北村氏
立地・設備・価格だけでは、宿泊施設の差別化が難しくなっています。では、これからの宿は何によって選ばれるのでしょうか。鍵になるのは、建物の外側にある地域とのつながりです。本稿では、観光学の「重力モデル」とネットワーク研究の考え方を手がかりに、地域ネットワークがホテル・旅館の価値をどのように増幅するのかを考えます。
ホテルや旅館の経営では、立地、客室数、設備、価格、口コミが大切です。これは今も昔も変わりません。駅から近いこと、客室が清潔であること、料金に納得感があること、食事がおいしいこと、スタッフの対応がよいこと。こうした基本が整っていなければ、宿泊施設として選ばれることは難しくなります。
しかし、最近の宿泊市場では、それだけで差をつけることがだんだん難しくなってきました。多くのホテルが清潔で、便利で、写真もきれいで、口コミ点数も一定以上あります。価格は日々調整され、OTA上では宿泊施設が横一列に並びます。お客様は、価格、立地、点数、写真、口コミを見ながら比較します。その結果、少しでも安い施設、少しでも便利な施設、少しでも評価点の高い施設に予約が流れやすくなります。
これは、宿泊施設が価格競争に巻き込まれやすい構造です。
一方で、地域や社会とのつながりを持っているホテル・旅館は、少し違う選ばれ方をします。単に「泊まる場所」として選ばれるのではなく、「その土地を感じる場所」として選ばれるようになるのです。
たとえば、地元の農家や漁師から仕入れた食材を夕食や朝食で出している旅館があります。地域の工芸品を客室に置いているホテルがあります。近くの文化財や自然資源と連携して、宿泊者に地域体験を案内している施設があります。こうした宿は、単にベッドや客室を売っているわけではありません。地域との関係性を、宿泊体験として提供しています。
一般的なホテルは、主に「建物の中」にある価値で勝負します。客室、ベッド、浴室、朝食会場、ロビー、温泉、ジム、宴会場などです。もちろん、これらは宿泊施設の土台です。ただ、建物の中だけで勝負すると、どうしても比較されやすくなります。設備はいつか古くなります。内装は似たものが出てきます。アメニティも差がつきにくくなります。価格も周辺相場に引っ張られます。
一方で、地域とつながるホテル・旅館は、「建物の外」にある価値も取り込みます。地域の食、文化、自然、人、歴史、産業、物語、信頼関係を、宿泊体験の一部にしていきます。これらは簡単には真似できません。地域との関係は、一朝一夕にはつくれないからです。
この違いを、私は「宿泊施設の重力」と呼べるのではないかと考えています。
重力とは、ものを引き寄せる力です。宿泊施設にも、お客様を引き寄せる力があります。これをホテルや旅館の「重力」と呼ぶなら、その重力は客室数や設備だけで決まるものではありません。どれだけ地域とつながっているか。どれだけ信頼されているか。どれだけ人や情報や体験を集められるか。そうした要素によっても変わってきます。
この考え方は、まったくの思いつきではありません。観光や人の移動を分析する分野では、以前から「重力モデル」と呼ばれる考え方が使われてきました。これは、ある場所から別の場所へ人が移動するとき、出発地と目的地の規模や魅力が大きいほど流れは強くなり、距離や移動のしにくさが大きいほど流れは弱くなる、という考え方です。
一般的な重力モデルは、次のように整理できます。
Fij = K × Oi × Dj ÷ Cij
ここで、Fij は i 地点から j 地点への人の流れ、Oi は出発地側の規模、Dj は目的地側の魅力度、Cij は距離や移動時間などの抵抗、K は調整係数です。この式の本質は、人の流れは「目的地の魅力」が大きいほど強くなる、という点にあります。
さらに、ネットワーク研究では、ある拠点の力は単体の大きさだけでなく、周囲とのつながりによっても強まると考えられています。多くの人や組織とつながっている拠点ほど、情報が集まり、紹介が生まれ、影響力が広がりやすくなります。
ネットワーク上の拠点間の引力は、単純化すると次のように表せます。
Iij = Mi × Mj ÷ dij²
ここで、Iij は拠点 i と拠点 j の間に生じる引力、Mi と Mj はそれぞれの拠点が持つ力、dij は両者の距離です。ここでいう距離は、物理的な距離だけではありません。情報の届きにくさ、心理的な遠さ、関係性の薄さも含めて考えることができます。
地域との関係が薄いホテルは、物理的には近くても、地域の人や店や文化からは遠い存在になります。逆に、地域とのつながりが深い旅館は、少し離れた場所にあっても、地域の情報、人、紹介、体験が集まりやすくなります。
