【特集】今だからこそ。台湾で、加賀屋の流儀


沈維真総経理(左)と徳光重人董事

 あまたある日本の温泉旅館の中でも、もてなしやしつらえ、料理の質などの面から名高い、石川・和倉温泉の加賀屋。その加賀屋の「流儀」をそのまま受け継ぐ、唯一の在外旅館「日勝生加賀屋」(台湾・北投温泉)が、昨年12月に開業15年を迎えた。現地では「一生に一度は加賀屋」と言われるまでにあこがれの存在となっている加賀屋。和倉の加賀屋が能登半島地震の被害で休業する中、この15年で進化を続け、「今行ける、加賀屋」として加賀屋の流儀を守り、発信し続ける日勝生加賀屋の今をレポートする。(関西支局長・小林茉莉)


北投温泉博物館越しに望む、日勝生加賀屋 

建物・人・料理 加賀屋流にこだわって

                  
 日勝生加賀屋は、北投温泉の宿泊施設が立ち並ぶエリアに建つ。この場所は、大阪出身の商人、平田源吾が1896年に初めての温泉旅館「天狗庵」を開いた、温泉観光地・北投の起源ともいえる場所だ。2003年、現地企業「日勝生グループ」と加賀屋の合弁による旅館プロジェクトが始動。7年間にわたる準備期間を経て、2010年12月に同館が開業した。


吹き抜けから望む美しい数寄屋造りの館内

 加賀屋と台湾のつながりは、1995年に台湾の日系企業のインセンティブツアーを和倉の加賀屋で受け入れたのが始まりだ。日本旅館特有の仲居によるおもてなし、それも高い接客レベルを誇る加賀屋流のもてなしなどが受け、翌年には5千人が、愛知万博開催の2005年には年間3万人の台湾人が加賀屋を訪れるようになった。日本統治時代を知る人も多かった当時、天皇陛下が行幸、宿泊された加賀屋に泊まることへのあこがれは非常に強く、「一生に一度は、加賀屋」というムードが台湾内で高まったという。

 その頃、北投の開発を始めた日勝生グループが日本の温泉旅館誘致に動く中、台湾在住で石川県出身の徳光重人氏の発案から加賀屋の誘致が決まった。徳光氏は開業以来一貫して同館に関わり、現在も董事を務める。

 「加賀屋」をそのまま台湾に持っていくとはどういうことか―。それには「建築」「料理」「接客」の三つを台湾で実現することが絶対条件だった。


温泉博物館周辺の緑地を望む客室。全ての部屋の浴槽に源泉を引いている

 建物については、日本の加賀屋と同じ建設会社、設計事務所、設計者が担当。玄関から2階に上がるとフロントの奥には、上層階を仰ぎ見る吹き抜けとそこに浮かぶ畳の舞台が目に入る。吹き抜けには数寄屋づくりの屋根が軒を伸ばし、外観からは想像ができないような和の空間が広がる。日本の加賀屋のシンボル的な存在である豪奢(ごうしゃ)な吹き抜けを踏襲したものだ。客室は畳敷きの純和風。正座に慣れない宿泊客でも利用しやすいよう掘りごたつを採用している。


白色硫黄泉を楽しめる、開放感ある大浴場

 料理は当初、加賀屋から2人の料理人を派遣。食器類も日本から全て持ち込み、加賀屋の味の再現を目指した。日本とは異なる食材や加賀屋自慢の「能登の海鮮」を出せない環境の中ながら工夫を重ね、6年前に初の台湾人の料理長が着任、今のスタイルに至った。「日本料理をよく研究し、非常にだしの引き方がうまい。だがこだわるあまりだしの材料費は頭が痛い(苦笑)」と話すのは沈維真総経理。長年日本で旅行会社に勤務し、今でも休みのたびに日本旅館を訪ねて回る日本通だ。台湾人の嗜好を理解した上で、台湾の食材と日本直送の食材を組み合わせた現料理長の会席料理は、季節感はもちろん味も加賀屋流。加賀屋の総料理長・宇小藤雄氏の評価も高い。


