し、選び、利用しやすい形にして差し出すこと。そこに、これからの旅館業界に求められる重要な仕事があります。
本稿では、訪日インバウンドにおける家族・グループ旅行の需要構造を数値で整理し、その中で旅館がどのような役割を担い得るかを考えます。
ただし、最初に明確にしておきたいことがあります。旅館は、都市型アパートメントホテルの単純な代替ではありません。アパートメントホテルの大きな強みは、広い客室だけでなく、都市の交通拠点に近く、そこをベースキャンプとして観光、買物、飲食、移動を自由に組み立てられる点にあります。
一方、多くの旅館は、温泉地、海辺、山間、里山、郊外の観光地などに立地しています。都市中心部の交通拠点性では、旅館はアパートメントホテルと同じ土俵に立つべきではありません。
旅館が担うべきなのは、都市滞在の拠点需要そのものではなく、その旅程の中に組み込まれる「目的滞在」です。家族やグループが同じ空間で過ごしながら、食、湯、地域文化、人の温度を体験する滞在です。
本稿は、旅館を情緒だけで語るものではありません。市場の変化を読み、旅館の本質を守りながら、現代の需要にどう接続していくかという、これからの旅館経営に向けた戦略提言です。
(2)市場の現実――数字で見える、家族・グループ滞在需要
訪日客の旅行形態を見ると、家族・親族、友人、グループで訪れる層は大きな存在感を持っています。単身旅行や夫婦旅行だけでなく、複数人で同じ時間を過ごし、できれば同じ空間に滞在したいという需要は、今後さらに強まっていくと考えられます。
この層が求めているものの一つが、家族やグループで一つの広い空間に泊まり、数日間その場所を拠点として動き回る滞在です。従来型のホテル客室を2部屋、3部屋に分けて利用するのではなく、同じ部屋、または同じ住戸的空間で過ごしたいという需要です。
これに応える形で、近年存在感を高めているのが、アパートメントホテル型の宿泊施設です。
ただし、アパートメントホテル型需要の本質は、単に「広い客室」にあるわけではありません。多くの場合、その強みは、都市の交通拠点に近く、そこを拠点として観光、買物、飲食、移動を自由に組み立てられることにあります。つまり、アパートメントホテルは、広い宿泊空間であると同時に、都市滞在のベースキャンプでもあるのです。
この点を見落として、旅館がアパートメントホテル需要をそのまま代替できると考えるのは適切ではありません。旅館が接続すべきなのは、アパートメントホテル型需要の中に含まれる「広い空間」「同室滞在」「家族・グループ利用」「連泊志向」という要素です。そして、そのうち旅館だからこそ高付加価値化できる部分、すなわち温泉、料理、しつらえ、地域文化、人のサービスを求める目的滞在型の需要です。
では、この家族・グループ向けの広い滞在需要は、どれほどの規模を持ち得るのでしょうか。ここでは、客室数ベースで試算します。
必要客室数を考える際には、訪日客数、家族・グループ客比率、平均泊数、アパートメントホテル型ニーズ発生率、1室あたりの平均宿泊人数、目標稼働率を組み合わせることで、おおよその必要客室数を推計できます。
式で表すと、次のようになります。
必要客室数=(訪日客数 × 家族・グループ客比率 × 平均泊数 × アパートメントホテル型ニーズ発生率)÷(平均グループ人数 × 365日 × 目標稼働率)
ここでは、将来的な訪日インバウンド数を6,000万人と想定します。そのうえで、家族・グループ客比率を55%、平均泊数を8泊、アパートメントホテル型ニーズ発生率を25%、1室あたりの平均宿泊人数を3人、目標稼働率を75%と置きます。
ここでいうアパートメントホテル型ニーズ発生率とは、実際にアパートメントホテルを予約した人の割合ではありません。現在の供給量が限られている以上、宿泊実績だけを見ても潜在需要は十分に把握できません。供給が少なければ、その需要は通常ホテルの複数室利用、民泊、親族宅、旅行日程の変更、あるいは宿泊先選択の妥協として吸収されてしまうからです。
本稿では、アパートメントホテル型ニーズを、「家族・グループで旅行し、複数泊し、同じ空間で過ごすことに価値を感じ、かつ通常の単室ホテルでは満たしにくい滞在需要」と定義します。
