北村氏
これからの収支表は、利益だけでなく、人流・地域消費・雇用・災害対応まで可視化する必要があります。ホテル評価は、いま「儲かる不動産」から「地域価値を循環させる社会装置」へ進化しようとしています。
ホテルの収支表は、多くの場合、売上、費用、GOP、NOI、IRRを算出するための財務ツールとして使われています。投資家にとっては投資採算を確認する資料であり、金融機関にとっては返済可能性を判断する資料であり、ホテル運営者にとっては収益改善のための管理表です。客室売上、料飲売上、宴会売上、その他売上を積み上げ、人件費、原価、水道光熱費、販売手数料、修繕費、運営委託費、固定費を差し引き、最終的にGOPやNOIを求める。このような収支表は、ホテルを事業として管理するうえで不可欠な道具です。
しかし、現在一般に使われているホテル収支表は、ホテルの価値を十分に測りきれているとは言えません。なぜなら、既存の収支表の多くは、ホテルの内部で発生する売上と費用を中心に設計されているからです。そこでは、宿泊客が地域で使うお金、周辺飲食店や小売店への消費波及、地域雇用への影響、観光地としての魅力向上、災害時の一時滞在機能、地域交通や文化資源との接続といった価値は、十分に表現されていません。
もちろん、それは既存のホテル収支表が無意味であるということではありません。従来の収支表は、投資判断や運営管理のための道具として、十分に重要な役割を果たしてきました。ホテルが赤字なのか黒字なのか、どの部門が収益を生んでいるのか、人件費や水道光熱費が重すぎないか、賃料や運営委託料を負担できるのか。こうした基本的な判断は、収支表なしにはできません。
問題は、ホテルに求められる役割が変わっているにもかかわらず、収支分析の枠組みがまだ十分に進化していないことにあります。
かつてホテルは、主に「宿泊する場所」として評価されてきました。投資の観点では、土地建物をどのように収益化するかが中心でした。運営の観点では、客室稼働率、ADR、RevPAR、GOP率が重視されました。金融の観点では、NOIやDSCR、IRRが重要でした。これらの指標は今後も必要です。しかし、それだけでは、これからのホテルの価値を十分に説明できません。
これからのホテルは、単に宿泊売上を生む施設ではありません。ホテルは、人を外部から地域へ連れてくる装置です。宿泊客はホテルの中だけで消費するわけではありません。街で食事をし、買い物をし、交通を利用し、観光施設を訪れ、文化体験をし、地域の記憶を持ち帰ります。つまり、ホテルの価値は館内売上だけではなく、ホテルを起点として地域に広がる消費、雇用、回遊、評判、再訪意向まで含めて考える必要があります。
この視点に立つと、ホテル収支表は大きく変わります。従来の収支表は、ホテル内部の利益を測るものでした。これからの収支表は、ホテルが地域にどれだけの価値を循環させているかを測るものへと進化する必要があります。私はこれを「地域循環価値」と呼びたいと思います。
地域循環価値とは、ホテルが外部から人を呼び込み、その人々の消費や活動を地域に循環させる力です。ホテルの中で食事を提供することも価値ですが、宿泊者が地域の飲食店を利用することも価値です。ホテル内で物販を行うことも価値ですが、宿泊者が商店街や地場産品店で買い物をすることも価値です。ホテル内で体験プログラムを販売することも価値ですが、地域の事業者と連携して、街全体に滞在体験を広げることも価値です。
従来の収支表では、ホテルの外に落ちる消費は、ホテルの売上としては計上されません。そのため、館内消費を最大化するホテルの方が、収支表上は高く評価されやすくなります。しかし、地域全体で見れば、すべてをホテル内に囲い込むことが常に最適とは限りません。むしろ、宿泊機能を通じて地域に人を送り出し、周辺の飲食、商業、交通、文化、観光に消費を分配するホテルの方が、地域にとっては大きな価値を持つ場合があります。
ここに、GOP中心のホテル評価の限界があります。GOPはホテル内部の利益を示す重要な指標です。しかし、GOPだけでは、ホテルが地域にどれだけの消費を生み出したかは分かりません。GOPだけでは、ホテルが地域雇用をどれだけ支えているかも分かりません。GOPだけでは、ホテルが災害時にどれだけ社会的機能を果たすかも分かりません。GOPだけでは、ホテルが地域ブランドの向上にどれだけ貢献しているかも分かりません。