つまり、既存の重力モデルでいう「目的地の魅力度」を、宿泊施設の場合は基本価値とネットワークの力に分けて考える、ということです。この考え方を宿泊業の現場で理解しやすい形に置き換えると、次の式になります。
宿泊施設の重力 = 基本価値 ×(1 + ネットワーク係数)
記号で表すと、こうです。
G = B ×(1 + N)
Gは、宿泊施設の重力です。お客様を引き寄せる力、選ばれる力、価格を維持または上げる力、リピートや紹介を生む力をまとめたものです。
Bは、基本価値です。立地、客室数、設備、清潔さ、価格、接客、料理、温泉、ブランド、口コミなど、従来から宿泊施設の評価で重視されてきた要素です。
Nは、ネットワーク係数です。地域連携、地元食材、文化体験、自然保全、サステナビリティ、従業員の誇り、法人や行政との関係、地域からの紹介、メディア露出、リピート、口コミの広がりなどによって高まる要素です。
※ネットワーク係数Nとは、その宿泊施設が地域や社会とどれだけ深くつながっているかを表す上乗せ係数のことです。Nがゼロなら基本価値Bそのままですが、Nが0.2であれば、同じ基本価値の施設に比べて1.2倍の引力を持つ、という考え方です。
普通の宿泊施設は、主にBで勝負します。立地がよい、設備が整っている、価格が妥当である、清潔である、口コミがよい。これらは当然大切です。しかし、地域とつながるホテル・旅館は、Bに加えてNを高めます。同じ立地、同じ客室数、同じ価格帯であっても、地域とのつながりが強い施設ほど、選ばれる理由が増えます。これが、宿泊施設の重力が増すということです。
この式は、昨今のライフスタイル型ホテルを考えるうえでも分かりやすいものです。ライフスタイル型ホテルは、必ずしも客室面積やサービス人員を最大化しているわけではありません。それでも選ばれるのは、地域、文化、人、食、アート、デザイン、サステナビリティといった外部ネットワークを宿泊体験に取り込み、Nを高めることで独自の引力を生み出しているからです。
つまり、ライフスタイル型ホテルとは、単に「おしゃれなホテル」ではありません。地域や文化とのネットワークを、宿泊価値に変換するホテルなのです。
この視点から見ると、日本の旅館は、ライフスタイル型ホテルの原型だったとも言えます。
旅館の価値は、客室だけではありません。温泉、料理、器、しつらえ、女将やスタッフの接客、地元食材、季節感、祭り、自然、周辺散策、地域の歴史。これらを一体として宿泊体験にしてきました。つまり旅館は、昔から B ×(1+N)で価値をつくってきた業態です。
近年、海外ブランドや都市型ホテルが「ローカル」「コミュニティ」「体験価値」を強調しています。しかし、日本の旅館は、もともと地域の食、温泉、文化、自然、人との関係性を宿泊体験に組み込んできました。そう考えると、現代のライフスタイル型ホテルは、旅館が持っていた地域編集機能を、都市型・現代型・デザイン型に再構成したものだと見ることもできます。
※地域編集機能とは、地域に点在する食材、工芸、文化、自然、人といった素材を選び取り、組み合わせ、ひとつの滞在体験として再構成して宿泊客に届ける力のことです。旅館の女将や料理長は、昔から自然にこの役割を担ってきました。
旅館では、ホテル以上にネットワーク係数Nの影響が大きいと考えられます。なぜなら、旅館はもともと地域との結びつきによって成り立っているからです。夕食に出る魚がどこの港で水揚げされたものか。器がどこの窯元のものか。温泉がどのような歴史を持つか。庭に咲く花がどの季節を表しているか。こうしたことが、旅館の価値を形づくります。
ホテルの重力 = 基本価値 ×(1 + ネットワーク係数)
旅館の重力 = 基本価値 ×(1 + 地域ネットワーク係数)
旅館の場合、この地域ネットワーク係数が高まると、宿泊者は単に「部屋に泊まった」と感じるのではなく、「その土地に滞在した」と感じます。この差は大きいと思います。
ここで重要になるのが、SDGsやサステナビリティです。SDGsは、単に環境によいことをする活動ではありません。ホテルや旅館が、地域や社会とのネットワークを強めるための実践でもあります。
元食材を使うことは、地域経済とのつながりをつくることです。食品ロスを減らすことは、厨房の効率化だけでなく、食材への敬意を示すことです。省エネルギーに取り組むことは、環境負荷を下げるだけでなく、長期的な運営コストを抑えることです。地域の文化や自然を守ることは、観光資源を将来に残すことです。従業員を大切にすることは、サービス品質と採用力を高めることです。
このように見ると、SDGsはコストではなく、ホテルや旅館の重力を増やす投資だと考えることができます。
近年の旅行者調査では、多くの旅行者が「持続可能な旅行」を重視する傾向を示しています。また、消費者調査でも、サステナブルな商品・サービスに対して一定の価格プレミアムを許容する傾向が確認されています。