この需要を定量化する際には、需要側の条件だけでなく、供給側の制約も見る必要があります。東京のような大都市のホテル市場では、1名または2名利用を前提としたシングル、ダブル、ツインが客室構成の中心になりやすく、3名以上が同じ客室で無理なく滞在できる客室は、特定の客室タイプに限られます。
つまり、3名以上で同室滞在したい家族・グループ客は、一般ホテルの標準客室だけでは受け止めにくい需要を持っていると考えられます。この需要は、トリプルルーム、コネクティングルーム、ファミリールーム、アパートメントホテル、民泊、そして一部の旅館的空間へ流れやすい性質を持っています。
ここで、民泊との関係も整理しておく必要があります。家族・グループで広い空間に泊まりたい需要の一部は、実際には民泊にも流れています。民泊は、広さ、キッチン、洗濯機、複数人利用という点で、アパートメントホテル型ニーズの一部を受け止めています。
しかし、本稿が対象とするのは、民泊を含む住戸型滞在需要全体ではありません。本稿でいうアパートメントホテル型ニーズとは、家族・グループ客のうち、広い空間、同室滞在、連泊、簡易な住戸機能を求めながらも、フロント機能、清掃品質、法令上の安定性、決済・予約の透明性、緊急時対応、対人サービスを重視する層の需要です。
この点で、旅館は民泊とは異なる位置にあります。旅館は、複数人が同じ空間で過ごせる柔軟性を持ちながら、食事、入浴、寝具、接客、地域文化の案内といった有人サービスを提供できます。したがって、本稿の試算は、民泊が吸収する需要を旅館需要としてそのまま数えるものではありません。民泊では満たしにくい、管理された広域・同室滞在需要のうち、旅館が高付加価値に担い得る対象市場を考えるものです。
この考え方に基づき、本稿ではアパートメントホテル型ニーズ発生率を、低位15%、中位25%、高位35%の3段階で設定します。中位25%は、家族・グループ客のうち、おおむね4分の1がこうした条件に該当すると見るものです。これは確定的な実績値ではなく、需要条件と供給制約の双方から潜在需要を推計するための戦略上の仮定です。
この前提に基づくと、必要客室数は、低位15%で約4.8万室、中位25%で約8.0万室、高位35%で約11.3万室となります。
本稿では、このうち約8万室を、6,000万人時代に視野に入れるべき中位シナリオとして扱います。これは、家族・グループ向け宿泊需要の上限ではありません。条件次第では10万〜12万室規模へ拡大しても不思議ではない需要の、中心的な目安です。
ただし、この約8万室の需要すべてが、旅館の対象市場になるわけではありません。その多くは、都市中心部を拠点として動きたい旅行者の需要であり、アパートメントホテルや都市型ホテルが引き続き主たる受け皿になります。
旅館が担うべきなのは、その中の一部です。すなわち、家族・グループで同じ空間に滞在しながら、日本らしい食、温泉、地域文化、人のサービスを体験したい層です。したがって、旅館の可能性は、8万室全体を代替することにあるのではありません。その一部を、高付加価値な目的滞在へ転換することにあります。
この整理が、本稿の最も重要な前提です。
(3)旅館が持つ、世界に通じる固有の競争力
ここで、旅館の本来の姿に立ち戻ってみたいと思います。
和室は、もともと複数人が同じ空間で過ごし、布団を並べて眠ることができる柔軟な客室です。これは、アパートメントホテルが現在提供しようとしている「家族やグループが一つの空間で過ごす」という滞在形態を、日本の旅館が昔から実現してきたことを意味します。
さらに重要なのは、旅館は収容人数の面でも、パーソナルサービスの面でも、家族・グループ滞在のニーズに本来的に合致しているということです。和室は、1室で複数人が無理なく過ごせる柔軟性を持ち、家族やグループが同じ空間で時間を共有することに適しています。
加えて、旅館には女将や仲居をはじめとする人のサービスがあります。食事、寝具、入浴、滞在中の細かな不安に対して、人が寄り添う仕組みがあります。ロケーション、すなわち都市中心部からの距離という条件をいったん考慮外にすれば、旅館は空間構成、収容人数、人的サービスのいずれにおいても、家族・グループの同室滞在ニーズと高い親和性を持っています。
しかも旅館には、単なる広さだけではない価値があります。温泉、季節の料理、しつらえ、畳の感触、浴衣、床の間、庭、女将や仲居の人の温度。これらは、設備や面積だけで勝負する宿泊施設では簡単に再現できないものです。
