「すずめの湯」には外国人観光客もいましたが、ほとんどは日本人のお客さん。皆さん、地獄温泉を応援したい気持ちからやって来ているようです。そんなお客さんが河津誠社長に、「よくここまで復興されましたね」と握手を求める場面がありました。しっかりと手をつかみながら「意地です。もう意地でここまでやりました」と、日に焼けた顔をくちゃくちゃにしながら答えておられました。「阿蘇の明かりになりたかったんです。明かりをともし続けたかった」とも話されました。
「この3年、じっくりと考える時間を与えていただきました。この間に、コンサルの方から高所得層をターゲットにしたキラキラな宿にしないかという提案もありました。ただ、何かが違うと考え続けたんです」
結局、これまでの「すずめの湯」を踏襲するスタイルに至ったわけですが、実は河津社長がそのような決断を自信をもってした出来事がありました。
「私にとって地震は、地獄温泉の土地を改めて知る機会になりました。うちの地盤は、阿蘇の花崗岩(かこうがん)が堆積された上に一部、堅い地盤があり、そこに載っている状態でした。その堅い部分が地震で流れてしまったわけです」
建物がなくなり、地盤が見えると、そこには石垣で基礎工事をした跡があったそうです。「江戸時代だと思うんです。当時は重機もありませんから、その辺にある石を加工して、積み立てて、全て手作業で基礎工事をしたんですよね。そこまでしてなぜ、ここに温泉宿を作ったのか、その根本を考えさせられました」
先人の汗の結晶を見て出した結論は、「うちの湯でしか痛みが治らない人のために温泉をよみがえらせたい」ということだったそうです。
「すずめの湯」は、湯船の底からこんこんと温泉が湧いています。その生まれたての新鮮な温泉に入ることができる尊さは、筆舌に尽くしがたい。
湯にはいつもぷく~、ぷく…源泉の気泡が湧き立ち、にぎやかそのもの。河津社長は、その湧き出る瞬間を見守りながら「ライジングエナジーと名付けました」とほほ笑みます。
まさに、湧き出るパワー。
河津社長とご家族は、今も避難所に暮らしています。
「暮らしを立て直す前に、まずは職場から」だそう。
「阿蘇の人は、何があっても阿蘇から出て行きませんよ。うちの81歳の母は熊本の大水も体験していますから、2度、同じような目にあいました。ですが、阿蘇の人はDNAに自然災害と共存する術を持っているんです」と語りながら、「災害国日本です。うちのように復興が難しいと言われたところがこうして再開することで、いい見本にしてほしい。そんな気持ちが強くあります」
たくましい体つきに、力強い笑顔。横には81歳のお母さま、そしてご子息が湯守をされています。自然災害に立ち向かう河津社長ご自身、そして河津家の皆さんからこそ、ライジングエナジーを感じるのです。
人の力、強い思いはなんと偉大なのでしょう。
河津家の皆さんのエネルギーをいただいた帰路、ヒガンバナやコスモスが咲いていました。これから温泉のいい季節です。ぜひ、皆さん、地獄温泉にどうぞ。温泉と人のライジングパワーをお裾分けいただけますよ。
(温泉エッセイスト)