ある老舗ホテルを舞台にした書籍を読んだゼミの学生が「伝統」について話し合った。世の中の移り変わりに合わせて変えなければならないものがある一方、どれだけ年月がたとうとも変えてはならないものがあると言う。
2015年、日本はもとより世界の人々に惜しまれながら一部の建物をクローズし、建て替えに踏み切った都内のホテルが、4年の月日を経てこの9月にオープンする。前回の東京オリンピック開催を控えた1962年に誕生したこのホテルは、日本を代表するホテルと呼ばれるまでになった。
強みは最高の施設、最高の料理、そして最高のサービスだ。当時の日本建築の粋を集めて建てられたといわれたその建物は、西洋の模倣ではなく、日本の文化を表現するホテルを目指し、海外からの多くのお客さまに、日本の伝統的なデザインや空間を楽しませる役割を果たしていた。とりわけ象徴的なのはロビーのたたずまいで、クローズ前は最後に写真に収めようとする人、思い出に浸る人、さまざまな思いを抱えて訪れる人々でごった返した。なんとかこの建物を後世に残せないかと内外から多くの声が寄せられたと聞くが、私も建て替えに寂しさを感じた1人のファンである。
周囲の建物に隠れていたホテルが高層建築物に変わり、敷地内には低層のブランドを異にする建物も配置される。すっかり姿形を変えることになるわけだが、開業以来多くの人々に愛されてきた、そのホテルらしさをこれからも感じられると期待してやまない。
そのホテルには、まるで自分の家に帰ってきたような安らぎとくつろぎがあった。時代に合わせて建物が新しくなっても、4年ぶりに自宅に帰ってきたのと同じようにあたたかい笑顔で迎えられ、きっと心穏やかに安らげるに違いない。創業の精神としてそこに息づくホテルの伝統は、変わらずに私たちを包み込んでくれることであろう。次世代を担う学生が出した答えのように。
(NPO・シニアマイスターネットワーク会員 亜細亜大学経営学部ホスピタリティ・マネジメント学科准教授 五十嵐淳子)