一方で、旅館には旅館ならではの構造的な弱みもあります。都市型ホテルやアパートメントホテルに比べて、1施設あたりの客室数が少ない場合が多く、規模の経済が働きにくいことです。さらに、多くの旅館では料理人が常駐し、夕食・朝食を提供することを前提に、人員配置、仕入れ、原価、厨房設備が組まれています。
したがって、単純に素泊まり需要や低単価の連泊需要を取り込むだけでは、十分な利益を確保しにくいという現実があります。
ここを見誤ってはいけません。旅館は、アパートメントホテルの需要に近づけばよい、という単純な話ではありません。旅館が取り込むべきなのは、「安く長く泊まる需要」ではなく、「家族やグループで同じ空間に滞在しながら、食事、温泉、接客、地域文化を含めて体験したい需要」です。
つまり、旅館はアパートメントホテルの代替ではありません。アパートメントホテル型需要のうち、旅館だからこそ高付加価値化できる部分を取り込むべきなのです。
訪日客が本当に求めているものは、便利さだけではありません。もちろん、分かりやすさ、予約のしやすさ、決済のしやすさは必要です。しかし、その先にあるのは、その土地でしか味わえない深い時間です。旅館には、その時間を提供する力があります。
旅館の価値が足りないのではありません。届け方と収益設計が、現代の旅行者の行動様式と十分に接続されていないのです。
(4)旅館が直面する現実的な障壁
旅館の価値が訪日客に届きにくくなっている理由は、大きく6つあります。
1つ目に、都市交通拠点性の弱さです。これは最も重要です。アパートメントホテルは、都市の駅、繁華街、観光導線、空港アクセスに近い場所で強みを発揮します。一方、多くの旅館は、温泉地、海辺、山間、里山、郊外の観光地に立地しています。大きな荷物を持った家族・グループ客にとって、二次交通の不安は大きな障壁になります。
2つ目に、自由度の不足です。チェックイン時間が遅い、チェックアウト時間が早い、夕食時間が固定されている。こうした運営は、旅館らしさを支える一方で、海外から来る家族旅行客の自由な行動リズムとは合わない場合があります。
3つ目に、1泊2食を前提とした価格体系です。旅館の料理は大きな魅力ですが、家族4人、5人で宿泊する場合、1泊2食の人数課金では総額が大きくなります。素泊まり、1泊朝食、夕食選択制などの柔軟な選択肢が限られていると、比較検討の段階で選ばれにくくなります。
4つ目に、連泊の魅力不足です。旅館は1泊で完結する商品として設計されてきた面があります。しかし、訪日客、とりわけ家族・グループ客は連泊需要を持っています。2泊目以降の過ごし方、食事の変化、地域体験の提案が弱いと、連泊先として選ばれにくくなります。
5つ目に、多言語と決済への対応です。海外OTAへの掲載、英語や中国語での案内、海外クレジットカード決済、事前決済への対応が十分でなければ、そもそも予約の入口に立てません。これは旅館の本質とは別の、接続の問題です。
6つ目に、旅館側の収益構造です。旅館は、客室数が少なく、人員配置も厚い宿泊形態です。料理人、仲居、清掃、布団敷き、温泉管理、送迎など、多くの人の手によって成り立っています。したがって、客室単価を下げ、素泊まりだけで回転させるような発想では、旅館の経営は成り立ちにくくなります。
これらの障壁は、旅館の価値が低いから生じているのではありません。むしろ、旅館の価値を現代の旅行市場に接続するための翻訳が、まだ十分に整っていないことから生じています。
旅館が目指すべき方向は、アパートメントホテルと同じ土俵で価格競争をすることではありません。家族・グループの同室滞在需要を入口にしながら、そこに料理、温泉、接客、地域体験を組み合わせ、滞在全体の価値を高めることです。旅館は「安価な広い部屋」ではなく、「人と文化が伴う広い滞在空間」として市場に接続されるべきです。
(5)旅館の潜在力を掘り起こす7つの施策
では、旅館は何を変えればよいのでしょうか。重要なのは、旅館の本質を変えることではありません。変えるべきは、現代の旅行者に届くための仕組みです。
1つ目に、都市拠点との連携です。これは最も重要です。旅館が都市型アパートメントホテルと同じ役割を担う必要はありません。むしろ、都市型アパートメントホテルや都心ホテルを交通、買物、観光の拠点とし、その旅程の中に旅館での1泊または2泊を組み込む設計が現実的です。
