武蔵野美術大学は10月27日、「バリュークリエイション・フォー・トーキョーツーリズム・フォーラム2026(Value Creation for Tokyo Tourism Forum 2026)」を東京都新宿区の市ヶ谷キャンパスで開いた。同大が東京都と連携し、3年間実施してきた観光経営人材育成プログラムの最終年度の取り組みとして実施した。同大学長の樺山祐和氏のあいさつに続いて、同大造形構想学部クリエイティブイノベーション学科教授の丸山幸伸氏が、「観光経営人材育成事業成果報告」を発表。立教大学観光学部教授で大学院ビジネスデザイン研究科教授・委員長の庄司貴行氏と、日本ホテル株式会社取締役兼オペレーション部長・東海大学観光学部観光学科客員教授の生沼久氏が登壇し、丸山教授がモデレータを務めるパネルディスカッションも実施した。
開催時間は18時30分から20時30分まで。プログラムは事業成果報告、アルムナイセッション、パネルディスカッションで構成した。
同フォーラムは、同大独自のVCP(価値創造人材育成プログラム)の教育メソッドを観光分野に適用し、従来のスキル習得型とは異なる「価値創造型人材育成」の可能性を検証してきた成果を共有する場。履修者ネットワーク(アルムナイ)を基盤とした新たな共創の可能性も示した。
「観光の『観』は観察の観」 学長が観光への参画に言及

樺山学長は、美術大学が観光の領域に参画するのは初めてだと説明した。
「観光の観は観察の観でございますし、通常の見るということ以上の意味合いがある」と述べ、「光」についても人物や伝統などを含め、さまざまな意味が込められているとの考えを示した。深い考え方を基に観光を捉えることで、新しいアプローチが始まるとした。
市ヶ谷キャンパスについては、都心キャンパスとして自治体や企業との関係を築きながら授業を展開する新しい取り組みだと紹介。参加者同士が横につながる機会になることへの期待も語った。
3年間で段階的に学ぶ 応募者数は想定を上回る人数に

丸山教授は、3年間のプログラムの設計意図を報告した。初年度は美術の価値と観光の関わりを掘り下げた。2年目、3年目はデザインの観点から観光経営や新規事業づくりを検討した。
背景には、インバウンド拡大による現場の負荷の高まりがある。ホスピタリティが逆に自分たちを苦しめるほどの稼働状態になっている現状を挙げ、顧客と提供側の新しい接点が必要だと述べた。
経営の観点では、2019年に経済産業省と特許庁が打ち出した「デザイン経営宣言」を紹介した。競争戦略中心の経営から、イノベーションの創出と、企業の自己定義を顧客との日常のコミュニケーションにつなげるブランドの両輪へという考え方だ。
各年度の内容は次の通り。
- 1年目:アート資源の活用
- 2年目:サービスデザイン
- 3年目:観光産業のデザイン経営
講師には、ギャラリストの千葉由美子氏、ホテルの総支配人を務めた生沼氏、ユニバーサルデザインの専門家の榊原直樹氏、グランドレベルの田中元子氏、熊澤酒造の熊澤茂吉氏らを招いた。毎週の講義の後半に演習を行い、学びを定着させた。
プログラム開講期間中にはキャンパス外に出て町歩きを実施した。初年度は千駄ヶ谷から代々木、2年目は浅草橋。任意参加のフィールドワーク・伊豆大島では合宿を行い、現地の資源をサービスデザインにつなげた。丸山教授は歩きながらクロッキーを描く所作を受講生に身につけさせたと説明。写真を撮るだけでは満足してしまうが、クロッキーに描くことで内省が起こるとした。
そして、修了後もコミュニティが続いて、新たなコラボレーションが実現した例もある。。博物館勤務の受講生が、メズム東京とのコラボ企画を実施し、ホテルのイベントサービスとして提供された例もある。受講生から、武蔵野美術大学の学部や大学院に進んだ事例もあるという。
募集人数は25人程度。初年度は観光新聞の協力でPRし、58人の応募があった。2年目は広報を絞ったが募集を上回った。今年度はPRを強化し、募集人員を大幅に上回る応募があった。
旅館とホテル、何が違うのか

パネルディスカッションでは、庄司氏と生沼氏が旅館とホテルの違いを語った。
庄司氏は両者の最大の違いを「ゲストとホストが接触する時間の長さ」と整理した。旅館は食事や挨拶を含めて接触が圧倒的に長く、ホスト側がゲストを慮る度合いも大きい。若い世代には、部屋に人が入ることや挨拶の長さを苦手とする旅館離れもあると説明した。
生沼氏は、ホテルは西洋文化を持つ様式だと述べた。そのうえで「ホテルというスタイルからは逃げたくない」とし、様式の中に日本らしさや日本のフィロソフィーをどれだけ入れ込めるかを考えていると話した。ホテルは旅館に比べタッチポイントが短いと認めたうえで、旅館的な距離感や時間をホテルに取り入れられないかとも語った。
丸山教授は、ホテルはもともと公共性を帯びたセミパブリック空間で、旅館は隠れ家的な空間だという庄司氏の視点を紹介した。庄司氏は、地域に開かれた形は旅館にあまりなかったとし、黒川温泉に代表される町歩きの評判を例に挙げた。
ハイアットグループが旅館ブランドを展開し始めた動きについて、生沼氏は「日本がよりグローバルに注目される機会になる」と評価した。どちらが良い悪いではなく、掛け合わされた新しい価値観を世界と共有するきっかけを日本から作りたいと述べた。
加賀屋の浴衣と、世界標準になったおもてなし

