棚田が広がる明日香村の景観
世界文化遺産「飛鳥・藤原の宮都」に学ぶ
世界遺産エリアである奈良県明日香村、橿原市、桜井市には、数多くのホストファミリーが点在しております。当団体ではこれまでに、国内3万1207人、海外2万2297人もの生徒の皆さまに民家ステイをご利用いただいてまいりました。令和9年度(2027年度)以降は、受け入れ定員を300~320人規模へと拡大する計画も進めており、より多くの教育旅行ニーズにお応えできる体制づくりを強化しております。
2026年7月26日には、明日香村、橿原市、桜井市にまたがる「飛鳥・藤原の宮都」が世界文化遺産に登録されました。「飛鳥・藤原の宮都」は、宮殿・官衙(かんが)跡、仏教寺院跡、墳墓の3類型、全19の構成資産からなり、6世紀末から8世紀初頭にかけて、東アジアとの交流を通じて日本の中央集権国家が形成されていった過程を伝える文化遺産です。
私たちが目指すのは、単なる宿泊ではなく、地域の方々との深い交流を通じて「周囲のあらゆる人やモノ・コトへの感謝の気持ち」を育む教育的な体験です。この民家ステイを主軸に、各種体験プログラムや日帰り街歩き企画など、生徒の五感を刺激し学びを深める多彩なコンテンツをご用意しております。
日本のはじまりの地の自然と歴史、そして温かい人々に包まれて過ごす時間は、生徒の皆さまにとって一生の思い出に残るかけがえのない体験となるはずです。

棚田からの夕景
「飛鳥・藤原の宮都」の成立の背景
592年に推古天皇が飛鳥豊浦宮で即位してから、710年の平城京遷都にいたるまでの約120年間が飛鳥時代と称される時代です。この時代には、遣隋使の派遣や憲法十七条の制定、乙巳の変、大化の改新、さらには壬申の乱や大宝律令の制定といった、国家の根幹を揺るがす重要な政治改革や政変が次々と起こりました。これらの歴史的な歩みを通じて、現代に続く「日本」という国家の基盤が強固に形成されていくことになります。
また、東アジア諸国との活発な交流により、中国大陸や朝鮮半島から寺院建築や瓦の生産といった高度な文化や技術がもたらされ、それらは日本独自の様式へと洗練されながら定着していきました。さらに、中国の都城思想を取り入れつつも、日本の起伏に富んだ地形や独自の政治情勢に柔軟に適応させた本格的な条坊制都城「藤原京」を造営するなど、独自の都城文化を開花させた時代でもあります。
このように、6世紀末から8世紀初頭にかけての東アジアの国際情勢の中で、天皇を中心とする本格的な律令国家(中央集権国家)へと変貌を遂げていった歴史的プロセスを今に伝える飛鳥・藤原の宮都は、世界的に見ても極めて高い価値を有する文化遺産です。そしてそれは、8世紀の平城宮(奈良)や9世紀以降の平安宮(京都)へとつながる、日本の宮都造営の確かな出発点となりました。
三つの教育的効果
(1)東アジアとの文化交流を客観視し、自国の歴史を世界基準の価値から再認識する
「中国や朝鮮半島といった東アジア諸国との間における技術・思想の相互作用」を深く学ぶことができます。これにより、日本が古くから国際社会と緊密に連携し、互いに影響を与え合いながら歩んできた歴史的プロセスへの理解につながります。
(2)「地下遺構」と実物史料の活用による高度な探究学習の展開
地上・地下ともに良好な状態で残る飛鳥・藤原の遺構群は、まさに歴史探究の宝庫です。近年導入が進むAR・VR等のデジタル技術や発掘データ、木簡などの史料を活用し、古代の都市空間を立体的に考察したり、「文化遺産の保全」と「地域の生活・観光活用」の調和というSDGsの観点とも連動した課題に触れたりすることで、自らが現代社会の課題解決を主体的に考える質の高い学びを実現します。
(3)「探求型学習」の実践
「なぜ飛鳥に都が置かれたのか」「なぜ女性天皇が相次いで登極し活躍できたのか」「なぜリスクを冒してまで中国や朝鮮半島との交流を推し進めたのか」といった本質的な「問い」を軸に学習を展開することができます。単なる時代知識の暗記にとどまらず、地理・外交・社会構造などの多角的な視点から「日本」という国家づくりのプロセスを体系的にひも解くことで、歴史的思考力や自ら課題を発見・解決する「探究型学習」を効果的に実践することが可能です。
「飛鳥・藤原の宮都」は、石舞台古墳や飛鳥寺跡、藤原宮跡をはじめ、「宮殿・官衙跡」「仏教寺院跡」「墳墓」の3類型・全19の構成資産から成り立っています。
当地域の民家ステイ最大の特徴は、これらの世界遺産のすぐそばに居を構えるホストファミリーが多数点在している点です。民家ステイを通じて、歴史的遺産を単なる「観光地」としてではなく「身近な生活空間」として体感していただけます。
ホストファミリーには、専門の講師による「研修」を定期的に実施しております。単に歴史的遺産や遺跡の概要を紹介するだけでなく、この地に暮らす地域住民だからこそ語れる「生活感あふれる視点」で歴史を伝えるスキルを研さんしております。民家ステイでの深い対話を通じて、生徒の皆さまが滞在中はもちろん、帰宅後もご家族やご友人と素晴らしい旅の思い出を語り合えるような温かい交流を目指しています。

