ホテルにおける「安心感」はいかに形成されるか 必須条件、加点要素、予測可能性、そして記憶に残る体験 北村剛史


北村氏

1.はじめに

 ホテルを利用する顧客は、何を求めているのでしょうか。

 快適さ、接客、食事、立地。いずれも重要です。しかし、そのさらに根底には、「このホテルなら安心して過ごせる」という感覚があるのではないでしょうか。

 ホテルとは、自宅とは異なる空間に、自分自身を、ときには家族や大切な財物まで預ける場所です。安心して眠ることができる。安心して荷物を置くことができる。設備を迷わず使うことができる。困ったことが起きれば、きちんと対応してもらえる。

 だからこそ、ホテルの価値を考えるうえで「安心感」は極めて重要な概念だと考えます。

 これまでホテル・観光分野では、顧客満足や再訪意向が主な結果として論じられてきました。しかし、満足はどちらかといえば、滞在を振り返った後の総合評価です。一方、宿泊中に顧客が絶えず感じ取っているのは、

 「ここにいて大丈夫か」「このホテルに任せてよいか」という、もっと根源的な感覚ではないでしょうか。

 本稿では、この「安心感」を独立した結果として捉え、その形成構造を考えてみたいと思います。

 

2.安心感には、二種類の要素がある

 安心感を考えるうえで、まず重要なのは、すべてのサービス要素を同じ性質のものとして扱わないことです。

 例えば清潔感です。

 客室が十分に清掃されていても、それだけで顧客が大きく感動することは多くありません。しかし、浴室に髪の毛が残っている。寝具が汚れている。異臭がする。その瞬間、「このホテルは大丈夫だろうか」という不安が生まれます。

 基本的な機能性も同様です。

 空調が動かない。照明の操作が分からない。シャワーが使いにくい。Wi-Fiがつながらない。

 こうした基本機能が損なわれれば、スタッフがどれほど笑顔で丁寧であっても、その不安を完全に埋めることは難しくなります。

 一方、共感性、丁寧さ、個別対応などは性格が異なります。

 顧客の様子を察する。言葉にされる前に必要なことを考える。旅行目的に応じ、一歩先の提案をする。これらがなくても宿泊そのものが直ちに成立しなくなるわけではありません。

 しかし、あれば顧客は、「自分のことを理解してくれている」「ここなら任せられる」と感じます。

 そこで、前者を「必須条件」、後者を「加点要素」と捉えます。

 この考え方は、狩野モデルにおける「当たり前品質」「魅力品質」の考え方とも親和性があります。ただし、本稿で考えたいのは満足・不満足だけではありません。安心感そのものが成立するかどうかです。

 必須条件は、「あればプラス」なのではありません。

 欠けると安心感そのものが成立しにくいものです。

 一方、加点要素は、あるほど安心感を高めるものです。両者は、安心感に対して非対称に作用します。

 極めて単純化すれば、

 

安心感 = 必須条件の充足 × 加点要素の積み重ね

 

 と表現できます。

 重要なのは、足し算ではなく掛け算で考えることです。

 どれほど優れた接客や共感があっても、客室が不潔で設備が正常に機能しなければ、安心して身を預けることはできません。

 ホテルの安心感には、他の長所によって補うことが難しい「非補償性」があるのです。

 

3.安心感は、時間の中で形成される

 ただし、必須条件と加点要素を一度提供すれば、それで安心感が完成するわけではありません。

 ホテルは、時間的に連続したサービスです。顧客は宿泊前からすでにホテルを評価し始めています。ブランド名、公式ホームページ、OTA(Online Travel Agent=旅行予約サイト)の写真、口コミ、価格、予約確認メール。そしてホテルに到着すれば、玄関、ロビー、照明、香り、音、スタッフの立ち居振る舞い、フロントでの会話などから、

