東日本大震災の記憶や教訓を語り継ぐ「東北被災地語り部フォーラム2017」が1月29日、宮城県南三陸町のホテル観洋で開かれた。震災から6年が経ち、復興工事が進み景観が大きく変貌を遂げる中、国内外から約320人が参加し、震災の体験と教訓を後世に伝える方法を語りあった。1部はパネルディスカッション、2部の分科会では意見交換が行われた。最後に地元の小中高校生の代表者らが「私たちは被災地の語り部となって10年、100年、千年先まで命を守ることを伝えていく」と宣言した。
実行委員長の阿部隆二郎氏は「語り部のネットワークをさらに強化し、語り部を継承することが自然災害の減少につながる。大震災の教訓を語り継ぐことはわれわれの責務だ」とあいさつした。
オープニングで岩手県釜石市の「釜石あの日・あの時甚句・つたえ隊」の北村弘子さんと藤原マチ子さんが、被災者の思いを歌詞にした相撲甚句を披露した。
パネルディスカッションでは、大川小学校に通っていたわが子を津波で失ったという、元教員で現在、石巻市の「小さな命の意味を考える会」の佐藤敏郎代表がその体験から「真実から目を背けたくなる時もあったが、あの日と向き合うことが大切。被災原因の検証と共有はまだ途上にある」と指摘した。
気仙沼市のリアス・アーク美術館の山内宏泰学芸係長は震災(津波)の風化を指摘。「当時の震災の被害を、次世代へどのように伝えるかを検討しなければならない。そして情報の共有と証言の収集を急がなければならない」と訴えた。
釜石市の北村さんは甚句の完成までの心の葛藤と思い入れを説明。「どんなに辛くとも、忘れなければ生きられないが、忘れてはいけないことがある」と述べた。
分科会では兵庫県淡路市の北淡震災記念公園の宮本肇総支配人、小野寺寛NPO法人夢未来南三陸町づくり事業部長を始めアンジェラ・オルティス南三陸復興応援大使や地元の高校生代表らが「震災遺構と語り部を考える」「未来へ・これからの語り部と伝承とは」「自然災害を学び減災へつなげる」「KATARIBE(語り部)・世界へ」の四つのテーマに分かれ意見を発表、白熱した議論が行われた。
また、フォーラムに先立って行われた「語り部バス」には約100人が参加。震災遺構の一つの「高野会館」や「南三陸町防災対策庁舎」などの被災地を回った。
兵庫県淡路市の国際会館で、第2回「全国被災地語り部シンポジウムin西日本」が2月26、27日に開かれる。