「旅館とホテルの違いはなんですか?」、授業で必ず学生から投げかけられる質問である。以前であれば、「旅館業法」を用いて、「旅館は和式の構造及び設備を主とする施設、ホテルは洋式の・・・」と説明していたが、2018年の法改正により、旅館・ホテルは「施設を設け、宿泊料を受けて、人を宿泊させる営業」と定義され、明確な区別は失われた。生活様式が洋式化するなか、洋式の寝具、洋食を提供する旅館も珍しくはなく、学生ならずとも素朴な疑問が生じてくる。
西洋から輸入されたホテルに対して、我々がイメージする旅館、いわゆる「近代旅館」は、明治以降に成立した「わが国独自の宿泊ビジネスモデル」であった。江戸幕府によって統制されてきた移動の制限がなくなり、また各種の「宿」に対する規制が、明治維新によって解放されたことにより、各々が保持していた機能、たとえば本陣の格式ある設備、旅籠の1泊2食付形態、湯治宿の入浴機能などが、集約され完成したと指摘されている。昨今、泊食分離など温泉地における食の提供が話題になるが、湯治の長期滞在形態に合わせて泊食を提供していた温泉地に、1泊2食付形態が登場したのは、昭和7年(1932)にジャパン・ツーリスト・ビューローが発売したクーポンに「宿泊料金(一泊夕・朝食付)」が明示されたことが大きいといわれる。このクーポンが利用できる指定旅館では統一された「1泊2食」の形式が成立していった。
しかし、長期滞在者も多かった時代、旅館は多様な形で料理を提供していた。戦前のガイドブックを調査すると自炊や宿が定めた「宿賄」のほかに、旅行者の好みに応じて食事を提供する「伺い賄」「伺い式」という言葉が見える。戦後になり、書誌学者の長澤規矩也は「塗の小板にできる料理を羅列してあるのを食事ごとに持ってきて客の好みを訪ねた」と懐かしんでいる。こうした食の提供はマスツーリズムの発展とともに次第に変化していく。伊東温泉では、伊東線が開通した1938年の観光案内には「旅館宿泊料」(1泊2食付)以外は掲載されなくなる。しかし同時期の『伊豆めぐり』(1942)の旅館広告では9軒中4軒が統一料金以外に「伺ひ式」「滞在費(3食付)」等の文言を入れており、個々の旅館は多様性を残していたことがわかる。今日のように、「1泊2食付」で同じ料理を同じタイミングで提供することが定着するのは、戦後のマスツーリズムにより団体客が増加し、求められる料理の形態、接遇機能も変化したことがある。同時期に旅館の施設自体も大型化し、収容人数も増加した。さらにバブル経済期には豪華化、高級化した旅館が登場し料理もまた豪華化の一途をたどった。いわば、この100年で徐々に形成され、戦後のマスツーリズム下で定着したのが現代旅館であった。
それでは、次の50年、100年に、旅館は何を目指すのであろうか。旅行形態が個人客主流となるなか小規模な旅館や個性的な宿が支持されるようになる一方で、価格帯も二極化しつつあり、従来の宿泊ビジネスモデルだけでは対応できなくなってきた。現在、旅館が立地する多くは温泉地である。温泉はもともと療養・保養のために古代から利用され、愛されてきた地域である。自然の恵みである温泉を享受する施設、和の空間、地域の産物を生かした料理、情緒的なサービスなど、従来の旅館が育んできた魅力は今後も変わらないだろう。一方で、民泊をはじめ宿泊形態が多様化するなか、他の宿泊施設にない「旅館独自の魅力」をいかに生み出せるのか。旅館を取り巻く社会状況が大きく変化するなか、個々の施設の取り組みとともに、「旅館とは何か?」という根源的な問いに対して、未来を見据えた答えもまた必要であろう。
内田彩講師