 「このホテルはこういうホテルなのだ」という認識を形成していきます。

 なかでも重要なのが、到着直後のフロントです。

 洗練されたチェックインを経験した顧客は、そのスタッフ一人だけを評価しているわけではありません。

 無意識のうちに、「このホテルでは、この水準がこの後も続くのだろう」と考えます。

 つまり第一印象とは、その場限りの評価ではありません。その後の宿泊体験に対する「基準値」をつくる行為でもあるのです。第一印象が高ければ高いほど、その後に対する期待も高まります。

 それはホテルにとって資産であると同時に、顧客に対して交わした「最初の約束」でもあります。

 

4.安心感とは、「予測できること」でもある

 ここで、もう一つ重要になるのが「予測可能性」です。

 人は、次に何が起こるか分からない状況では、無意識に警戒します。

 反対に、「このホテルなら、こう対応してくれるだろう」、「困ったときには、きちんと助けてくれるだろう」、「誰に聞いても、ある程度同じ水準で対応してくれるだろう」、と予測できるようになると、警戒は下がります。

 つまり安心感とは、単に事故が起きないことや、設備が壊れていないことだけではありません。

 このホテルが次にどのように振る舞うのかを、ある程度予測できる状態でもあるのです。

 ここで重要なのは、顧客はホテルを部署ごとには見ていないということです。

 顧客にとって、フロント、客室、レストラン、電話応対は、すべて「一つのホテル」です。

 フロントでは非常に丁寧だった。しかし客室から電話すると、対応が急に冷たくなった。

 温かみを打ち出していた。しかしレストランでは機械的な応対だった。

 地域とのつながりを強く語っていた。しかし、館内に入ると地域性がほとんど感じられなかった。

 こうしたとき、顧客が感じるのは個別サービスへの不満だけではありません。

 「最初と違う」という不整合です。

 そこで失われるのは、単なる評価ではありません。

 「次も同じ水準であるだろう」という予測可能性です。

 したがって、時間軸まで含めた安心感は、

 

安心感 = 必須条件の充足 × 加点要素の積み重ね × 一貫性

 

 という構造で捉えることができます。

 ここでいう一貫性も、掛け算の項です。

 軽微な不整合であれば、安心感は多少低下するだけかもしれません。しかし、最初に示した水準を根本から裏切るような不整合は、安心感そのものを大きく損ないます。一貫性が予測可能性を生み、予測可能性が安心感を維持するのです。

 

5.フロントは「シーンメイク」の起点になる

 この考え方に立つと、フロントの役割も少し違って見えてきます。

 フロントとは、単にチェックイン手続きをする場所ではありません。そのホテルが何を大切にし、顧客にどのような滞在を提供しようとしているのか。その最初のシーンを顧客に示す場所でもあります。本稿では、これを「シーンメイク」と呼びます。

 例えば、地域文化を大切にするホテルであれば、フロントで地域の物語に触れる。ロビーでは地域に関係するアートを感じる。客室には地域産品が置かれている。レストランでは地元食材を味わう。スタッフとの会話から周辺地域について知る。

 一つひとつは、異なる体験です。しかし、その背後には、「地域とのつながり」という一つの概念が流れています。

 ここが重要です。

 優れたホテル体験とは、単にコンテンツの数が多いことではありません。

 異なるコンテンツが、一つの意味に向かっていること。

 言い換えれば、体験に「概念的な連続性」が存在していることです。

 

6.体験は「重なる」ことで記憶になる

 この概念的な連続性は、顧客の記憶にも大きく関係すると考えます。

香りが良かった。料理がおいしかった。アートが美しかった。スタッフが親切だった。

 それぞれが優れた体験であっても、相互に関係がなければ、宿泊後には断片的な記憶として薄れていく可能性があります。一方、それぞれ異なる体験であっても、その背後に同じ概念が流れていたらどうでしょうか。フロントで示されたホテルらしさが、客室でも、料理でも、アートでも、スタッフとの会話でも、異なる形で繰り返し現れる。そのとき顧客は、個々の出来事をばらばらに記憶するのではなく、

