温泉で満たされたへーヴィーズ湖で入浴中
国際交流基金ブダペスト日本文化センター主催イベントに参加
本紙にコラムを連載する温泉エッセイストの山崎まゆみさんが、外務省の外郭団体が主催する中欧ハンガリー、チェコ両国での温泉に関するイベントに講師として参加。日本の温泉文化を現地の人々に伝えるとともに、現地の温泉地を視察した。当日の様子について山崎さんに話を伺った。
「日本の温泉がこんなにも人気なんだ」。それが、私がハンガリーとチェコから持ち帰った、最も率直な感想と驚きです。
今年、外務省の外郭団体である国際交流基金ブダペスト日本文化センターから招へいを受け、9月18日から28日まで、11日間にわたってヨーロッパ中部の2カ国を訪れました。ハンガリーの首都ブダペストと、チェコの首都プラハ。それぞれの地で、日本の温泉文化を伝える講演を行い、現地の温泉関係者とセッションを重ねました。
この依頼の打診は、実は昨年の5月にさかのぼります。およそ1年越しで事業化が決まり、今年1月に正式な依頼を受けました。それから私はずっと考え続けていました。「日本の温泉文化」を、どう伝えるか、と。

ブダペストのイベントポスター
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講演では、日本の温泉文化を一言で語ることの難しさを正直に認めた上で、一つの答えとして「旅館」を選びました。
旅館に泊まった時のことをイメージしてもらう。和食、畳、布団、浴衣、温泉、そして女将の存在。それら全てが一体となって体験できる場所が、日本の旅館です。参加者の皆さんに、その追体験をしてもらうような講演を心掛けました。
テーマは「2030年のユネスコ登録(ユネスコ無形文化遺産登録)に向けた、日本の特有の温泉文化」。1300年前から続く温泉の歴史、江戸時代に花開いた温泉文化、湯治によって体を整えてきた日本人の暮らし。こうした背景をていねいに伝えた上で、現代の課題として「稼ぐことと文化の保存・継承のバランス」を提起しました。
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私が驚いたのは、その反応の大きさでした。
ブダペストの会場は、1週間前に告知をしただけで、120人の定員がすぐに満席になりました。それだけで胸がいっぱいになりました。さらに、ハンガリーの方々は一般的には時間にのんびりとされる国民性だそうですが、私が準備をしている1時間前から、既に皆さんが入場し始めていたのです。
チェコでは在チェコ日本国大使館広報文化センターで50人弱の規模でしたが、こちらも瞬く間に満員となり、キャンセル待ちが出るほどの人気でした。
講演とセッションは2時間の予定でしたが、その後の質疑応答が終わらず、1時間オーバーしました。それでも、全ての質問に答えきることができませんでした。

ブダペストのイベントで講演中
聴衆の皆さんは主に40代から50代。夜のイベント(開始は6時半ごろ)に早めに来てくださった方々は、日本に興味を持つ熱心な人たちでした。チェコの会場では参加者の8割が、日本の温泉旅館を体験済みでした。「温泉」という言葉を私は一度も英語に訳さず、全て「温泉」として話し続けましたが、それで十分通じました。温泉は、もはや世界共通語になりつつあるのかもしれません。

ブダペストのイベントでセッション中
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ハンガリーとチェコで、全く同じ問いが繰り返されました。それは、私が日本に持ち帰った大きな「課題」です。

チェコ・プラハでのイベント中
一つ目は、温度についてです。「日本の温泉は温度が高くて入れなかった」「50度もあるのか」という声が相次ぎました。ハンガリーやチェコの温泉はぬるめであることが多く、日本の温泉の熱さは口コミとして広まっているようです。50度ではなく、実際はせいぜい42度程度ですが、その認識のギャップは、インバウンド対応を考える上で無視できない問題です。
二つ目は、タトゥーの問題です。チェコの会場の最前列に、全身にタトゥーの入った大柄な男性が座っていました。私の講演を聞いて旅館に泊まりたいと思ったのでしょう。彼の質問はこうでした。「タトゥーを持つ人が入れる専門の温泉があると聞いた。どこにあるか」。さらに、日本でタトゥーを隠すためのシールがあることも知っていましたが、「全身がタトゥーで覆われているから、シールでは貼りきれない。どうすればいいか」と聞いてきたのです。
私はその場で、客室付きのお風呂や貸し切り風呂など、プライベートな入浴施設が日本では充実していることをお伝えしました。むしろそちらのほうがラグジュアリーな体験ができる、と。
三つ目は、ジェンダーの問いでした。「女性の尊厳についてどう思うか」という問いは、性自認と身体的性別が異なる方が、どちらの浴室に入ればよいのかという問題提起でした。ハンガリーでもチェコでも、同じ質問が出ました。
私は、日本では女性向けの露天風呂が景色の良い側に設けられることが多いなど、女性が優遇されている面を伝えつつ、最終的にはやはり貸し切り風呂や客室のお風呂という選択肢を案内しました。
正直、この三つの問いは、問題認識はあったものの、突き付けられた思いです。2030年に日本の温泉文化がユネスコ登録されて世界からの来訪者が増えた時、同じ問いが温泉地に次々と届くはずです。「分かってはいた」では済まない局面が、確実に近づいています。