立教大の庄司教授
庄司氏は、休業中の能登半島の加賀屋のサービスを象徴例に挙げた。客室に浴衣を用意せず、後から持参する。着替えると、家族全員のサイズがぴったりになっている。サイズを尋ねず、玄関から客室までの案内の間に、仲居が複数のチェックポイントで体格を見極めて把握しているためだ。庄司氏は「個に対してピタッと寄り添う」サービスだと説明した。
丸山教授は、定量データを聞かずに手に入れる暗黙知を、高度な日本型サービスだと位置づけた。
生沼氏は、約30年前のベルボーイ時代の経験を語った。到着した車の荷物のラゲッジタグを見て名前を把握し、「Welcome to Mr. ○○」と声をかけると客は驚いた。今ではそれがホテルサービスの世界標準になっている。
世界のサービス基準は、客とコミュニケーションを取るフレンドリーな方向にあるという。日本は控えめにさりげなく振る舞うことを良しとしてきたが、世界のクオリティの高さにどう向き合うかが問われている、と危機感を示した。
コスパを超える視点とキャパシティの制約

日本ホテルの生沼取締役
丸山教授は、日本のサービス業が長年コストパフォーマンスにさらされてきたと指摘し、不便の向こうにある価値に言及した。
庄司氏は、時間とお金のバランスで考える必要があるとした。時間よりお金が大事な時期が長く続いたが、今は比較的時間に余裕のある人が増え、無駄があってもよい状況になっているという。
生沼氏は、物価高や建築費の高騰で、ホテル開発では飲食部門などを外出ししてテナントにする流れが強いと説明した。その流れに抗いたいと述べ、利益率が低く見える飲食部門が、ホテル全体の世界観を形づくり客室の価値を高めると語った。ホテルは運営力で価値を上げるオペレーショナルアセットだとした。
庄司氏は、観光は英語で「キャパシティ・コンストレインド・ビジネス」と呼ばれると説明した。供給力を簡単に増やせない点が製造業との違いで、ディズニーランドのようなテーマパークや、飛行機、電車、ホテルも同じだという。オペレーションが機能すれば利益率は上がる。
生沼氏は、グローバルのやり方を理解したうえで、どこを外すかが重要だと述べた。
丸山教授は、街丸ごとホテルの例を挙げた。朝食は自分で商店街に食べに行く。アーケード街を再興する取り組みで、コアとノンコアの区別なくエコシステムとして捉える必要性を示した。
「借景ビジネス」と「想像上の立場の交換」

東京のインバウンドについて、庄司氏は訪日客が何を喜んでいるかを、自分たちの常識で決めつけずに見ることが重要だと述べた。例としてスクランブル交差点、満員電車、マクドナルドを挙げた。
庄司氏は、アダム・スミスの「想像上の立場の交換」にも触れた。相手の立場に立って想像する考え方で、おもてなしの根底にあるとした。訪日客が見ている葉っぱは何色なのかまで見ることがヒントになる、と語った。
生沼氏は、メズム東京の客室に、ピアノや自分で入れるお茶など多様なコンテンツを入れた経緯を話した。ホテル運営会社からは当初、強く反対されたが、現在は高く評価され、シンガポールのプロパティオーナーからコンセプト導入の打診もきているという。
丸山教授は、観光は休息ではなく、体験を通じて何かを生み出す活性だと位置づけた。庄司氏は、楽しみの「楽」を漢字で書かない理由に触れ、四国での染色やホップ栽培、農作業の手伝いなど、あえて労働に入っていく楽しみが広がっていると説明した。
生沼氏は、イノベーションはゼロからではなく掛け算で生まれると述べた。ホテルはハブとして掛け算がしやすいという。直感的な感性を先に開放し、事業化のための論理は後付けするという考え方も示した。
庄司氏は、観光ビジネスを「借景ビジネス」と呼んだ。自分の土地ではない海や空、山の景色を借りて価値を生む。さらに地元の食文化、祭り、人情も借りている可能性があるという。
日常の価値を再発見し、サービスデザインで編集する
丸山教授は、日常に埋もれていた価値未満のものを外からの視点で再発見し、背景にある構造を体験として編集し直すことが、サービスデザインだと総括した。文化を読み解くだけでなく、構造的に見直して届けるサービスデザインを、地域規模で実践することがこれからの観光だとした。
【kankokeizai.com 編集長 江口英一】




