【観光学へのナビゲーター 7】福祉から学ぶホスピタリティ 日本国際観光学会会長・東洋大学国際観光学部教授 島川崇


島川会長

 接客業に従事していると、ホスピタリティという言葉を聞かない日はないといっても過言ではないほど耳にする。しかし、ホスピタリティという言葉は、これだけ重要だと言われている割に、よく聞いてみると、「おもてなし」とか「心配り」といった意味でしかとらえられていないのではないだろうか。

 ホスピタリティの研究分野においては多くの研究者が独自の理論を展開している中で、なかなか統一した理論はないのだが、ここでは、最も論理的にホスピタリティ概念をとらえている徳江順一郎の研究をもとにホスピタリティを概観してみる。

 従来のホスピタリティの議論は、サービスという言葉が語源に「奴隷」という意味をもつことからも、「主人」と「奴隷」という関係性で語っており、一方でホスピタリティはサービスの上位に位置し、「おもてなし」という行為的側面が強調されたものととらえているものが多い。徳江はそれに対して異論を唱え、サービスこそがプロセスの代行という行為的側面を果たすものであり、ホスピタリティは、主体間の関係性マネジメントであると説いている。サービスの語源sevosからは、slave(奴隷) servant(召使い)と上下関係、主従関係を固定するような語が派生しているが、hospitalityからは、よく言われるhospital(病院) host(主人)だけでなく、hostile(敵)という語も派生してきている。ここからも、ホスピタリティが上下関係、主従関係が固定されるイメージではなく、自分と他者の関係性そのものを表していることが理解できよう。そして、サービスよりもホスピタリティが上位だということはナンセンスであり、ホスピタリティは、不確実性のある環境下において、関係性をマネジメントするとの考え方であると徳江は説いている。

 最近は福祉施設もホスピタリティを重視するという方針が多くの組織で取り入れられ、ホテルマンやマナー講師からのホスピタリティ講座を職員に対して受講させている施設もかなり多くなった。そのため、入所者の方々への対応、家族への対応が昔とは大きく変わったと言われることが多くなった。しかし、福祉施設で働く人々と接したときに、上述したような一流のホテルマンやキャビンアテンダントと接したときの感覚とは違う感覚を抱くのである。福祉が先進的な観光関連産業の取り組みを学んでいると思っていた既成概念をまず取っ払って、福祉それ自体から観光が学べることは何か、探っていくことにする。

 神奈川・湘南地区を中心に高齢者と保育事業を広げている福祉法人伸こう福祉会では、「入所者の方にありがとうと言わせるな」としているそうである。「ありがとう」等の感謝の言葉こそが、接客時のモチベーションの源泉のように言われている。しかし、あまりにそれがフォーカスされ過ぎて、お年寄りの側は常に「ありがとう」、「すみません」を言い続けなければならない状況に陥っている。これは、利他といいながら自分に見返りを求めていることからこそこの現象は起こっているのではなかろうか。伸こう福祉会では、その「相互信頼関係」を無理に結ぼうとするあまり、相手に感謝を強要することの矛盾を日常業務から見抜いたのである。一流ホテルや機内なら非日常の「ハレ」であるから、ありがとうも連発できるけれど、福祉施設は日常の「ケ」である。だからこそ余計にそのような一時的、表面的な対応だと化けの皮が剥がれてしまう。さらに、ディズニーやリッツカールトンといった感動経営、感動のホスピタリティの事例が世間にあふれているが、福祉関係者の態度は、感動の押し売りはしていない。福祉施設では感動を演出しようとして日々の業務に当たっているわけではない。

 また、お客様のために誠心誠意尽くしたとしても、それが伝わらないことがある。そして、「相互信頼関係」を構築できたと思っても、信頼は往々にして裏切られることがある。サービスの現場でも、サービスの達人と言われる人からも、たまには心を尽くすサービスをしたときにその恩をあだで返される話をよく耳にする。

