古い町家や地名に城下町の名残
伊賀鉄道上野市駅に降り立つと、杖を突いた旅姿の芭蕉翁像に迎えられる。ここは「芭蕉さん」と敬愛を込めて呼ばれる俳聖・松尾芭蕉の生まれ故郷。また藤堂藩の上野城の城下町や伊賀流忍術の発祥地としても知られている。
観光案内所でそれら三つが集まっているのが上野公園と聞いて、駅の北の高台に足を向けた。右手に銅像や直筆、書籍などを展示する芭蕉翁記念館、突き当たりに仕掛けがいっぱいの忍者屋敷や体験館などの伊賀流忍術博物館があった。
隣の八角堂は笠や蓑、衣をモチーフに芭蕉の旅姿を表現した俳聖殿。その前の石段を上った所に白亜三層の上野城天守閣があった。最上階に立つと碁盤目の町割りに黒瓦の町家や大きな甍の寺々が見えた。
地形を頭に入れて、駅前で借りた自転車で赤坂町の芭蕉翁生家を訪ねる。当時の建物ではないが往時をしのばせる格子造り。この松尾家の次男に生まれた金作(芭蕉の幼名)が、藤堂家の嗣子に仕え、俳諧に目覚めて江戸に出る29歳まで暮らした家である。帰郷の折に寝起きした慎ましい離れの釣月軒も残っている。
芭蕉は遺言で大津・義仲寺に眠るが、遺髪を納めた松尾家の菩提寺・愛染院は歩いて3分の所にあった。
広小路駅の南に7ヶ寺が連なる寺町通りを抜けて、市街南端にある門弟・服部土芳の住まいの蓑虫庵に着いた。苔と木立に包まれた芭蕉好みの侘びた草庵で、句会などにも使われた。
『おくの細道』をはじめ旅に過ごし、「旅に病んで夢は枯野を駆けめぐる」を辞世の句に51歳で大阪で亡くなった芭蕉だが、上野には度々帰った。生家前に立つ句碑の「古里や臍(ほぞ=へそ)の緒に泣く年の暮れ」にはふるさとや母への熱い思いがこもっている。
今年も命日の10月12日が近づいてきた。俳聖殿を中心に各所で芭蕉祭が盛大に催される。没後323年、芭蕉は今もふるさとで生き続けている。
(旅行作家)
●伊賀上野観光協会TEL059(26)7788