【日本ふるさと紀行 38】湯田温泉(山口市)~抒情派詩人・中原中也のふるさと 旅行作家 中尾隆之


維新と文学ゆかりの山陽の湯の町

 山口県中央部、山口線沿線にある山口市は、守護大名大内氏が京の都を模した町づくりをして栄えた“西の京”と呼ばれた町である。

 フランシスコ・ザビエル記念聖堂や国宝五重塔の瑠璃光寺、池泉回遊式の雪舟庭の常栄寺のほか、800年余の歴史をもつ湯田温泉でも知られている。

 この温泉街の中心部の明治の元勲・井上馨の屋敷跡の井上公園の石碑にこんな詩が刻まれてあった。

これが私の古里だ
さやかに風も吹いている
あゝおまへは何をして来
たのだと
吹き来る風が私にいふ

 そうだ、ここ湯田温泉は日本のランボーと称された抒情派詩人・中原中也の故郷。明治40年(1907)に開業医の長男として生まれている。近くの生家跡に建つ中原中也記念館で愛用の黒いソフト帽の写真に迎えられ、自筆原稿、遺品、書籍などに見入った。

 年譜によると、幼年期は軍医の父について中国や金沢、広島に転住。父が跡継ぎのない母方の中原医院の養子に入ったので、山口の小・中学校に通う。成績優秀で神童と呼ばれたが、街の風紀が悪いと外遊びを禁じられるなど、両親の偏愛・溺愛の下で育った。

 中学時代、読書や短歌にのめり込み、学力が低下。3年に進級できず立命館中学に編入。卒業後、京都で知り合った3歳年上の愛人と上京し東京外語大で学ぶ。

 その間に小林秀雄や大岡昇平らと知り合い、詩集『山羊の歌』を出版。ランボーの詩集を翻訳するなど新進詩人として名をなすが、生活は母の仕送りに頼った。

 振る舞いは時に傍若無人で酒乱だったという。幼い長男を亡くし、心身耗弱で帰郷を決心するが、30歳で鎌倉にて病死。育ちや相貌から想像のつかない無頼な生活を知れば、詩に潜む虚無と倦怠が胸に沁(し)みる。

汚れっちまった悲しみに
今日も小雪の降りかかる
汚れっちまった悲しみに
今日も風さえ吹きすぎる

(旅行作家)

 ●山口市観光交流課TEL083(934)2810

 
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