民家ステイを通じて歴史に触れる
歴史上の偉人と深く結びつく19の構成資産
地域内には、歴史の教科書でおなじみの有名な古墳や史跡など、貴重な文化遺産が数多く点在しています。世界遺産「飛鳥・藤原の宮都」を形作る19の構成資産は、かつてこの地で活躍した聖徳太子や蘇我馬子、天武・持統天皇といった歴史上の重要人物と密接に関わっています。教科書の中で学んだ歴史の舞台や人物の軌跡をより深く探究していただくことができます。
蘇我馬子と石舞台古墳
蘇我馬子は、6世紀後半から7世紀初頭にかけて物部氏との抗争に勝ち、崇峻天皇・推古天皇を支えて政治の実権を握った豪族です。仏教を積極的に導入し、飛鳥寺の建立など仏教立国の基礎を築きました。馬子の墓(桃原墓)とされる石舞台古墳は、日本最大級の横穴式石室を持つ方墳です。
盛土が失われ、約30個・総重量約2300トンにも及ぶ巨石が露出した姿が「石舞台」の名の由来であり、江戸時代から観光名所として知られていました。『日本書紀』の記述や近隣の島庄遺跡(館跡)の位置関係からも、その裏付けがなされています。
この巨大な石舞台古墳は、当時の蘇我氏が天皇家を凌ぐほどの財力・技術力・労働力動員力を誇り、豪族連合体制の頂点に立っていたことを象徴する貴重な歴史遺産です。

石舞台古墳
聖徳太子と橘寺
聖徳太子(厩戸皇子)は、推古天皇の摂政として「十七条の憲法」や「冠位十二階」を制定し、遣隋使の派遣など先進的な仏教文化・制度を導入した人物です。
太子の生誕地に自ら建立したと伝わる橘寺(たちばなでら)の境内には、善悪を表す「二面石」や、太子の愛馬・黒駒の像などが伝えられています。
飛鳥時代初期における仏教は、個人の救済にとどまらず、「最新の高度な文明および国家統治の思想」でした。太子がこの地に寺を建てた背景には、仏の教えによって国家を安定させる「国家鎮護」思想の原型があります。大陸の高度な制度を積極的に取り入れることで、倭国を「東アジアの文明国」へと引き上げる国際的な視野がこの地から開かれました。

橘寺
斉明天皇と牽牛子塚古墳
皇極天皇が重祚(ちょうそ)した斉明天皇の時代は、白村江の戦いへと続く東アジアの緊張が高まり、国家の総力を挙げた防衛・軍備体制や大規模な土木事業(石造物群や運河の建設)が進められた時期でした。これは、外圧に対抗するため民衆や豪族を強権的に動員する「中央集権的な国家権力」が本格的に現れたプロセスといえます。
斉明天皇と娘の間人皇女の合葬墓とされる牽牛子塚古墳は、八角形の墳丘に巨大な一ツ石をくり抜いて作られた石棺(石室)を持つ構造が特徴です。この「八角墳」という形状は、中国の「陰陽五行説」や「天(八方)を支配する天子」の観念を反映したものです。豪族が用いた前方後円墳や方墳から明確に脱却し、「天皇陵を頂点とする新たな権威」が墳墓によって示されています。