 だが、福祉関係者の方々とお話をすると、お客様に裏切られるという感覚が一様にない。その違いはどこから出てくるのか。

 それは、観光関連産業の枠組みの中で、相互信頼関係を構築するべきだということを主張する際よく出てくるキーワードである「利他性」という言葉ではなかろうか。福祉施設での対応はもちろん他者のためにサービスしているのだが、福祉施設の対応と「利他性」という言葉がどうも結びつかない。それは、「利」という言葉に引っ掛かりがあり、利をどちらに分配するかという発想が、福祉にはないからではなかろうか。利他性が言われるときに必ずセットになるのが、「他人のためにやった行為は必ず自分にも返ってくる。だから人のために尽くしましょう」という考え方だ。でも、それって結局自分のためにやっていることになる。自分の利のために、戦略的に「誰かのために」をやっているに過ぎない。

 その意味で、相互信頼関係を構築したとしても、まだ相手を「対象」として自分とは一線を画して見ている。それに対して、福祉では相手を対象と見ていない。相手はすなわち自分であり、すなわち、お客様と自分とは「一体」であるという考え方こそ、福祉施設において実践されている考え方ではなかろうか。

 一体関係だと、裏切りという発想それ自体がない。お客様は自分だから。

 だから、お客様がもしもうそを言ってだまそうとしても、落ち込まない、自分だから。

 人間の弱さ、醜さ、それもすべて含めて自分。今は元気に活動できている自分もいずれ老いる。老いたらいくら地位が高かろうとお金を持っていようと、誰かの世話にならなければいけない。自分にも内在する弱さ、醜さ、人を疑う気持ち、うらやむ気持ち、嫉妬する気持ち、そんな異心(ことごころ)を人間の根本に立ち戻って、それに気が付いたときにその都度祓う(払う、掃う)。そのようなマインドを福祉施設の関係者から感じ取った。

 福祉の現場では、包み隠さないありのままの人間そのものを毎日の業務で取り扱っている。その現場からは人間とはいかなるものか、普段見えないものも見えてくる。見たくないものも見えてしまう。かつては福祉の現場では、認知症の入所者の方を扱う際、子どもに返ったとみなして、赤ちゃん言葉で接したりもしていた。そして、身体拘束なども日常茶飯事で、まさに人間としてではなく、モノとして扱っていたようなところもあった。それらの反省が先進的な福祉施設では大いに生かされており、まさに人間の尊厳を最後まで全うしてもらおうと担当者の人々はみな一人ひとりに対して試行錯誤を続けながら、人生を見つめ続けている。

 先述した伸こう福祉会では、ありがとうを言わせないだけでなく、さらに先を行き、入所者の人に対してありがとうと言ってもらえるような場づくりをしている。それぞれの入所者が得意分野を生かして活動することで、地域にも開かれた施設として、入所者だけでなく外部の人からもありがとうと言われる機会を創出している。一流ホテル、フルサービスキャリア、テーマパークでは、お客様がありがとうと言われるシーンは、「ご利用いただき、ありがとうございます」「お買い上げいただき、ありがとうございます」だけではないか。それを越えようとは全然していないではないか。この「ご利用いただき…」「お買い上げいただき…」から一体関係は感じない。まだ相手を対象として見て、利がどちらにあるのかということにとどまっている。真の人間関係とは、利をどちらに置くかではない。あなたと出会えてよかったと心から思い、お互いが生きているということの奇跡を共有すること、気持ちが一体となったことに価値を見出すこと、この境地は既存のホスピタリティ分野からは感じることはなく、福祉施設からは感じることができた。

 そのようなプロセスから、もはや先進的な福祉施設におけるマインドは、一流ホテル、フルサービスキャリア、テーマパークの先を行っているのではないか。ホスピタリティ産業と言われている分野の人々は、たまに来る相互信頼関係を心待ちにしながら、日常の安心保障関係の構築に最も心血を注いでいる。そのプロセスに満足し、ホスピタリティなら自分たちが一番だと思っていたら、福祉施設での従事者が至っている境地は理解できない。基本的には福祉は異業種だと言って認めたくはないだろうが、人を扱うという意味では全く一緒である。福祉施設から学ぶといったら、車いすの押し方とかバリアフリーのハード整備といったことばかりが議題になるが、そういった介助技法のテクニックにとどまらず、福祉施設従事者がどのような想いで利用者の方々に接しているのか、是非この人間の尊厳をなによりも重んじるマインドを学び取ってもらいたい。

島川会長

 
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