戦後間もない1951年、山形かみのやま温泉の葉山の地に、わずか7室の客室から始まったこの旅館は、増築のおり工事現場で、1枚の焼き物の破片がみつかった。奈良朝時代、1300年以上も前に開かれた窯跡からのものだった。それを名の由来にしたのが「日本の宿 古窯」である。
今では総客室数136室、グループ企業では進取のグランピング施設を営むなど、温故知新の経営で知られる。創業から70年を経てなお、私たちを惹(ひ)きつける魅力の源には、名物女将の存在がある。
初代・女将の佐藤幸子氏が執筆した「からっぽの金庫から」は、これを原作に「あばれ女将」のタイトルで東京・帝国劇場で舞台化された。日本特有の“おかみ”という職業を広く知らしめた一冊である。私ごとだが2003年、処女作出版を機に幸子大女将の推薦で、日本旅行作家協会に入会した。斎藤茂太氏、兼高かおる氏(いずれも故人)が会長を務められた時代のことである。なので大女将は筆者にとって恩人であり、文筆家としても尊敬してやまない。
2代目・女将の佐藤洋詩恵氏との交流は長く、その気配り・目配り、感性には、学ぶことばかりだ。航空会社で客室乗務をされたころ冊子でお見かけしてから一向に、お歳を召さないように見受ける。洋詩恵女将とは季節の折々、書簡でやりとりさせていただいている。大手旅行会社が主催した賀詞交歓会でお会いしたとき、「女性がここまでキャリアを積むのは大変だったでしょう」と声をかけてくださったのが忘れられない。職業戦士とは旧い言葉だが、女性同士の通ずるものを持っている。
淑徳大学の千葉ゼミで観光を学ぶ学生たちと、初秋の古窯を訪ねた。客人として旅館のおもてなしの極意を知ることは、人生の学びにもなる。夕食には、アワビの酒蒸しや、マツタケと鮭川村のマイタケ土瓶蒸し、特選牛のすき焼きに温玉子、古窯開運窯パイシチューには歓声が上がった。
一番のサプライズは、チェックアウト時に、学生一人一人に贈られた洋詩恵女将が上梓した「古窯曼荼羅(まんだら)」である。ハードカバーを開くと、それぞれに丁寧な毛筆で宛名とメッセージがつづられていた。夜のうちにしたためてくれたようで、頭が下がった。
そして美しい若女将、3代目の奈美氏が襷(たすき)をつなぐ。山形の有名女将三代記は、まだ序章にある。今後の若女将のご活躍と永代のご繁栄を祈念する。
鶴岡あつみ温泉郷で300年以上の歴史をもつ旅館「萬国屋」を古窯が引き継いだのは、2019年のことである。その一報を聞いたとき、県観光の盟主として地域を守ろうとしている、と直感した。日本全国を見渡せば、かつてにぎわった温泉街や衰退した地域に外資が参入し、景色を変える向きが顕著である。自然災害やコロナ禍で痛手を負った山形の観光を、きっと再生してくれるだろう。
さかのぼること15年前、兼高氏や協会の人たちと出羽三山神社でご祈祷して鶴岡を訪ね、最上川舟下りや酒田の居酒屋で一献した。兼高氏は、「山形は素晴らしいわね」と笑顔で語られた。世界を知っているからこそ、日本の良さがよくわかる。これも古窯あってのありがたい「ご縁」と、心から感謝している。
(淑徳大学 経営学部 観光経営学科 学部長・教授 千葉千枝子)