ブダペストのイベント中、参加者は熱心に耳を傾ける
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今回訪れた2カ国の温泉文化は、互いに全く異なるものでした。
ハンガリー、中でもブダペストは、まさに温泉大国です。ブダペストだけで100カ所の温泉があり、市民が自分だけの「マイ温泉」を持つのは珍しいことではありません。老若男女が日常的に温泉へ通い、医療保険でも温泉療養が認められています。セーチェーニ温泉のSNS映えするプールは世界中から観光客を集め、日本人の姿もありました。

ブダペスト市内で病院の一角にある入浴施設ベリ・ベイ温泉
一方、バスで2時間半かかるヘーヴィーズ温泉は、湖そのものが温泉という保養地で、緑に囲まれた静かな美しさはドイツのバーデンバーデンを思わせるものがありました。

温泉で満たされたへーヴィーズ湖で入浴中

へーヴィーズ湖に温泉が湧き出る地質構造
チェコは、「飲む温泉」の文化が根付いています。草津温泉(群馬県)の姉妹都市でもあるカルロヴィ・ヴァリには飲泉所が街中に点在し、専用のカップを手に温泉を飲みながら散策する光景が見られました。私も実際に飲みましたが、舌と喉にミネラルが残るような独特の味(笑い)。入浴の文化はというと、むしろ医療施設での療養として行われるものが中心です。

カルロヴィ・ヴァリの温泉・療養医学研究所を訪問

コルビジュが「ケーキのよう」と称したかわいらしいカルロヴィ・ヴァリの町中

カルロヴィ・ヴァリの町案内。ここにはベートーヴェンやゲーテ等文化人も愛した
両国に共通していたのは、EUや国家の支援のもとで医療と温泉が密接につながっているという点でした。温泉施設の目の前に病院があり、白衣の研究者が行き来する光景を何度も目にしました。温泉で保険が適用される仕組みは、エビデンスの整備が進んでいない日本からすると率直にうらやましいものでした。
一方で、日本の温泉はもっとメンタリティを重視したものです。「癒やし」という言葉に凝縮されるような、心身をトータルで整える文化として根付いています。
アプローチは異なれど、どちらも温泉を愛してやまない人々がいることは確かです。私たちと良き交流ができると、現地で強く感じました。

へーヴィーズ湖の周りで優雅に過ごす人たち
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忘れられない言葉があります。
ハンガリーで、在ハンガリー日本国大使館の木村徹也大使と食事をご一緒した際、大使はこうおっしゃいました。「日本の温泉地とハンガリーで、温泉を通じた交流がしたい。そのきっかけを、山崎さん、つくってくれないか」と。
窓口が見つからない、という切実さもにじんでいました。それはブダペスト・スパのCEOも、カルロヴィ・ヴァリの関係者も、みなが口をそろえて言っていたことです。日本とハンガリー、チェコが、温泉を軸に交流を深めたい、と。
大使のお話では、日本ブームには段階があるとのことでした。最初のブームは茶道、武道といった伝統文化。現在は漫画・アニメが第2次ブームとして世界を席巻しています。そして次の第3次ブームとして、温泉に来てほしい、と。政府が推進するソフトパワー戦略の一翼として、温泉を盛り上げていきたいという強い意思表示でした。
これは個人として持ち帰れる話ではないと感じ、まず観光業界に向けて伝えることを決めました。このインタビューも、その第一歩です。
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10泊11日のハードな旅を終えて帰国した私は、確信を深めています。「比べてこそ、日本の温泉文化の輪郭がはっきりと見えてくる」と。
日本の温泉は温度のバリエーションが豊かで、源泉の種類も多様です。旅館という文化的な空間の中で、和食、畳、布団、浴衣、女将という存在とともに体験できる。それも地域を象徴しています。それらは全て日本的情緒です。そうした豊かさは、ヨーロッパの温泉文化と並べることで一層、際立ちます。
現地の皆さんに講演をした後、旅館の建物のこと、畳のこと、和食のこと、もっと深く勉強しなければと痛感して帰ってきました。知っているようで、まだ語り尽くせていないことが山ほどあります。
2030年のユネスコ登録を見据えながら、自分なりの「温泉文化論」を本として書き上げることが、今の私の目標です。きちんとした場でのセッションを重ね、世界と対話しながら、日本の温泉文化の真髄を伝え続けていきたいと思っています。




