群馬・片品村の中学生が、台湾の國民中学校の生徒たちと学校交流をすると聞いて、強行軍の1泊2日で台北へと飛んだ。松山空港では、JTB群馬支店の三上敬太支店長が笑顔で出迎えてくれた。お互いに、仕事というよりは、片品村応援団としての訪問だ。
学生の交流事業は3泊4日の行程で、すでに3日目を迎えていた。現地中学校の教室や体育館でグループ活動や授業体験が大半を占めるプログラム構成になっている。とはいえ、初日は十フンでランタンを上げて九フンを見学。2日目は学校交流の前に忠烈祠で衛兵の交代式をみて、中正紀念堂へ。夕食後は士林夜市を歩いた。3日目は、学校交流の後、台北101の展望台から夜景を眺め、ホテルに戻ったのは夜の9時過ぎ。盛りだくさんで見聞を広めた。同行する教育長や校長先生、教員が、生徒の安全確保と運営に一生懸命、汗をかいているのが印象的だった。
私学と公立とで体験格差が生じているのは、今に始まったことではない。だが、今回の例は、学校単体ではなく自治体が、予算をもって参加対象を絞らずに教育現場の裁量で施しているのが特長で、生徒たちを「将来の地域を背負って立つ宝」と捉えている。
先の令和8年熊本地震への台湾からの寄付・義援金が続々と寄せられ、日本国パスポートの申請手数料が大幅に引き下げられた。急激な円安進行に日米協調で為替介入するなど、世界情勢を肌身で感じた今夏である。台湾との民間交流を、これからも応援したい。
最終日、生徒たちは故宮博物院や龍山寺を観光バスで訪ねてから夕刻、帰国の途につく。そこで、梅澤志洋村長と片品村観光協会の倉田剛専務理事、三上支店長の4人で早朝、台北駅から台湾新幹線で左營駅をめざした。台湾四大仏教の一つ「佛光山(ぶっこうざん)」総本山を参拝するためだ。群馬・伊香保に分院があるから、ご存じのかたもいるだろう。巨大な阿弥陀仏と永融法師が温かく出迎えてくれた。
参拝後、新幹線に飛び乗って台北駅でお別れして空港をめざした。まさに弾丸の旅だったが、充実した2日間だった。
ちなみに筆者の初台湾は、今からちょうど40年前の1986年、戒厳令がしかれていたとき。大学3年次のゼミ仲間とアジアの経済調査で訪ねたのが始まりだ。当時、街中では撮影禁止。日本統治時代に教育を受けた世代の人たちが日本語で次々に話しかけてきて驚いた。メンバーには、現在、毎日広告社で代表取締役社長を務める稲垣雅史さんもいた。同じ釜の飯で、今も旧交を温めている。
それからの台湾との往来は、ゆうに100回を数えた。まず、旅行会社勤務時代の初添乗が台湾で、そのころ新光三越の開設で駐在していた細沼公さんがアルバイト時代の上司だった縁から、行けばよく面倒をみてもらった。それに実父が定年後、二輪車のゲストエンジニアとして丸10年、新竹の三陽工業に通い詰めた。通訳兼エンジニアとして父の面倒をみてくれた葉啓南博士とは、今も家族ぐるみで付き合う。筆者のジャーナリスト活動では、台湾観光協会・東京事務所に、取材等で世話になった。まさに台湾は朋友だ。
すさまじく発展を続ける台北は、上空からの景色が、これまでになく美しかった。次回は、片品村と伊香保で会いましょう。
(観光ジャーナリスト・淑徳大学経営学部観光経営学科教授 千葉千枝子)