秋の「星月夜」会席の前菜 彭化の「玉露鴨」とキノコの里芋がけ

 接客についても、宿泊客の身長を目測し、サイズがピタリと合った浴衣を用意することなどで知られる「加賀屋の客室係」の、現地での育成を目指した。客室係という職業概念が台湾にない中、「管家(クアンチャー、執事)」と名付けて募集。開業1年前に5人を採用し、和倉の加賀屋で半年以上の研修を行ったほか、開業3カ月前には約70人を採用。日勝生の事務所に畳を入れ、正座や和服での立ち居振る舞いを一から教育した。「当時は日本語力を優先して採用したため、若い客室係が多かった。マニュアル通りでないのが加賀屋のおもてなしであるにもかかわらず、人生経験が少なく、『臨機応変』が難しい中で、教育には腐心した」と徳光氏。

 台湾にない「おもてなし」の概念をいかにして伝えるのか。「サービス」「ホスピタリティ」「おもてなし」を分けて伝えるなどの工夫を重ねた。現在は、沈氏らが現場へのフィードバックを行いながら、接客の精度を高めている。沈氏は「若い人は細かな立ち居振る舞いを忘れがち。『自分』が出てしまうので、毎日声をかけるようにしている。加賀屋のブランドに誇りを持ち、そのおもてなしや精神を守っていく責任がある」と力を込める。


館内各所に展示されている、九谷焼などの伝統工芸品

 現在、同館のスタッフはほぼ全員が台湾人。取材中、館内で複数のスタッフの応対に触れたが、和服に日本名の源氏名で働いている上、客との距離感ややり取りの間などに違和感がないため、教えられるまで台湾人スタッフと気付かないほどだ。

 台湾では出勤時などにあいさつする習慣がないが、同館ではスタッフ同士自然と「おはようございます」「お疲れさま」などの声が上がる。常連客が宿泊100回目であると気付いたらお祝いを用意したり、お客さまの情報を調理場などと自発的に共有して、より良いおもてなしができないか考えたりする。「社員の動き、表情により、『加賀屋の空気』ができあがっている」と徳光氏。「そういったところは和倉の加賀屋と一緒。料理も接客もほぼ自走しており、今は『おもてなしの輸出』の最終段階」と堂前吉宏・加賀屋グループ常務は評価。堂前氏は、和倉の加賀屋が閉まっている現在、日勝生加賀屋は、加賀屋のスピリットを保ち続けるための大切な要素であるとも感じているという。

開業から15年、独自の取り組みも

 開業から15年、和倉の加賀屋を模倣し、時には超えることをも目標とし、そのおもてなしを徹底的に研究した同館。その中で分かったのは「超えるのは難しい」ということ。その上で「日勝生加賀屋だからこそできることを」と取り組む。

 和倉の加賀屋では客室係が客室でお抹茶をたててもてなす。「お部屋で『お疲れでしょう』などとお声がけしながらのお抹茶は、コミュニケーションの入り口」(徳光氏)。だが同館ではその「加賀屋流」を辞め、パブリックスペースでの立礼式による抹茶の提供に変えた。「私たちは日本の文化を発信したいし、体験してほしい。それを台湾の言葉で実践できるのが和倉の加賀屋との違いであり、一つの役割分担だという考えに至った」と徳光氏は語る。開業3年目ころから始めた立礼式では、スタッフがお点前の作法やお菓子の意味などを一つ一つ説明。宿泊客らの日本文化理解、体験の場として定着した。


宿泊客に抹茶体験を提供

 このほか、料理の部屋出しも、プライベート空間である客室への出入りを好まない人も多いため、食事処での提供を基本に、部屋出しはオプションにした。

 このように加賀屋流でありつつも現地のニーズをとらえたサービスにより、現在同館の客層は65%が台湾人、20%が香港人、10%強が日本人。コロナ禍では日本に渡航できない中でも旅行したいというニーズも受け止め、最高益も記録した。


台湾で浸透する加賀屋ブランド。台湾のセブンイレブンでは期間限定でコラボ商品も販売する

 和倉の加賀屋とは震災前まで、定期的なスタッフの派遣研修などを行っており、同館としても再開の日を待ち望む。「再開後には一緒にイベントなどができればうれしい」と沈氏。堂前常務は「建物、食事、社員の動きを見て、『台湾でこれだけ日本のことができるのか』とカルチャーショックを受けるはず。再開前には和倉から台湾への研修なども行いたいし、他の日本の方にとっても気付きがあるはず。ぜひお越しください」と語った。

日台の絆育む加賀屋
レプラカン歌劇団が特別講演
館内に震災コーナー、謝意示す

 加賀屋の専属歌劇団「加賀屋レプラカン歌劇団」が11月27~30日、日勝生加賀屋など北投温泉エリアの3カ所で特別公演を行った。レプラカン歌劇団が台湾で公演を行うのは初めて。24年1月に発生した能登半島地震で、台湾から多くの復興支援を受けたことへの感謝の意を伝えるのが目的で、日勝生加賀屋の宿泊客をはじめ北投を訪れた多くの観光客らが、同歌劇団が織りなすきらびやかで非日常感ある舞や歌を堪能した。 

