岩手三陸の景勝地・碁石海岸を今夏、半世紀ぶりに訪ねた。断崖絶壁の岩肌に蒼緑色の深い海、白くはじける水しぶきが、今も昔も変わらない。震災の爪痕すら見当たらず、遊歩道がきれいに整備され、穏やかな空気が流れていた。
その前夜、「大船渡温泉」に泊まった。かつての大船渡グランドホテルの跡地に2014年、開業した、絶景で話題の宿だ。
到着すると支配人の志田繕(よし)隆(たか)さんが笑顔で出迎えてくれた。目の前に大船渡湾の波穏やかな景色が広がり、特に露天風呂から望む朝日には定評がある。
かねてから水産業がさかんな大船渡は、サンマやカツオの水揚げが国内有数で、戦中からセメントの町としても発展を遂げた。以前にも述べたが、筆者が芙蓉グループの仕事をした縁から、旅行会社へ転職後は、視察ツアーを担当させていただいた「太平洋セメント」は、大船渡にも工場を構える。銘菓「かもめの玉子」の「さいとう製菓」本社があり、米国・ドジャースで活躍する佐々木朗希選手が巣立った地でもある。
インタビューを申し入れたところ、「おいしいビールが飲める店はいかがですか」と繕隆さんが、醸造所を併設する「三陸ビール ブルワリー&タップルーム」へ案内してくれた。ここ大船渡では日本酒、ワイン、そしてビールが、今や地のもので味わえる。
「地域の寄り合いがあるから」と中座されたので、私たちは河岸を移して日本酒バー「夕凪」で飲みなおすことに。そこには「滝(ろう)観(かん)洞(どう)観光センター」の千葉孝文さんも、はるばる住田町から駆けつけてくれた。数日前、学生たちと洞窟探訪のアドベンチャー体験で、世話になったばかりだ。
会合を終えた繕隆さんが合流後は、ただの飲み会と化すも、酒に呑(の)まれたわけではない。私の取材ノートには、繕隆さんの壮絶かつ衝撃的な観光キャリアがつづられていたので、ここに紹介したい。
大船渡温泉は、株式会社「海楽荘」が経営母体だ。繕隆さんの4歳上の兄・志田豊(とよ)繁(しげ)さんが同社代表を務める。碁石海岸で人気の民宿・海楽荘を営む父母のもとで育った2人は、その両親が、まさかの交通事故に遭って急逝した。今から30年以上前の出来事だ。
兄・豊繁さんは、東京で料理の腕を磨いたのち大船渡に戻り、民宿業と漁師を兼業していたさなかの事故死だった。一方で弟の繕隆さんは、日本航空系のホテル会社に就職して働いていた。
転機が訪れたのは東日本大震災だった。碁石海岸の民宿が被災したことで、兄・豊繁さんは新たに土地を取得して、温浴施設を建てる計画を練っていた。大手ホテルで開発を手がける弟・繕隆さんに相談はするものの、当時は「ホテル・ニッコー広州」の開業準備で大わらわだった。のちに「金融機関との折衝で、宿泊施設を伴う日帰り湯の仕様に計画変更した」と兄から聞かされた繕隆さんは、24年間のサラリーマン人生に終止符を打ち、生まれ故郷の大船渡に戻る決意をした。
これは宿命と言えるだろう。今は男兄弟・二人三脚で、自社の経営と地域振興に注力する。現在、繕隆さんは、観光地域づくり法人「大船渡地域戦略」の理事長も務める。
ご両親が天上で、2人を温かく見守っていることだろう。
(観光ジャーナリスト・淑徳大学経営学部観光経営学科教授 千葉千枝子)




