私の視点 観光羅針盤
2026年10月1日、改正労働施策総合推進法が施行され、カスタマーハラスメント対策がすべての事業主に義務付けられる。旅館・ホテル、飲食店、交通事業者、観光施設、ガイドや体験事業者なども対象となる。観光産業にとって今回の改正は、単なる労務管理の問題ではない。日本が強みとしてきた「おもてなし」の概念を問い直す契機でもある。
法律上のカスハラとは、顧客や施設利用者などの言動が、業務の性質に照らして社会通念上許容される範囲を超え、労働者の就業環境を害するものをいう。暴言や脅迫、長時間の拘束、不当な返金要求などに加え、電話やSNS上の言動も対象となる。
厚生労働省の指針では、事業主が講じるべき措置として10項目が示された。基本方針の明確化、相談体制の整備、発生時の従業員保護、悪質な行為への対応体制などである。従業員個人に判断を委ねず、管理者への交代や警察・専門家との連携まで手順を定める必要がある。
全産業を対象とした厚生労働省の調査では、過去3年間にカスハラを受けた労働者は10.8%、約10人に1人に上る。人手不足が続く観光産業では、一人の休職や離職が、営業時間の短縮や客室稼働の制限、サービス品質の低下にまで波及する。カスハラ対策は、従業員保護だけでなく、事業を持続させるための経営課題である。
一方で、観光の価値は、顧客一人一人に寄り添うことによって生まれる。旅の目的や嗜好をくみ取り、期待を超えるコンシェルジュ的な対応は、観光産業の重要な競争力であり、画一的なサービスになれば、その魅力を損ないかねない。正当な苦情や改善の提案まで、カスハラとして退けてはならない。
難しいのは、顧客満足を追求する個別対応と、現場を疲弊させる過剰対応との境界である。その線引きを、接客中に従業員一人で判断させるべきではない。まず事業者自身が「誰に、どのような価値を、どこまで提供するのか」を明確にする必要がある。顧客像とは、年齢や国籍、所得で区切るものではない。地域の文化や自然、店の考え方を理解し、働く人にも敬意を持って接する顧客を描くことである。
そのうえで予約時や来訪前に、提供できるサービスの範囲や追加料金、対応できないこと、地域で守ってほしいルールを丁寧に伝える。事前に期待値を調整できれば現場での行き違いが減り、従業員も安心して一歩踏み込んだ提案ができる。ルールはサービスを制限するためではなく、その範囲内で期待を超えるための土台となる。
顧客を選ぶとは、自らの価値やスタンスを発信し、それに共感する人に深く向き合うことであり、顧客を排除することではない。その方が顧客満足を高め、働く人の誇りや地域事業者の収益性にもつながる。
働く人が安心できるからこそ、マニュアルを超えた温かな対応が生まれる。10月1日の義務化を守りの法令対応だけで終わらせず、顧客像を見直し、事前の期待値調整と個別対応を両立させる機会にしたい。それが、地域と顧客が互いを尊重する、これからのおもてなしではないだろうか。
(地域ブランディング研究所代表取締役)