訪日客は都心で荷物を預け、身軽になって温泉地や里山の旅館へ向かう。都心ホテル、アパートメントホテル、旅行会社、地域交通、荷物配送会社が連携し、旅館への移動を旅程の中に組み込む。旅館側は、都市拠点の利便性と競争するのではなく、都市では得られない食、湯、しつらえ、人の温度を提供する。この役割分担こそが、旅館の潜在力を現実の需要へ変える鍵になります。
2つ目に、客室の柔軟な組み替えです。全室を変える必要はありません。全客室の一部を家族・グループ向けに再設計するだけでも、市場への対応力は高まります。和室2間続きの活用、ベッド対応、洗面・トイレの使いやすさ改善、簡易な冷蔵・飲食スペースの整備など、既存建物を活かした部分転換で十分に可能性があります。
ただし、客室を組み替える際にも、旅館の収益構造を踏まえる必要があります。広い部屋を低単価で長く貸すだけでは、料理人や接客人員を抱える旅館の固定費を吸収しにくくなります。家族・グループ向け客室は、単に人数を収容する部屋ではなく、食事、温泉、地域体験、送迎、館内サービスを組み合わせた高付加価値客室として設計することが重要です。
3つ目に、料金体系の柔軟化です。素泊まり、1泊朝食、1泊2食を選べるようにすることは有効です。ただし、これは旅館を低単価宿泊に寄せるという意味ではありません。旅館は料理人や接客人員を抱えるため、素泊まりだけでは十分な利益を出しにくい構造を持っています。したがって、素泊まりや1泊朝食は、価格を下げるためのプランではなく、連泊中の選択肢を広げるための入口として位置づけるべきです。
たとえば、1泊目は旅館の夕食を楽しみ、2泊目は地域の飲食店と連携する。あるいは、朝食、温泉、体験、送迎を組み合わせる。さらに、家族・グループ向けには1室定額に近い考え方や、連泊割引を導入する。重要なのは、宿泊単価を下げることではなく、滞在価値全体で収益を設計することです。
4つ目に、連泊価値の設計です。1泊で完結する旅館から、滞在を深める旅館へと商品の見せ方を変えていく必要があります。2泊目は地域の食事処と組み合わせる。街歩きや朝市、工芸、農業、料理、温泉街散策などの体験を提案する。旅館の中だけで完結させるのではなく、地域全体を滞在価値に変えていくことが重要です。
ここでも、料理人が常駐している旅館の強みを活かすべきです。毎日同じ会席を提供するのではなく、1泊目は旅館の本格的な夕食、2泊目は軽めの郷土料理、3泊目は地域飲食店との連携など、食の濃淡を設計する。これにより、料理人の価値を守りながら、連泊客の負担感を下げることができます。
5つ目に、多言語と決済の現代化です。完璧な外国語対応を目指す必要はありません。タブレット翻訳、定型案内、QRコードによる館内説明、多言語FAQ、事前決済、海外カード対応など、現在は小規模な投資で大きく改善できる手段が増えています。これらは旅館らしさを損なうものではなく、旅館にたどり着いてもらうための入口整備です。
6つ目に、業界連携と認証です。個別の旅館が単独で全てを整えるのは簡単ではありません。業界団体、地域DMO、認証制度、宿泊関連企業が連携し、共通のプラットフォームをつくることが重要です。多言語対応、決済、品質基準、都心ホテルとの連携、荷物配送、二次交通の手配。これらを共通化すれば、小規模旅館でも世界市場に接続しやすくなります。
7つ目に、旅館の本質を守ることです。これが最も大切です。新しい市場に合わせるあまり、旅館の心を失ってはいけません。和室、温泉、季節の料理、しつらえ、女将や仲居の心づかい。これらは、変えるべきものではありません。変えるべきは届け方であって、旅館の本質ではないのです。
旅館は、素泊まり専用の大部屋施設になる必要はありません。むしろ、そうなってしまえば、旅館の価値は薄まります。旅館が担うべきなのは、アパートメントホテル型需要のうち、文化、料理、温泉、人のサービスによって高付加価値化できる部分です。ここにこそ、旅館が市場で存在感を示す道があります。
(6)旅館ストックの意味をどう考えるか
ここで、再び数字に戻ります。
6,000万人時代に、家族・グループ向けの広い滞在需要が中位シナリオで約8万室規模に達すると仮定した場合、旅館はその一部をどこまで担えるのでしょうか。
