昨今、働き方改革が叫ばれている。しかし、「働くことの意義」という根本的なことはマスコミも企業内でも取り上げられることはほとんどない。先般、大阪の某ホテルで一般職社員を対象にした研修の講師を仰せつかった。知識や理論の習得も必要であるが、「働くということ」の根幹を勉強してもらう方が先ではないかと進言し、テーマを「何のために働くのか」にしていただいた。
「何のために働くのですか?」と質問すると大半の人が「生活の糧を得るため」すなわち「お金を稼ぐため」とか「自己の夢の実現のため」すなわち「お金が必要」とかという返事が返ってくる。「他人のため」や「社会のため」という回答は20%くらいで少ない。
働くとは、傍(はた)を楽にするということ。すなわち他人や社会のために働くのである。自分のためにお金を稼ぐことを第一の目的として働くと、仕事は自分の時間と労働を売って、その対価としてお金を稼ぐことになり、労働の奴隷になってしまう。もちろん、お金を稼がなければ生活できないが、報酬はあくまで一生懸命働いた結果として頂戴するものであって、目的の順番を間違えないでほしいということである。
最澄の言葉に、「一隅を照らす、これ則ち国宝(くにのたから)なり」がある。地味で目立たない小さな役割でも、一生懸命取り組むこと、自分のいま置かれている持ち場でベストを尽くすことが、すなわち人のため世のためになるという意味である。また、養老孟司氏は「仕事とは社会に空いた穴だ」と言っている。放っておけば皆が転んで困る。だから埋める。穴を埋めた分、歩きやすくなる。つまり、どんな仕事も社会的役割を担っているのである。
有数の大企業でさまざまな不祥事が続発しているが、短期的な利益、効率性などばかりを追求してきた結果である。働くのは他人のため、社会のためだということを皆が認識していれば、このようなことは起こらないはずである。心の在り方が問われているのである。
(NPO・シニアマイスターネットワーク会員 株式会社JAPAN・SIQ協会代表取締役、金子順一)