先週、出張先で衝撃的なメッセージを受けた。人間国宝の歌舞伎役者、二代目中村吉右衛門丈の訃報であった。30代に籍をおいていた「セブンシーズ」と「デパーチャーズ」という2誌で連載を担当したご縁があり、そのときにお仕事をご一緒させていただいた執筆者の方からの知らせだった。「ずっと奇跡を願っていましたが、残念です」と涙ながらに彼女は教えてくれた。
連載を担当するようになって、歌舞伎を鑑賞する機会を得たが、吉右衛門丈の舞台が特別だというのは素人の私にも分かった。「俊寛」では、心をえぐるような悲しみが伝わってきたし、「土蜘蛛(ぐも)」ではエキサイティングな舞台に心が踊った。吉右衛門丈の尽力で公演が復活した、現存する芝居小屋としては最も古い香川県琴平町の「旧金毘羅大芝居」通称「金丸座」の取材をさせていただいた折には、舞台と客席が作る臨場感に言葉もないほど感動した。
取材の中からは、吉右衛門丈のお人柄も感じられた。実は吉右衛門丈は大のディズニーランド好きで、くまのプーさんがお気に入りでいらしたこと、ジャズが好きであること、ドライブも好きで、時間ができれば自らハンドルを握り箱根などに出かけることも知った。滅多にない長期のお休みには家族でパリへ旅行に出かけられ、画材を購入された話も伺った。吉右衛門丈は絵の才能もお持ちで、毎年直筆の絵を添えた年賀状をいただいたが、大切な宝物だ。
こうしていろいろと思い出される中、いちばん印象的なのは、やはりいつもお隣にいらした波野知佐夫人の存在である。
連載のインタビューの際に、吉右衛門丈がこんな話をしてくださったことがある。「幼少の頃、芝居で使う古銭を珍しく思い集めたことがありました。そのときに、祖父から役者たるもの、そういった世俗のものに関心を持ってはいけないと叱られたんです」。
金丸座の取材の際、金刀比羅宮で舞台の成功を祈願する場面にご一緒させていただいたときに、その言葉を強烈に理解した出来事があった。祈願書を記すとき、住所を書く項目については、知佐夫人にお願いしたのである。それがとても自然だった。きっと、日々の暮らしを安心して任せられる伴侶がいたからこそ、役者としての道を極め、多くの人に愛され、人間国宝になるほど大成されたのだと思う。
仕事ではマネージャーの役割を果たしていらした知佐夫人だが、いつも吉右衛門丈の思いを伝えることに心を砕いていて、文字通り24時間献身していた。内助の功という言葉は、知佐夫人にこそふさわしい。もう、お2人そろっての姿が目にできないのがとてもとても寂しい。