ここで無理に、全国の旅館のうち何%が対応可能であると断定する必要はありません。重要なのは、旅館的ストックの母数の大きさです。
仮に旅館的な客室ストックを約70万室と置いた場合、その5%でも約3.5万室、10%で約7万室、20%で約14万室になります。
もちろん、これらすべてが直ちに市場へ接続できるわけではありません。立地、二次交通、施設水準、決済、多言語対応、料理人や接客人員の体制、連泊商品の設計など、多くの条件があります。特に、都市交通拠点としての利便性を求める需要は、旅館ではなく都市型ホテルやアパートメントホテルが担うべき領域です。
しかし、旅館的ストックの5%から10%が現代の家族・グループ需要に接続されるだけでも、6,000万人時代に想定される約8万室規模の広域滞在需要に対して、きわめて大きな供給力となります。ここに、旅館を既存ストックとして見直す意味があります。
ただし、旅館が提供すべきなのは、アパートメントホテルと同じ「広い部屋」ではありません。旅館だからこそ成立する「広く、文化があり、人の手が入った滞在空間」です。
これは、個別の旅館にとっても現実的な範囲です。全館を変える必要はありません。旅館の本質を守りながら、一部の客室、一部のプラン、一部の運営を現代の需要に合わせて組み替える。その積み重ねが、全国規模では大きな市場対応力になります。
旅館は、すでに空間を持っています。文化を持っています。人を迎える力を持っています。そして料理人をはじめ、食とサービスを支える人材も持っています。
あとは、それを現代の旅行者が選びやすく、かつ旅館側も適正な利益を確保できる形へと整えることです。
(7)最後に
私がお伝えしたいことは、1つです。
旅館は、これからの日本の宿泊市場において、文化と滞在価値を結び直す重要な存在になり得ます。
世界の旅行者は、便利さの先にあるものを求めています。それは、土地の深さ、人の温もり、文化の厚みです。そして、それを最も豊かに提供できる宿泊形態の1つが、日本の旅館です。
市場の数字は、旅館にとって大きな可能性を示しています。訪日インバウンド数6,000万人時代には、家族・グループで広い空間に泊まりたい需要が、中位シナリオで約8万室規模に達する可能性があります。条件次第では、その需要は10万〜12万室規模まで拡大しても不思議ではありません。
ただし、その需要すべてを旅館が担う必要はありません。都市交通拠点としての需要は、アパートメントホテルや都市型ホテルが担えばよい。旅館が担うべきなのは、その旅程の中に組み込まれる、目的滞在型の需要です。家族やグループが同じ空間で過ごしながら、食、湯、しつらえ、人の温度、地域文化を体験する滞在です。
同時に、旅館は単に安価な素泊まり需要を取り込めばよいわけではありません。旅館には、客室数の少なさ、料理人の常駐、人手をかけた運営という構造があります。だからこそ、旅館が目指すべきなのは低単価化ではなく、高付加価値化です。家族やグループが同じ空間で過ごす需要に、料理、温泉、接客、地域文化を重ね、旅館だからこそ成立する滞在価値へと変えていくことです。
旅館の皆様には、自信を持っていただきたいと思います。皆様が代々守ってこられた畳と、湯と、料理と、しつらえと、心づかい。それらは古いものではありません。世界が今、価値として見つけ始めているものです。
変えるべきは届け方です。本質は変えなくてよい。都市拠点と手を組み、客室の一部を組み替え、料金を柔軟にし、決済と言語を整える。そして、素泊まりを単なる値下げ商品にせず、食事、温泉、体験、地域連携へつなげる入口として設計する。それによって、旅館はこれからの日本の宿泊市場における重要な担い手になり得ます。
今夜も、日本のどこかで、女将がお客様を迎えています。仲居が膳を運んでいます。料理人が包丁を握っています。湯守が湯加減を見ています。布団が静かに敷かれています。
その1つ1つの所作の中に、日本の長い時間が流れています。そして、その流れの先に、これからの市場が求める新しい需要が広がっています。
旅館は、これからの日本の宝として、市場の中で新たな存在感を示していく可能性を持っています。私は、数字とともに、そして旅館という仕事への深い敬意とともに、そう確信しています。
株式会社日本ホテルアプレイザル代表取締役/株式会社サクラクオリティマネジメント代表取締役/一般社団法人宿泊施設関連協会副理事長 北村剛史