したがって、これからのホテル収支分析には、施設内PLに加えて、地域に流れ出す価値を捉える補助線が必要です。たとえば、年間宿泊者数、延べ滞在人数、平均滞在日数、宿泊者の地域内消費額、周辺飲食店への消費推計、交通利用、観光施設利用、地域事業者との取引額、地元雇用者数、地域調達比率、災害時受入可能人数などです。これらは従来のPLには直接表れません。しかし、ホテルの社会的価値を測るうえでは極めて重要です。
特に日本では、この視点がますます重要になります。人口減少が進む一方で、観光需要、インバウンド、地方創生、歴史文化資源の活用、空きビル再生、商店街再生、災害対応、地域交通の維持といった課題が同時に存在しているからです。ホテルは、これらの課題を横断できる数少ない都市機能です。
客室をつくることは、単に宿泊供給を増やすことではありません。地域に滞在人口をつくることです。夜間消費を生むことです。周辺の飲食店や小売店に新しい需要を届けることです。地域雇用を発生させることです。観光資源への導線をつくることです。場合によっては、災害時に帰宅困難者や宿泊者を一時的に受け入れる社会的拠点をつくることでもあります。
このように考えると、ホテル収支表は投資家のためだけの資料ではありません。地域政策の設計図にもなり得ます。どの規模のホテルが、どの地域に、どの客層を呼び込み、どれだけの地域消費を生み、どの程度の雇用を必要とし、どの程度の公共的機能を持ち得るのか。これらを可視化できる収支表は、単なる財務モデルを超えた社会的な判断材料になります。
もう一つ、既存のホテル収支表が見落としがちなものがあります。それは、人件費の本質です。
ホテル収支において、人件費はしばしば「削減すべき費用」として扱われます。売上に対する人件費率が高い、GOPを圧迫している、固定費が重い、というように語られます。もちろん、人件費管理は重要です。人員配置が過剰であれば、収益性は悪化します。しかし、ホテルにおける人件費は、単なる費用ではありません。人件費は、品質を支える資本です。
ホテルは自動販売機ではありません。客室清掃、フロント、予約、料飲、宴会、設備管理、夜勤、クレーム対応、災害時対応、インバウンド対応、地域案内、館内安全管理など、無数の人的判断によって成立しています。どれだけ建物が美しくても、どれだけ客室単価が高くても、現場の人員配置が崩れれば、ホテルの品質は急速に低下します。清掃が遅れ、口コミが悪化し、レートが下がり、離職が増え、採用コストが上がり、最終的には収益力そのものが毀損します。
つまり、人件費を単なる比率で管理することは危険です。売上に対する人件費率だけを見て人員を削れば、短期的にはGOPが改善したように見えるかもしれません。しかし、それはホテルのサービス提供能力を削っているだけかもしれません。人件費は、費用であると同時に、サービス品質、口コミ、再訪率、価格維持力、危機対応力を支える基盤です。
これからのホテル収支分析では、人件費を「削減対象」としてだけでなく、「運営能力」として設計する必要があります。適正な人員配置があるからこそ、ADRを維持できます。適切な清掃体制があるからこそ、客室品質が保たれます。十分なフロント対応があるからこそ、口コミ評価が維持されます。地域案内や体験提供ができる人材がいるからこそ、ホテルは単なる宿泊施設ではなく、地域への入口になります。人件費とは、ホテル価値を生むエンジンなのです。
また、ホテル売上を単純な「室数×稼働率×ADR」に還元しないことも重要です。もちろん、ADR、稼働率、RevPARはホテル経営における中心的な指標です。しかし、それだけではホテル需要の中身は見えません。
同じ1室でも、1名利用なのか、2名利用なのか、ファミリー利用なのか、グループ利用なのかによって、地域消費は大きく変わります。同じ宿泊売上でも、ビジネス客中心なのか、観光客中心なのか、MICE参加者なのか、長期滞在者なのかによって、必要なサービスも、滞在中の行動も、地域への波及も変わります。室数と単価だけを見ても、ホテルが地域に送り出す「人数」や「消費の質」は見えません。
