【旅に出よう~温泉はにっぽんの宝~96】文豪を育てた温泉宿 山崎まゆみ

  • 2018年5月4日

 温泉宿は時代を作った―。

 今年の初旬に「週刊新潮」で「宰相が愛した温泉」をテーマに記事を書き、本連載でも宿のあるじの魅力がもたらす昭和の名宰相との交友録をつづったことがあります。現在発売中の週刊新潮では「文豪と温泉」について書いています。取材を進めていくと、宿のあるじと文豪の蜜月の日々、そしてその結びつきがつくりだした作品の数々がよみがえってきました。

 文豪は温泉宿で作品を書いていたことは、読者の皆さんもご存じだと思います。その文豪の滞在の様子を川端康成が「雪国」を書いた越後湯沢温泉雪国の宿高半の女将である高橋はるみさんから聞かせていただいたことがあります。

 「夜更けから明け方まで原稿を書いておられまして、書きあがると、うちの番頭が湯沢駅に向かい、原稿を汽車に乗せまして、汽車が到着する上野駅には編集者が待ち構えていたようです。原稿はそのまま編集者が印刷所へ持ち込んだようでした」

 温泉宿で執筆をした1人に林芙美子がいます。志賀高原の入り口にある長野県上林温泉塵表閣をひいきにしていました。林芙美子がたびたびやってきた理由は、当時の女将の存在にあります。高半と同じように、塵表閣も林芙美子の執筆を支え、その作品は「うず潮」として出版。その後、NHK朝の連ドラとなるほど、林芙美子の代表作になりました。

 もともと塵表閣は、明治時代に開業した初代オーナーが、まだ芽の出ない画家や書家を支援し、自由に創作活動をさせていました。彼らは芸術家として大成した後に、弟子や仕事仲間を連れだってやってきて、芸術家の中で「面白い宿がある」と評判が広がったといいます。夏目漱石、川端康成らも訪問。芙美子をここに連れて来たのも「二十四の瞳」を書いた壺井栄でした。次第に塵表閣は文化人のサロンとなっていったのです。

 ちなみに、文豪たちは宿泊料金を払っていたのでしょうか。

 「うちはほぼ頂いておりませんでした。出世払いか、芸術家なら作品を頂戴することもあったようです」(塵表閣の女将・小林美知子さん)。

 温泉地が文化人のサロン的存在だったのは、塵表閣特有の話ではありません。栃木県塩原温泉「塩原もの語り館」展示コーナーには塩原温泉と文豪の年譜が掲示されてあり、尾崎紅葉や夏目漱石、谷崎潤一郎、与謝野鉄幹、晶子といった文豪が残した言葉があります。当時、塩原には御用邸があり、明治、大正、昭和にわたり歴代の天皇や多くの皇族が避暑地として使っていたのも大きな要因です。「夏になると塩原は文化人のサロンだった」と地元の人に聞いたことがあります。

 文豪を育て、作品を生んだのは温泉宿だった―。その風土が文学や時代を築いたといっても過言ではありません。
   
(温泉エッセイスト)

 
 
 
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