約120人参加 震災体験と教訓の伝承方法など探る
東日本大震災からの記憶や教訓を語り継ぐ「東北被災地語り部フォーラム2021」が2月28日、宮城県気仙沼市のサンマリン気仙沼ホテル観洋で開かれた。震災から10年を迎え、被災地の景観が大きく変貌を遂げる中、国内外から約120人が参加し、震災の体験と教訓を後世に伝える伝承方法を語り合った。1部はパネルディスカッション、2部の3分科会では意見を交換。動画投稿サイト「ユーチューブ」でも配信した。
活発な意見が交わされたパネル討論
阿部隆二郎実行委員長(南三陸ホテル観洋副社長)は「気仙沼での開催は初となるが、これまで東北や全国の被災地の語り部関係者が毎年集いシンポジウムやフォーラムを開催し、今年で8回目となる。情報を共有し、震災の教訓を世界に発信、語り部の活動や震災遺構の重要性を改めて認識して、さらに後世に伝えていければと思っている」とあいさつ。
メインセッションでは川島秀一・東北大学災害科学国際研究所シニア研究員が「災害を書くこと・語ること」と題し基調講演した。
パネルディスカッションは「次の10年の語り部」をテーマに、復興みなさん会代表の後藤一磨氏をコーディネーターに行った。
大川小学校に通っていたわが子を津波で亡くした元教員で、NPOカタリアドバイザー・大川伝承の会共同代表の佐藤敏郎氏がその体験から「真実から目を背けたくなる時もあったが、あの日と向き合うことが大切。被災原因の検証と共有はまだ途上にある」と指摘した。
福島県富岡町の3・11を語る会代表の青木淑子さんは「語り部活動を中核にして富岡町の未来を担う若い世代と一緒に考え語り継ぐことが大切だ」と語った。
丸文松島汽船・松島復興語り部クルーズの横山純子さんは「海上の船の上で大震災を経験。お祭りが伝承するように一から震災の教訓を後世に伝えていくべきだ」と方言を交え説明した。
岩手県大船渡津波伝承館館長の齊藤賢治氏は「知らない行動は災害時にはとれない。だから経験者が後世に語り伝える合い言葉は『津波だ・逃げろ』だ」と訴えた。
分科会では「次の10年をつなぐ次世代の語り部」「震災遺構・人と記憶を繋いでいくために」「KATARIBE(語り部)・世界へ」の三つのテーマで意見を発表、白熱した議論が行われた。
フォーラムに先立って語り部バスを運行。リアス・アーク美術館、命のらせん階段や気仙沼港域内の被災地を回った。1日には南三陸町の震災遺構の一つ「高野会館」や旧南三陸町防災対策庁舎周辺を整備した「南三陸町震災復興祈念公園」を巡るエクスカーションも行われた。
整備が進む宮城県南三陸町の震災復興祈念公園。津波とほぼ同じ高さの22メートルまで土が盛られて作られた
現在の気仙沼港。穏やかな港の風景が広がる
あいさつする阿部実行委員長