 「あのホテルは、こういうホテルだった」という一つのまとまりとして記憶するのではないでしょうか。

 私は、これを次のように捉えています。

 

記憶に残る体験 = 概念的一貫性 × 関連する体験の重なり

 

 もちろん、これは厳密な数学モデルではなく、ホテル体験の構造を整理するための概念式です。

 ここでいう「重なり」とは、同じサービスを繰り返すことではありません。

 異なる体験が、同じ意味を補強し合うことです。

 フロントで示した意味を客室が補強する。

 客室で感じたものを食事が補強する。

 食事で感じたものを、スタッフとの会話がさらに補強する。

 一つの体験が次の体験につながり、さらに次の体験がその意味を確認する。

 こうして関連するコンテンツが複数のシーンで重なることで、そのホテルらしさが一つのまとまりとして顧客の記憶に残っていくのだと考えます。

 

7.一貫性が、安心感と記憶を結ぶ

 ここまでを整理すると、ホテル体験には二つの流れがあります。

 一つは、安心感です。必須条件が充足されることで、安心感が成立する。

 加点要素が積み重なることで、安心感が高まる。そして、一貫性によって予測可能性が生まれ、その安心感が時間の中で維持される。

 もう一つは、記憶です。

 フロントで行われるシーンメイクを起点として、概念的な連続性が生まれ、関連する体験が重なることで、そのホテルらしさが記憶として残っていく。

 そして、この二つを結び付けているのが「一貫性」です。一貫しているから、顧客は次を予測できます。予測できるから、安心できます。そして、一貫した意味が異なる場面で繰り返されるから、そのホテルらしさが記憶に残ります。つまり一貫性とは、単なるサービス品質管理の問題ではありません。

 安心感と記憶の双方を形成する、ホテル体験の中心的な構造なのです。

 

8.おわりに

 ホテルサービスを考えるとき、各項目の点数だけを見ていては、その本質を捉えきれないように思います。

 何を欠いてはいけないのか。

 何を積み重ねれば、安心感が高まるのか。

 その安心感を、宿泊という時間の中でどのように維持するのか。

 最初にどのようなシーンを顧客へ提示するのか。

 そして、その意味を客室、食事、館内、スタッフとの会話といった異なる体験によって、どのように重ねていくのか。

 優れたホテルとは、単に印象的な一場面をつくるホテルではありません。

 まず、欠けてはならないものを確実に守る。

 その上に、顧客を理解するサービスを積み重ねる。

 そして、最初に顧客へ示した、「自分たちは、こういうホテルです」という約束を、宿泊体験の最後まで一貫して守る。その一貫性によって、顧客はホテルの次の行動を予測できるようになります。予測できるから、安心して身を預けることができる。さらに、異なる場面で同じ意味を持つ体験が重なるからこそ、

 「あのホテルは、こういうホテルだった」という記憶が残ります。

 ホテルは、建物だけでも、接客だけでも、料理だけでもありません。

 それらが時間の中でつながった、一つの体験です。そして、その体験には性格の異なる要素があります。欠ければ、安心感そのものが成立しにくくなるものがある。備わるほど、安心感を高めていくものがある。

 さらに、それらを時間の中で一貫してつなぐことで、「このホテルなら大丈夫だ」という予測可能性が生まれる。

 そして、同じ意味を持つ体験が異なるシーンで重なることで、そのホテルらしさは記憶として残っていきます。

 安心感とは、単に安全であることではありません。欠けてはならないものが守られ、良い体験が積み重なり、そのホテルらしさが最後まで一貫していること。

 私は、そこにホテルにおける「安心感」の本質があると考えています。

 

株式会社日本ホテルアプレイザル代表取締役/株式会社サクラクオリティマネジメント代表取締役/一般社団法人宿泊施設関連協会副理事長 北村剛史

 
 

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