 同歌劇団は、2003年にOSK日本歌劇団の中心メンバーを基に結成された加賀屋専属の歌劇団「加賀屋雪月花歌劇団」にルーツを持つ。雪月花歌劇団の初代トップなどとして活躍した夏輝レオンさんとゆふきれいさんが中心となり、コロナ禍が落ち着きつつある22年から活動を開始したが、地震により公演活動は中止に。だが、夏輝さんらは七尾にとどまって福祉施設などでパフォーマンスを披露するなどして、被災者を元気づけ続けた。これらの活動から、昨年7月には石川県七尾市の七尾ふるさと大使にも任命されている。

 今回の公演は、加賀屋、JTB、アサヒビールの協業による能登復興支援の取り組みの第2弾で、24年に東京都内で行った特別公演に続くもの。創業15年を迎え、コロナ禍で行き来が難しい期間なども、日本と台湾をつなぐ重要な交流拠点となった日勝生加賀屋などを舞台に、震災時に多額の寄付を寄せた台湾へ感謝の思いを伝えようと企画、実現した。


温泉博物館の公演会場

 特別公演は、北投温泉博物館、七星公園、日勝生加賀屋で計8公演を実施した。温泉博物館では、2階の大広間の舞台を利用して公演。七星公園では、北投普済寺の湯守観音開眼120周年と八十八番薬師如来仏開眼100周年を記念する地元のイベント「湯守観音祭」で舞などを地元の人たちに披露し、復興支援への感謝を伝えた。日勝生加賀屋では、6階にある畳敷きのスペースを舞台に見立て、レビューなどを披露した。


同館内の畳スペースを舞台にレビューなどを披露

 日勝生加賀屋では、石川の工芸品などを販売する館内ショップ前に、能登半島地震の被災地の様子を映像やパネルで紹介するコーナーを設置。和倉温泉加賀屋周辺の状況を正しく発信するとともに、地震発生以来の台湾からの復興支援に対する感謝を「謝々台湾」の言葉などで伝え続けている。日本と台湾の両加賀屋は、これからも日台の絆を結ぶ舞台であり続ける。


被災状況を伝えるコーナー

北投温泉 アクセスと見どころ

 北投温泉は、台北の中心部からMRT淡水信義線電車で約35分の場所にある、都市部から好アクセスの温泉地だ。日本各地から国際線が就航する桃園国際空港からも電車で約1時間、松山国際空港からは30分ほど。日勝生加賀屋や北投公園などがある温泉の中心エリアには、北投駅から支線に乗り換え3分ほどの新北投駅が最寄りだ。北投駅からは同館の送迎車でも5分ほどで到着する。


レンガ造りの北投温泉博物館

 新北投駅を出てすぐにあるのが「北投親水露天公園」。常緑樹がつくる緑陰を進み、2012年に「世界で最も美しい公立図書館ベスト25」に選ばれた台北市立図書館北投分館を過ぎると、公園のシンボル的存在「北投温泉博物館」が現れる。

 元は日本統治時代の1913年に建設された公共浴場の建物で、戦後忘れられ荒廃していたものを復興、98年から温泉博物館として整備したもの。北投温泉の起こりや栄枯盛衰、復興に至るまでを説明するほか、北投温泉の特長なども解説。楽しみながら学べる施設となっている。色鮮やかなステンドグラスに囲まれたタイル貼りの大浴場には水が満たされ、往時のにぎわいを感じさせる。温泉博物館は夜間のライトアップも行っており、日勝生加賀屋の客室からの眺めも美しい。

 温泉公園をさらに奥に進めば青硫黄泉が湧く「地熱谷」があるほか、大小さまざまな温泉滞在施設が立ち並ぶ。青硫黄泉の流れる川沿いには緑豊かな遊歩道も整備されている。滞在中の朝晩の散策もおすすめだ。


加賀屋周辺に残る天狗庵の遺構

 日勝生加賀屋のエントランス脇には、天狗庵の古い石段がそのまま残されているほか、裏手には史跡公園も整備。台湾の温泉文化の始祖ともいえる平田源吾の写真や往時の写真などを見ることができる。


沈維真総経理(左)と徳光重人董事

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