だれでも人生を生きている中で不思議な経験をしたことがあるだろう。私は1963年11月23日真夜中の3時半ごろに「止めろ!」と叫んで目覚めた経験がある。
その時には何が起こったのか全く分からなかったが、後でその時間帯に米国のケネディ(JFK)大統領が暗殺されたことを知って驚いた。
JFKが大統領に就任したのは61年であり、私が高校1年生の時だった。国際情勢には疎かったが、若くして米国大統領に颯爽(さっそう)と就任したJFKには憧れの想いがあった。「松明(たいまつ)はいま新しい世代に受け継がれた」という大統領就任演説のことを知って、興奮したことを覚えている。
JFKは大統領就任後、すぐにPeace Corps(平和部隊)を創設した。東西冷戦が激化する中で国際協力を推進するために米国の若者を発展途上国に派遣する制度だった。それは後年に日本の「青年海外協力隊」として受け継がれた。
JFKはまた、就任後間もなく、米国政府旅行局(USTS)を創設した。東西冷戦の中で米国民が東側の国々を旅行し、東側の国民による米国旅行を促進させることが目的だった。ところが62年にキューバ危機が勃発し、63年にはJFKがあえなく暗殺された。
47年から続いた東西冷戦に終止符が打たれたのは89年のことだった。この年は波乱万丈であり、6月4日に中国で天安門事件が発生し、民主化を求めて終結していたデモ隊に対して軍隊が武力行使を行い、数多くの死傷者がでた。11月10日にはベルリンの壁が崩壊するとともに、当時の東欧諸国の共産党独裁政権が相次いで崩壊した。
さらに12月2日にはマルタで米ソの首脳会談が開催され、東西冷戦の終結宣言がなされた。一方、当時の日本はバブル景気の真っ最中で、12月中旬には日経平均株価が史上最高の3万8957円を記録した。
今年はベルリンの壁崩壊から30周年の記念すべき年だ。東西冷戦の終結後に生じたグローバル化によって、国家や地域を越えて、地球規模でヒト、モノ、カネ、情報が自由に動く時代になった。
その前提として、80年代に英国のサッチャー首相が提唱した「新自由主義」が、米国のレーガン政権、日本の中曽根政権でも受け入れられ、さらに90年代にICT革命が実現したことによって、全世界における外国旅行が隆盛化した。
70年の全世界の外国旅行者数は1億6千万人だったが、90年には4億5千万人、2010年には10億人、18年には14億人、そして30年には18億人に増えると予測されている。より多くの人々が世界中を旅行できるのは素晴らしいが、一方ではオーバーツーリズムが問題視されている。
それ以上に、米中新冷戦や香港民主化運動弾圧で第二の天安門事件が心配されるとともに、自国第一主義や極右政党の台頭が世界を不安定化させている。今後の世界の動きに注目していきたい。
(北海道大学観光学高等研究センター特別招聘教授)