高崎市役所にある「ハープの泉」
高崎はロックだけの街ではない。高崎市役所前にはハープのモニュメントがあり、クラシックが根付いていることが分かる。
「音楽の街」として成長した背景には、「群馬交響楽団」の存在がある。ルーツは戦後間もない1945(昭和20)年に創設された「高崎市民オーケストラ」で、これをモデルに1955(昭和30)年に、映画「ここに泉あり」が制作された。監督は「青い山脈」も手掛けた名匠・今井正、脚本は今井ほか多くの名監督と仕事をした水木洋子、主演が岸恵子、作曲家の山田耕筰とピアニストの室井摩耶子が本人役で登場する。当時、300万人を動員し、この年のキネマ旬報ベスト10で5位に選出された。
地域紙などによると、市民オーケストラは詩人の萩原朔太郎が始めた「上毛マンドリン倶楽部」がルーツで、歌手として入団した丸山勝広がマネジャーとしてかじ取りを進めた。収入を得るため、県内を回る「移動音楽教室」を始め、その様子が映画で紹介されている。
映画の中では、メンバーたちが「本物の音楽を届けたい」と奔走するも、十分な収入を得られず、チンドン屋でアルバイトをするほか、苦悩の末に脱落する様子などが描かれている。それでも「音楽をやっていてよかった」という、いくつかのエピソードが語られる。山奥の小学校に出向き、その後の一生を山の中で働いて暮らす子供たちが最初で最後の生のオーケストラを聴く、同じく小学校に演奏に行き、関心の無さそうな子供たちに落胆しながらも、帰りがけに岸恵子扮するピアニスト役の野の花の花束を渡すなどのシーンがある。
クライマックスは、草津にあるハンセン病療養施設での演奏だ。「未来永劫、救われないと思っていた」という入所者たちが、「音楽で生きている喜びを味わう、一生、忘れられない思い出になる」と代表者が話し、演奏に聴き入った後、病で手が不自由な入所者たちが精いっぱいの拍手を送る。音楽が心を揺さぶる様子がいくつも登場する。
この映画は、丸山が旧知の映画関係者つながりがあった縁で実現したという。公開の翌年には群馬県が文部省(当時)から全国初の「音楽モデル県」に指定され、1961(昭和36)年には高崎市民の全面的支援を受け、ホール「群馬音楽センター」が建設される。老朽化に伴い2019(令和元)年にはJR高崎駅東口に新たなホール「高崎芸術劇場」がオープンした。
実話が伝える「音楽の心」は世代を超えて語り継がれている。この作品では「フィガロの結婚」「トロイメライ」「ラデツキー行進曲」などクラシックの名曲のほか、山田耕筰作曲の「赤とんぼ」や民謡の「草津節」などたくさんの音楽が流れる。公開から70年余りを経ても色あせない「音楽の心」を伝えている。
※元産経新聞経済部記者、メディア・コンサルタント、大学研究員。「乗り鉄」から鉄道研究家への道を目指している。著書に「釣りキチ三平の夢 矢口高雄外伝」(世界文化社)、「駅メロものがたり」(交通新聞社新書)など。

高崎市役所にある「ハープの泉」




