20度を超える小春日和があったかと思えば、11月に都心に雪が降った。54年ぶりとか。その日に中央道から山梨を越えて長野県に向かった。混乱し渋滞したのは積雪のない八王子までで、そこから白銀の世界が広がるが、幸い路面は除雪され、通行には支障なく、無事に南信州に到着した。
山々は紅葉の赤と白銀という見たことがない美しいコントラストである。異常気象なのか、温暖化なのか。大都市では雪が舞うだけ混乱する。文明が発達しても自然にはかわない。しかし、その自然がなければ生きていけないのは当然であり、その恵みは計り知れない。素晴らしい観光資源であり、食料生産現場である。それらを生かす知恵と努力が地域振興になる。
年末になってNHK大河ドラマ「真田丸」は、大阪城の出城、真田丸をめぐる攻防がいよいよ佳境を迎えた。過日、真田のふるさと上田市の上田城址と真田丸大河ドラマ館を訪れた。また、天下分け目の関ケ原の合戦は、戦国時代の大河ドラマでは必須の場面である。戦国武将ブームの今日、「歴男」「歴女」に人気のスポットでもある、関ケ原町歴史民俗資料館と、徳川家康や石田三成の陣跡など古戦場も訪ねた。
歴史は戻れるはずもなく、“タラレバ”はナンセンスだが、真田幸村が家康の至近距離まで迫った大阪城の戦いも、内応や寝返りがあった関ケ原も、ちょっと何かが変わっていれば違う結果が出ていて、歴史も大きく変わっていたことになる。まさに紙一重である。
マンツーマンで案内してくれた地元歴史ガイドと、「東軍より多い西軍がなぜ負けたのか」「何が足りなかったのか」「もし結果が違えば後の世の中はどうなっていたのか」など、らちもないタラレバ談義をしながら歩いたが、楽しくもあり、学びも多い。
城のマニアでもないのだが、戦国時代の山城から幕末に至るまでの城址を偶然にも70箇所も訪ねたことになる。重機が何もない400年以上も前の時代に人足だけで、木造で五層七階の天守閣であったり、高い石積みであったり、巨大な堀や空堀など、地形や防御を考えた多彩な仕掛けや技術に感心するばかりである。その高度な技術もさることながら、もう戦いはあってはならないが、人心掌握術や人生の機微や生き様、日本人の心とその精神も、歴史から学ばなければならない。
時代劇が茶の間のテレビからほとんど無くなった今日、歴史を懐古する機会として大河ドラマは貴重な機会と言えよう。史跡や場所はほぼ変わりなくあるが、見ただけでは分からず、そこにガイドの役割が極めて大きいのだが、語りっぱなしではなく、双方向でコミュニケーションができるガイドが少ない。その養成が観光振興の鍵となる。放送の年にのみ、ゆかりの地に一気に押し寄せ、単年度に終わることなく、地域は継続的な誘客につなげるための起爆剤にしなければならない。また、観光客は、興味の入り口として知力を積み上げてほしいものである。