ホテルの価値は、単に室数で決まるものではありません。誰が泊まり、何人で泊まり、なぜ泊まり、滞在中に何をするのかによって決まります。たとえば、同じ客室数でも、シングル中心のビジネスホテルと、ファミリー・グループ・インバウンドを受け入れるホテルでは、地域に与える影響が異なります。前者は安定した稼働を生むかもしれませんが、後者はより大きな地域消費を生む可能性があります。
したがって、これからのホテル収支表には、単なる売上計算ではなく、需要の質を読み解く設計が必要です。客室タイプ、収容人数、宿泊目的、滞在日数、地域消費、アクティビティ参加、MICE利用、交通利用、飲食消費。これらをつなげて初めて、ホテルが地域にもたらす本当の価値が見えてきます。
一方で、投資判断の視点も欠かせません。ホテル事業は、不確実性の大きい事業です。稼働率、ADR、人件費、光熱費、修繕費、OTA手数料、金利、建築費、為替、インバウンド需要、災害、感染症、競合供給など、多くの変数に影響されます。そのため、単年度の収支だけを見て投資判断を行うことは危険です。
感度分析は、事業の脆さと強さを可視化します。ADRが少し下がったらどうなるのか。稼働率が想定より低ければどうなるのか。人件費が上昇したら、GOPはどこまで耐えられるのか。建築費が上がった場合、投資採算は成立するのか。こうした問いを持たない収支表は、希望的観測の表にすぎません。感度分析を組み込むことで、収支表は「予測」から「リスク認識」へ進化します。
ただし、投資採算だけを最終目的にしてしまうと、ホテル評価はまた狭くなります。投資家にとって成立するホテルが、地域にとって良いホテルであるとは限りません。逆に、地域にとって重要なホテルが、短期的な投資指標だけでは評価されにくい場合もあります。ここに、ホテル評価の難しさがあります。
だからこそ、収支表には投資家視点と地域視点の両方が必要です。IRRだけでは不十分ですし、経済波及効果だけでも不十分です。ホテルは民間事業であると同時に、地域に開かれた社会的装置でもあるからです。重要なのは、どちらか一方を優先することではなく、両者を同じテーブルに載せることです。
このように考えると、ホテル収支表は、投資、運営、地域、労働、観光、行政をつなぐ共通言語になります。投資家はIRRを見るかもしれません。運営者はGOPを見るかもしれません。行政は経済波及効果を見るかもしれません。地域は雇用や消費を見るかもしれません。従業員はシフトや賃金を見るかもしれません。宿泊者は価格と体験を見るかもしれません。これらは本来、別々の利害です。しかし、収支表の中に統合すれば、ホテルをめぐる議論はより立体的になります。
ここで重要なのは、現在のホテル収支表に地域循環価値の視点が十分に入っていないことは、論稿上の弱点ではないということです。むしろ、それこそが本稿の出発点です。既存の収支表が見落としてきた価値を、どのように可視化するか。そこに、これからのホテル評価の革新性があります。
既存の収支表は、ホテル内部の利益を測るために発展してきました。しかし、これからのホテルは、内部利益だけでは評価できません。地域に人を呼び込み、消費を循環させ、雇用を支え、観光の質を高め、災害時には社会的機能を果たす。そうした価値を持つホテルを評価するには、収支表そのものを進化させる必要があります。
結論として、ホテル収支表は、まだホテルの価値を測りきれていません。現在の収支表は、GOPやNOIを計算するうえでは有効です。しかし、それだけでは、ホテルが社会の中で果たしている本当の役割を捉えることはできません。
これから問われるのは、ホテルがどれだけの利益を生むかだけではありません。どれだけの人を地域に呼び込み、どれだけの消費を循環させ、どれだけの雇用を支え、どれだけ地域資源を活かし、どれだけ災害時にも機能し、どれだけ持続可能な観光を実現するかです。
ホテル評価の次の時代は、GOP中心の時代から、地域循環価値を可視化する時代へ移行します。そのとき、収支表は単なる計算表ではなく、都市と観光の未来を描く設計図になります。ホテル収支表とは、ホテルの利益を測るものから、ホテルが社会の中でどのように価値を生み、循環させ、持続させるかを問うための道具へと進化していくべきなのです。
株式会社日本ホテルアプレイザル代表取締役/株式会社サクラクオリティマネジメント代表取締役/一般社団法人宿泊施設関連協会副理事長 北村剛史




