東海大学観光学部教授 崔載弦氏
高付加価値化の鍵を握る「人によるサービス」
政府は近年、観光政策の柱の一つとして「観光・旅行の高付加価値化」を掲げている。これは「量」から「質」への転換であり、訪日客数や宿泊者数を追うだけでなく、地域に大きな経済効果をもたらし、旅行者に深い満足を提供する取り組みである。観光における高付加価値化というと、単価の高い客室や特別な体験プログラムの開発など、消費額の高さに注目が集まりがちだ。しかし、「人によるサービス」こそが、付加価値の源泉であるという点を忘れてはならない。
例えば、日本が誇る観光資源である「旅館」が挙げられる。旅館は温泉や料理、客室、景観に加え、和を感じさせる「接客」や「しつらえ」そのものが商品価値の中核を成す。つまり、単なる宿泊施設ではなく、日本の伝統や文化、美意識を五感で体験する空間でもある。そこには、言葉遣いや所作、間合い、相手の意図を察する対応、そして和装の女将や中居といった、日本特有のサービス価値観が存在し、独自の「価値」を形成している。これを一般に「おもてなし」と呼ぶこともあるが、一言で表すのは難しく、筆者はこれらを総じて「日本型サービス」と称している。訪日外国人旅行者の中には、この日本ならではの接客文化や空間の雰囲気そのものに価値を見出す者も少なくない。もちろん、日本人にとっても重要な魅力の一つになっていることは言を俟たない。
一方で、宿泊業は深刻な人手不足に直面している。現場では外国人材の雇用が拡大しており、接客や配膳、フロント業務を担う場面が日常化している。「外国人材に日本型サービスの体現はできるのか」という疑問が生じるのは当然のことであろう。筆者が温泉旅館で実施した調査からは、興味深い現実が見えてきた。
外国人材は人手不足の代替か、伝統の担い手か
調査では、外国人スタッフによる重大なトラブルはほとんど確認されず、顧客からは「一生懸命」「丁寧」と肯定的に評価されることも少なくない。外国人スタッフ自身も、顧客からの感謝を通じて接客への意欲が高まり、日本文化への理解を深めようとしていた。この実践は、本人の努力だけに依存するものではなく、背景には組織や顧客による支援がある。例えば、段階的な職務移行やOJTでの所作の指導、折り紙を活用して「丁寧に整える」感覚を伝えるなど、日本特有の接客文化を理解してもらうための工夫を組織が重ねていた。また、顧客からの肯定的な評価も、彼らの学習意欲を高める重要な要因の一つになっている。
他方で、外国人材は日本特有の非言語的な対応、すなわち顧客が遠回しに示す要望や、明示されない期待を理解することに苦戦していた。言葉の裏を読む「高文脈(ハイコンテクスト)」なコミュニケーションへの対応である。
ここで浮かび上がるのは、日本型サービスの多くが「暗黙知」に支えられているという事実である。顧客の要望を察することや適切な間合いは、日本人でも体得が容易ではない。多様な背景を持つ従業員が増える現在、暗黙知を経験や慣習だけで継承することには限界がある。感覚だけに頼らず、教育し、共有し、受け継ぐ仕組みへ転換できるかが、今後の高付加価値を創造する日本型サービスの神髄となる。外国人材の活用を応急処置の代替労働力と捉えるのではなく、中長期的な経営戦略として位置づけ、日本の文化や社会の価値規範の体得、日本語教育、生活支援など、地域全体で支える仕組みづくりが求められる。
日本人が守り受け継ぐべき「日本型サービス」
もっとも、外国人材の活用そのものを目的化してはならない。旅館における接客は、日本の歴史や文化、美意識を体現する営みである。本来守るべきものは、日本社会が長年培ってきた文化的価値であり、そのためには日本型サービスの担い手を育成する努力そのものを怠ってはならない。
人手不足の現状で外国人材に頼るのは現実であり、それを否定はできない。しかし、だからこそ、日本の伝統や文化を受け継ぎ、守り抜く旅館が一定数存在し続けてほしいと強く願う。なぜなら、和装の女将や中居が紡ぎ出す本物の「日本型サービス」を求めて訪れる旅行者は確実に存在しており、その真正性(本物であること)こそが、日本が誇るべき究極の高付加価値であり、旅人が心から求める「期待価値」そのものだからである。
筆者自身、日本に暮らす外国人の一人として、日本社会が育んできたサービスの形態に見られる文化的要素に高い価値を見出している。だからこそ、その価値が単なる効率化の名の下に失われてほしくないと強く願っている。いかに日本型サービスを守り、次世代へ継承していくか。その挑戦こそが、日本観光の高付加価値化の成否を左右する重要課題といえる。

東海大学観光学部教授 崔載弦(チェジェヒョン)氏
大阪府立大学大学院経済学研究科博士課程修了。博士(経済学)。専門は、インバウンド(訪日旅行)、観光の社会性、オーバーツーリズム、外国人労働者と日本型サービス。インバウンド誘致アドバイザー、ビジネスコンサルティング、研究所勤務を経て、2021年から現職。




