【日本ふるさと紀行 28】小幡(群馬県甘楽町)~織田宗家7代ゆかりの地 中尾隆之


名水と緑あふれる山あいの城下町

 群馬県南西部に小幡という町がある。三方を小高い山に囲まれ、清流あふれる用水路や武家屋敷、大名庭園に歴史を留める織田宗家7代の城下町である。

 織田家の祖は希代の名将の信長。本能寺の変で長男信忠も自害したが、次男信雄が幕府から大和宇陀と上州小幡併せて5万石を与えられ、家督を継いだ。宇陀を治めた信雄だが、4男信良が入った2万石の小幡に京の庭師を呼び、大規模な楽山園を造営させた。小大名にぜいたくが許されたのは、かつての主君(信長)筋への徳川家の配慮か。あるいは2代将軍秀忠の正室お江と信雄がいとこということもあったのだろうか。

 陣屋造りの小幡城や城下町が整ったのは3代目のころ。南北に流れる雄川を灌漑用水や生活用水として引き入れる事業も進めた。田畑や陣屋、屋敷の床下まで回した雄川堰は400年後の今も生きている。

 その小幡へは高崎から上信電鉄で30分。上州福島駅から訪ね入ると、清流の雄川堰と桜並木の両側に並ぶ白壁土蔵の商家や養蚕農家の建物に迎えられる。

 繭倉だった赤レンガ倉庫の歴史民俗資料館で、養蚕や城下町の歴史を頭に入れて中小路を歩く。石積みの上に竹塀を巡らす白壁の武家屋敷がのぞく。江戸後期、松平氏の時代の最後の勘定奉行の髙橋家で、今も子孫が住まっている。

 隣には藩主の奥方と何人かの腰元が住んだ松平家大奥や喰い違い郭などもあり、城下町の気配が色濃い。

 10年を要して復元整備した池泉回遊式の楽山園はすぐ先にあった。山を借景に景石を配した昆明池を中心に築山、中島、茶屋からなる優美な大名庭園である。

 152年にわたってこの地を治めた織田家7代の城主は、街はずれの崇福寺境内の墓碑の下に眠る。

 住民が寄せる織田家への思いは、絶え間なく流れる雄川堰の水のように途切れない。小幡は織田宗家7代のふるさとなのである。

(旅行作家)

●甘楽町観光協会TEL0274(74)3131

 
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