舟運で栄えた蔵造りの商都
千葉県北東部の佐原は江戸との舟運で栄えた河港問屋町。利根川につながる小野川と香取街道が交わる忠敬橋周辺に、重厚な黒漆喰の土蔵造りや格子造りの木造の町家が集まる国指定の重要伝統的建造物群保存地区がある。
味噌、醤油、酒、乾物、荒物の問屋など江戸・明治時代の殷賑ぶりを伝える「小江戸」と呼ばれる町である。
その一角に17歳で婿養子に入り、酒造・米穀・舟運業を隆盛させた伊能忠敬の旧宅がある。忠敬は事業家として大成して50歳でキッパリ家督を息子に譲り江戸に出て念願の天文学や測図法を学ぶ。のちに実測による地図を初めて作った“日本地図の父”である。
56歳から72歳までの16年間の推定歩数から「四千万歩の男」と称される。
忠敬旧宅を見学のあと、対岸にある伊能忠敬記念館に入る。現代地図とほとんど違いのない正確な『大日本沿海輿全図』(伊能図)に驚く。「50歳は当時ならご隠居なのになあ」「第2の人生がさらに充実していたなんてね」。と小声でささやく年配夫婦の会話に納得。
記念館のすぐ前の橋から水が流れ落ちる樋橋のたもとから出る小野川めぐりの舟に乗った。
女船頭さんが竿で漕ぎながら、「銚子で荷揚げや周辺でとれた産物は舟で佐原に集められ、小野川から利根川を遡り関宿を経て江戸川で江戸へ運ばれました」とガイドする。
反対に江戸から多くの文物が持ち込まれ、「お江戸見たけりゃ佐原におじゃれ、佐原本町、江戸まさり」と唄われたという。重厚な蔵造りも絢爛豪華な山車や囃子の「佐原の大祭」も、忠敬の地図づくりの夢もこれらの川からもたらされたに違いない。
そう考えながら低い目線から岸辺を眺めた。連なる柳並木と古い町並みがゆっくり流れる。そこは小学校の通学路にあたるらしく、下校の赤いランドセルの子どもが何人も通り過ぎる。中には舟に手を振る子どももいる。古い町並みがふっと明るんだ。(旅行作家)
●水郷佐原観光協会TEL0478(52)6675
中尾隆之(なかお・たかゆき) 北海道生まれ。高校教師、出版社を経てフリーの紀行文筆家に。歴史の町並み、味、温泉、鉄道分野の執筆・著作多数。全国銘菓通TVチャンピオン。日本ペンクラブ会員、日本旅のペンクラブ代表