「皿うどん」と聞けば、普通「長崎炒麺(チャーメン)」を思い浮かべる。長崎チャンポンを出前用に汁無しにアレンジしたものだが、焼うどんのような見た目からこの名がついたとされる。今は太麺より、揚げた細麺に餡(あん)かけスタイルが主流である。
九州にはもう一つ、「博多皿うどん」があるのをご存知だろうか? 福岡市の老舗中華料理店「福新樓」2代目、張兆順氏が昭和初期に考案した。汽車で長崎から運ばれた唐アクを使ったチャンポン麺は傷みが早く、冷蔵庫も普及していなかったため保存に苦労していた。そこで、麺の表面を揚げ焼きにして外気を遮断し、日持ちを良くすることを思い付く。だが今度は、どうすればこのガチガチに固まった麺をおいしく調理できるかが問題となった。最終的にたどり着いたのが、スープで煮込んでもどした麺を炒め直すという方法であった。
同店の公式サイトでは、調理法の動画が公開されている。具材を炒めてスープを回しかけ、具材のみを鍋肌の端に寄せ、空いた部分に麺を投入。スープの中でグツグツ煮込み、麺が最後の一滴までスープを吸い込んだら、改めて炒めてから皿に盛り付ける。何と手間の掛かることか。4代目の張光陽社長にお話を伺ったが、一度の調理に約20分も掛かり、一鍋で6人前しか作れないという。
実際いただいてみると、スープが染み込んだ麺はもっちりとして旨味タップリ。野菜がたくさん入って思いの外サッパリ目だが、特製の「赤だれ」をかけると、違った味わいが楽しめる。オレンジ果汁の爽やかな酸味の後に、豆板醤の辛味としっかりした甘味が広がる。江戸時代、海外から長崎に入って来た砂糖が、長崎街道を通って各地に伝わったことから、この街道は「シュガーロード」とも呼ばれる。だから、街道のある北部九州の人々は甘い物好きが多いのだと、社長が教えて下さった。
同店の初代、張加枝氏は、中国福建省生まれ。日本に移住し、当初は外国人の居住が許された特別区のある長崎に居を構えたが、居住の自由が許可され博多に移住し、福岡初の中国料理店を開いたという。チャンポン麺も甘い味付けも、長崎がルーツであった。
中国の黄帝の第五子が、弓を作るのが得意だったため、「弓の長」で「張」となったという起源を持つ、由緒ある張氏。その誇りは、料理や食材へのこだわりにもつながっている。オイスターソースは、オリジナルレシピで牡蠣(かき)から造らせているし、甜麺醤(テンメンジャン)も自家製だ。
「揚げる・煮る・炒める」という三つの技法を必要とする皿うどんは、調理の腕を磨くのに最適。若手料理人が、毎日従業員食堂で皿うどん作りに挑んでいるという。本物の味を継承していくには大切なことだ。店のサービスをまとめる傍ら、家系図の研究にも余念がない5代目の端宏氏は、歴史の重みや味へのこだわりを後世に伝えるべく努力されている。創業115年になるが、これは単に通過点。先が楽しみだ。
博多皿うどん
福建名菜「山海珍味の壺蒸しスープ」
具は、フカヒレ、鮑、浮袋、牛筋、ハチの巣、干し貝柱、干し椎茸、クコの実など
張家の家系図
※宿泊料飲施設ジャーナリスト。数多くの取材経験を生かし、旅館・ホテル、レストランのプロデュースやメニュー開発、ホスピタリティ研修なども手掛ける。