もちろん、これをもって「SDGsに取り組めば必ず単価が上がる」と考えるのは早計です。宿泊施設が選ばれる最大の理由は、今でも価格、立地、清潔さ、口コミ、客室や食事の品質です。サステナビリティは、それらの基本条件を超えて単独で選ばれる理由になるというより、基本品質が整った施設において、最後に選ばれる理由を増やすものだと考えるべきです。
しかし、地元食材を使った食事、地域文化を感じられる体験、自然環境への配慮、食品ロス削減、地域事業者との連携などが宿泊者に分かりやすく伝われば、それは単なるコストではなく、価格に反映できる価値になります。
この効果を、本稿では「実効重量増加」と呼びます。
※実効重量増加とは、建物そのものの重さが増えるという意味ではありません。同じ規模の宿泊施設でも、市場の中でどれだけ強く選ばれ、どれだけ高い単価を取れ、どれだけリピートや紹介を生み、どれだけ地域や法人から信頼されるかをまとめた比喩的な指標です。簡単に言えば、「同じ客室数の宿でも、より強くお客様を引き寄せる力がどれだけ増えたか」を示すものです。
既存調査で示されている旅行者の選択行動、サステナブル商品・サービスへの価格許容度、他用途不動産で観測されているグリーンプレミアム、そしてホテル・旅館特有の運営レバレッジを踏まえると、ネットワーク型ホテルでは、保守的には5〜10%、標準的には10〜15%、地域連携・サステナビリティ・体験価値まで統合された優良事例では20%前後の実効重量増加を、経営上の概念レンジとして置くことができます。
旅館では、この効果はさらに大きくなる可能性があります。旅館はもともと、地域の食、温泉、文化、自然、接客、季節感を一体として販売する業態だからです。地域と深くつながる旅館では、保守的には8〜12%、標準的には15〜20%、地域資源・食・温泉・文化体験・サステナビリティを高い水準で統合できている優良旅館では25%前後の実効重量増加を、同じく概念レンジとして想定できます。
もちろん、これは厳密な統計推計ではありません。あくまで、既存調査で観測されている旅行者の選択行動、価格許容度、他用途不動産におけるグリーンプレミアム、そしてホテル・旅館特有の運営レバレッジをもとにした、経営上の整理です。
※グリーンプレミアムとは、環境性能の高い建物が、そうでない建物に比べて高い賃料や売却価格で取引される現象のことです。オフィス市場では数%程度のプレミアムが観測されています。
※運営レバレッジとは、ホテルや旅館のように毎日価格を変え、毎日ゲストと接し、毎日口コミが生まれる事業では、小さな質の差が日々の売上に積み重なって大きな差になることを指します。
普通のホテル・旅館は、市場にある需要を取りに行きます。ネットワーク型のホテル・旅館は、地域とともに需要そのものを育てます。この差は、最終的にADR、稼働率、RevPAR、口コミ、リピート率、採用力、地域からの信頼に表れます。
宿泊施設の価値は、建物の中だけで完結しません。これからの宿泊施設の価値は、建物の外側にどれだけ豊かな関係性を持っているかによって決まります。地域の人々に応援され、取引先に信頼され、従業員が誇りを持ち、ゲストがその土地の魅力を感じられる施設は、自然と強い引力を持つようになります。
SDGsは、その重力を高めるための分かりやすい入口です。しかし大切なのは、活動の数を増やすことではありません。それぞれの活動を、宿泊体験や収益構造につなげることです。
地元食材を使うなら、それを食事の魅力として伝える。自然保全に関わるなら、それを地域体験として案内する。文化財を守るなら、その背景をゲストに語る。従業員を大切にするなら、その誇りが接客に表れるようにする。サステナビリティに取り組むなら、それを信頼の証として営業や予約導線に活かす。
関係性を体験に変え、体験を価値に変え、価値を収益に変える。これが、ネットワーク型ホテル・旅館の経営です。
ホテルや旅館は、単なる建物ではありません。地域の入口であり、人と人をつなぐ場所であり、その土地の魅力を編集して届ける装置です。
選ばれる宿には、「重力」があります。そしてその重力は、地域との関係性から生まれるのです。
【主な参照データ】
Booking.com Sustainable Travel Report
PwC Voice of the Consumer
国内外のグリーンプレミアム関連調査
観光需要における重力モデル関連研究
ネットワーク科学におけるノード影響力・引力モデル関連研究
株式会社日本ホテルアプレイザル代表取締役/株式会社サクラクオリティマネジメント代表取締役/一般社団法人宿泊施設関連協会副理事長 北村剛史




