【日本ふるさと紀行 40】旧毛馬村(大阪市都島区)~俳人・画家の蕪村のふるさと 旅行作家 中尾隆之


淀川の開削で水没した菜の花咲く里

 「菜の花や月は東に日は西に」。この名句でおなじみの与謝蕪村(よさぶそん)は江戸中期の俳人・画家。絵画的で浪漫的な俳風で、芭蕉や一茶とともに近世俳諧史を彩った文人である。

 生誕地は河川改修で水の底に消えた淀川河畔の旧毛馬(けま)村。いちめん菜の花畑ののどかな農村だ。今の都島区毛馬町に当たる。

 そこへは大阪駅前から守口車庫行きのバスで20分ほど。下車した毛馬橋のそばに詩集『春風馬堤曲』に出てくる毛馬の堤を表現したという蕪村公園があった。

 園内に並ぶ13の自筆句碑の中に「夏河を越すうれしさよ手に草履」を見つけた。中学の国語の授業で「目に浮かぶ情景、伝わる清涼感、にじむ母への思慕」と熱っぽく教えてくれた先生を思い出した。

 カモメが舞う大川(旧淀川)沿いの道を3分ほど歩くと、コンクリート造りの巨大な毛馬水門・閘(こう)門の堤に出た。高く長く延びる堤に蕪村生誕地の碑があり、傍らに「春風や堤長うして家遠し」の大きな句碑が立っていた。

 蕪村、谷口信章がこの地の裕福な農家に生まれたのは享保元年(1716)。10代後半に母と父を相次いで亡くし、家を失う。20歳頃、江戸に出て俳諧や画業に精進。先に画名を高め、結城、下館や京都、宮津に転住。敬慕する芭蕉を追って東北地方も訪ねている。

 しかし、「幼童之時、春色清和の日には心友たちと此堤に登りて遊び候」など手紙や俳句に望郷の思いを寄せ、また大阪に来ていながら、なぜか一度も毛馬村に帰らなかった。

 そのふるさとは、度々の洪水を教訓に本流を大川とまっすぐな新淀川に分流。水門や閘門、淀川大堰などの治水、利水施設の設置ですっかり変貌した。

 変わらず流れる淀川と仕掛けられた近代的構造物とがつくる景観には目を見張らされる。だが「五月雨や大河を前に家二軒」と詠んだ蕪村には、どう映るのだろうか。

(旅行作家)
●大阪観光局TEL06(6282)5900

 

 
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