【にっぽんの温泉特集】美容や健康に作用 地球の恩恵 温泉ビューティ研究家 杏林大学講師(温泉療養学) 石井 宏子氏に聞く


石井氏

 ――石井氏にとっての「温泉文化」とは。

 日本の温泉文化は、単なる入浴習慣や作法にとどまらない、わが国の特徴的な精神文化だ。日本人は古くから山や森などあらゆる自然に神が宿ると考え、自然を敬いながら生きてきた。温泉もまた自然がもたらした恵みであり、その恩恵に感謝しながら身を委ねる文化が育まれてきた。

 温泉につかるということは、体を温めたり、汚れを落としたりするためだけではない。自然の中で自分自身と向き合い、心や体を整え、清める行為でもある。こうした自然への敬意と、温泉を通じて自らを調える精神性こそが、温泉文化の本質だと考えている。

 ――自身が提唱する「温泉ビューティ」の視点から見ると。

 土台にあるのは、「温泉は地球がくれた天然のビューティツール」という考え方だ。

 温泉は肌に潤いを与え、血流を促し、体の内側から整えてくれる。こうした美容や健康への作用は地球が生み出した恩恵であり、日本人の精神文化でいえば、自然を通じて与えられた美容道具そのものだ。

 奈良時代(733年)に編さんされた「出雲国風土記」には、「一たび濯(ゆす)げば形容端正しく、再び沐(もく)すれば万病悉(ことごと)く除(のぞ)ゆ。俗人神の湯と曰ふ。(一度入ると美しくなり、再び入ると万病が癒える。人々は神の湯と呼んだ)」と記されており、約1300年前から、温泉に神が宿り健康と美の両方をもたらすものとして大切にされてきた。温泉と美容の関係は現代的な発想ではなく、日本人の中で長い年月をかけて育まれ、文化として根付いているといえる。

 ――次世代に継承していく上での課題は。

 特に若者には、効率化やタイムパフォーマンスだけでは測れない価値が温泉にはあることを伝えていく必要がある。

 東京の杏林大学で観光を学ぶ学生に「温泉療養学」の講義を行っているが、今どきの学生は就職活動やアルバイトも忙しく、想像以上に心身の疲れを抱えている人が多いと感じている。

 温泉の大きな価値は、日常から離れ、「何もしない時間」を持てることにある。スマートフォンを手放し、自然の中でただ湯に身を委ねることは、いわばデジタルデトックスであり、心身をリセットする時間になる。心が整えば自律神経も整い、結果として体や肌の状態も整っていく。

 学生に伝えているのは、「AIでは見つけられないものを探しに行くのが旅」ということ。AIは非常に便利だが、拾えるのはインターネット上の情報のみで、温泉の香りや肌触り、その土地がつくる空気感は、実際に足を運び、入浴しなければ分からない。現地でしか得られない目に見えない感覚や発見こそが旅の醍醐味(だいごみ)であり、温泉文化の本質的な価値でもある。

 ――海外の人に向けて「温泉文化」の魅力をどう発信していくか。

 温泉につかることは、日本の精神性に触れる「カルチャー体験」だと伝えていきたい。なぜこのような造りなのか、なぜ裸で入るのか、その背景にある価値観まで知ってもらうことが重要だ。

 入浴前にかけ湯をすることや、湯船にタオルを入れないことも、単なるマナーではない。その根底には自然を敬い、心身を清めるという日本人の精神性がある。こうした背景まで伝えることで、海外の人にも温泉文化をより深く理解してもらえるのではないか。

 一方で、裸で温泉につかることに抵抗がある人や、宗教上難しい人もいる。まずは客室露天風呂や貸し切り風呂などを利用してもらい、少しずつ温泉文化への理解を深めてもらうことも大切だ。

 ――ユネスコ登録実現に向けた抱負と業界内外へのメッセージを。

 全国の温泉地には、それぞれ異なる歴史や伝説があり、地域ごとに独自の文化が根付いている。そうした地域の営みと、日本人が古くから持つ自然を敬い共生してきた精神性をともに発信していく絶好の機会だ。

 併せて、100年、200年後に振り返った時、その土地にどのような温泉文化や歴史があったのか分かるよう、地域住民への聞き取りも含め、記録としてしっかり残していくことも必要だ。それぞれの地域が自らの価値を見つめ直し、大切な財産として未来へつないでいく契機になればと思う。

 【聞き手・溝部あゆ美】


石井氏

 
 

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