跡見学園女子大学で教えていた松坂健先生が、去る10月8日に逝去されました。
読者の皆さんなら、私よりも長く深くお付き合いをされていた方もいらっしゃるでしょうし、あまりに突然のことで、まだ事実を受け入れられないのではとお察しします。それは私も同じです。
ちょうネクタイがトレードマーク。着物もよくお似合いになる、おしゃれでダンディーな松坂先生。早口で熱っぽく語るその内なるエネルギーに、私はいつも圧倒されていました。
才能があふれる先生は多方面で名声を極められていましたが、専門という意味では主に二つの分野でしょう。
まず、ミステリー評論家として、多大なる功績を残されました。11月には「二人がかりで死体をどうぞ」という共著のミステリー時評集を上梓する予定でした。松坂先生の訃報を早川書房が公式ホームページに発表すると、名だたるミステリー作家や評論家が追悼コメントを出していました。そこには先生の面倒見の良さへの感謝の文面が並んでいます。
もう一つ、松坂先生は観光ホスピタリティの権威です。
権威でありながら、その敷居は低く、「あそこ(〇〇旅館)の息子がね、ちょっと心配なんだ」「あの娘(若女将)は気が利くんだ。あとは旦那がしっかりすれば」など、さまざまな旅館の裏事情を把握された上で、いつも気にかけていました。「家業」である温泉旅館の皆さんにとって、どれほど心強い存在だったでしょう。先生の口癖は、「チェーンはダメね。金太郎あめになるからね。没個性の旅館はダメだよ」。だからこそ、「家業」であるがゆえの家族間のもめごとにも耳を傾けていたのだと思います。
外食産業にも精通されていました。美食家の先生はたびたびおいしいご飯に連れて行ってくださいました。ある時は、アメリカ資本のステーキ専門店で、「こうしたクオリティの高いホスピタリティをチェーン店で提供できるのは、アメリカのすごさだね」と外食産業の持論とアメリカにリサーチに行った時の詳細を聞かせてくださいました。
元々柴田書店で複数の雑誌編集長を歴任されていましたから、私にとっては身近な編集者。私が新刊を出すと、必ず読んで書評してくださいましたし、Webに掲載された原稿も、「あれはいいね。温泉アンソロジーを出版する時の一編に入れたらいいよ」とありがたいアドバイスも。
また初めて取材する旅館オーナーには、「松坂先生にご指導いただいております」と、先生のお名前をちゃっかり出したものです。こうして先生の力をお借りすることに、先生は喜んでくれていました。
跡見学園女子大学を退官された2019年の卒業式、松坂先生のゼミ生が「マツケン追い出しパーティー」を開催。先生のご人脈ゆえに、場所は帝国ホテルとなり、着飾った女子大生40名ほどが先生を囲んだ豪華絢爛(けんらん)なひと時は、実に素晴らしかったです。
最後にお会いしたのは昨年の初夏のこと。「いま、澤さんところにいるよ!」と、お電話をいただきましたので、谷中の澤の屋さんに駆けつけ、澤功さん、松坂先生ご夫妻とおいしいケーキを食べながらお喋りしました。
この時、松坂先生は既に闘病中で、お痩せになったなと感じましたが、語る勢いは闘病前と変わっていません。コロナ禍であっても、先生のお知り合いの都内の旅館を泊まっているという話を興奮気味にされていました。「日本橋のホテルかずさやがね、リニューアルしたんだよ。日本橋風に、江戸の色を用いて本当に品よく仕上がった。大浴場もいいんだ。今度紹介するよ」と。どこまで面倒見がいいのでしょう。感謝しかありません。
松坂先生、いつも気にかけていただきまして、本当にありがとうございました。心よりご冥福をお祈り致します。
(温泉エッセイスト)