牽牛子塚古墳
大化の改新と飛鳥宮跡
645年、権力を極めていた蘇我入鹿に対し、中大兄皇子と中臣鎌足らが飛鳥板蓋宮の儀式の最中に襲撃・殺害しました(乙巳の変)。これを機に「大化の改新」と呼ばれる公地公民・公姓制度などの国家改革が始まりました。 飛鳥宮跡は、皇極天皇の「飛鳥板蓋宮」をはじめ、斉明・天武・持統天皇らの宮殿が四つの時期に重なって発掘された複合遺跡です。まさに乙巳の変が繰り広げられた歴史の現場であり、石敷きの広場や大極殿の柱穴、内裏跡などが良好に遺存しています。
ここは、豪族私有の国から「天皇を中心とする中央集権国家」へと大きくかじを切った政治的転換点であり、日本の政治史・行政史の出発点を示す象徴的な遺跡です。単なる居所としての宮殿から、地方へ命令を発し、税を徴収し、法を公布する「政治機構(庁舎)」としての機能を初めて備えた場所であり、日本の官僚制の原点がここにあります。

飛鳥宮跡
天武天皇と天武・持統天皇陵
672年の壬申の乱を勝ち抜いて即位した天武天皇は、豪族勢力を抑え込んで「皇親政治」を推進し、それまでの「大王」に代わる「天皇」号を制定、国号を「日本」と定めました。
天武・持統天皇陵は、古代天皇陵としては珍しく『日本書紀』の記述通りに夫婦で合葬されている八角墳です。藤原宮の中軸にあたる朱雀大路の真南に配置され、宮殿と墳墓が一体的に計画・造営されたことを示しています。墓室内には天武天皇の金銅製蔵器と、火葬された持統天皇の遺灰が納められた銀製骨蔵器が並んで置かれています。
持統天皇は天皇として初めて火葬された人物であり、仏教思想に基づく新しい葬制への移り変わりを物語っています。「八角墳」「夫婦合葬」、そして「火葬」は、土着的な豪族の巨石墳時代が終わり、仏教的・中国律令的な国家規範が定着したことを示す象徴的な史跡です。

天武・持統天皇陵
持統天皇と藤原宮跡
持統天皇は、689年に「飛鳥浄御原令」を施行し、694年に飛鳥の谷あいから広い平野部へと都を移しました(藤原京へ遷都)。これが後の大宝律令(701年)制定への確固たる礎となり、律令国家「日本」の体制が完成しました。
藤原宮跡は、その藤原京の中心にあった宮殿跡です。従来の「一代ごとに宮を移す」形態を捨て、広大な碁盤の目(条坊制)で画定された日本初の本格的な首都として誕生しました。中国の古代思想に基づき、大和三山を従える中央に宮殿が配置された設計が特徴です。
藤原宮は「飛鳥時代」の政治的・都市的集大成であり、奈良時代の平城京へと続く、真の中央集権国家の誕生を告げる遺跡です。

藤原宮跡
なぜ今、大和飛鳥ニューツーリズムの民家ステイなのか?
情報過多な現代において、生徒の皆さまが本当に必要としているのは、五感で感じ、心で学ぶ「ほんものの体験」ではないでしょうか。
「飛鳥・藤原」の豊かな自然と歴史、そして温かい人々との触れ合いは、皆さまにかけがえのない気づきを与えてくれます。
「人とのつながり」の中で優しさや希望を感じ、「人ってやっぱりいいな」と心から思えるような思い出を作っていただきたい。
大和飛鳥ニューツーリズムは、その強い想いを胸に、未来を担う生徒の皆さまの成長を全力でサポートしてまいります。
飛鳥の地で皆さまをお迎えできることを、心よりお待ちしております。

棚田が広がる明日香村の景観
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