
雨宮社長
コロナ禍からの復活と使命感
私の住む山梨には日蓮宗の総本山である身延山久遠寺があり、内野日総(うちのにっそう)法主猊下(げいか)が住職をお務めです。法主猊下は97歳とは思えないほど矍鑠(かくしゃく)として明晰(めいせき)であり、慈悲にあふれる存在のお方です。
私は地元交通を担う者として、また業界の旗振り役として、たびたび法主猊下にお目に掛かり、仏教の教え、そして地域の振興、観光の振興、また世界観まで幅広くご教示いただいております。
静寂とした大伽藍(だいがらん)の中で営まれる朝のお勤めでは、法主猊下の主導で世界平和と日本国の安寧がお祈りされ、われわれ凡人の願い事とは格段に違う崇高な祈りの世界である一方、信徒のみならず全ての参拝者(観光客)の利便性を察して、参拝用石段の近くには斜行エレベーターを設置し、歴史ある建物でも階段をスロープに替え、手すりを付け、トイレも最新式に改善する等、自ら指示される実行力みなぎるリーダーでもあります。
この崇高な思想と行動をお持ちの法主猊下も相当なご高齢、この力の源泉は何だろうと質問させていただきました。いただいた答えは「使命感ですよ」というものでありました。使命感こそ心の原点なのでしょう。
話を別事に変えますが、ウクライナでの戦禍の悲惨は毎日のテレビニュースを見るたびに心が痛みます。そして、戦禍の画像の奥に、彼の地のバスやタクシーそして鉄道が避難民を乗せて国境まで来ては、また折り返して戦闘の中に民衆を助けに行く姿を何度も見かけます。本当は自身も逃げ出したいはずの、恐ろしい状況の中に戻る勇気はどこから出てくるのでしょうか。
それは恐らく、公共交通に身を置くものとしての使命感であると思います。
山梨の乗務員たちも、このコロナ禍で誰一人乗務を拒否する者もなく、日夜お客さまに接し輸送を続けています。
また、東北の震災の時、運行中の路線バスが周囲にいた人々に声を掛け、乗れるだけ乗ったバスで高台へ避難した話も聞きました。彼らも当地の乗務員も、自身が輸送という技で地域の皆さんに貢献していることを誇りに思って仕事に励んでいるのです。
日本ではウクライナのような戦争はないと思いますが、大きな災害が発生した場合でも、公共交通の従事者はきっと輸送を続けるだろうと確信できます。
翻って今回のコロナ禍、それに続く燃油の高騰と、交通業界は苦しみの連続ですが、私たちの持つこの使命感こそが行動の原動力となり、きっと皆さまの輸送を守り、社業を復活させることができると信じる次第です。
雨宮社長