【日本ふるさと紀行 36】仙台(宮城県仙台市)~土井晩翠の生まれ、暮らした町


伊達藩と「荒城の月」の面影漂う杜の都

 ♬春高楼の花の宴 めぐる盃影さして 千代の松が枝わけいでし 昔の光今いづこ……格調高い歌詞とメロディの、日本人の好きな唱歌のベスト5に入る名曲の『荒城の月』。

 そのモデルは伊達政宗が千代(せんだい)の地に築いた仙台城や戊辰戦争で落城した会津若松城といわれている。その一つ仙台城は櫓や書院などで壮観を極めたが、今は石垣を残すだけ。

 だが62万石の城下町の名残は、華麗な廟所の瑞鳳殿や国宝・大崎八幡宮、荘厳な東照宮にしのばれる。

 それらを巡るのに便利な循環バス「るーぷる仙台」で、ケヤキ並木の青葉通りの晩翠草堂前で下車した。

 『荒城の月』の作詞者で詩人・英文学者の土井晩翠が晩年住んだ旧邸である。著作や掛軸、資料、写真、愛用の品々に見入り、係員の熱心な話に耳を傾けた。

 晩翠こと土井林吉が市内北鍛冶町の富裕な質屋の長男に生まれたのは、明治4年(1871)12月5日。あとを継がず、地元の旧制二高から東京帝大英文科に入学。卒業後の一時、東京暮らしや西欧遊学後に帰仙して、母校二高や東北大学で35年ほど教壇に立った。

 その間、唱歌用の作詩を委嘱され『荒城の月』を書いた。これに付ける曲が採用されたのが瀧廉太郎で、曲想は少年時代を過ごした大分県の竹田城から得たといわれている。

 仙台城の本丸跡で目をひくのが勇壮な伊達政宗公の騎馬像。傍らに『荒城の月』詩碑と土井晩翠胸像があった。1時間ごとに流れる合唱曲が城跡のせいか、しみじみと心に響いた。城跡の北の広大な敷地に晩翠が学び、教えた二高・東北大が変わらず知を紡いでいる。

 晩翠は73歳の時に空襲で自宅と3万冊の蔵書を焼失。77歳の時に初の仙台名誉市民に。翌年、詩人で初めて文化勲章を受賞する。

 輝かしい80年間の人生の大半を仙台で送った晩翠は、若林区新寺通りの曹洞宗・大林寺にひっそり眠っている。

 (旅行作家)
 ●仙台市観光国際協会TEL022(263)9568

 
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