北村氏
はじめに
同じ地域に立地し、客室数や施設グレードも似ているホテルであっても、客室稼働率、ADR、RevPAR、口コミ評価、連泊率などには大きな差が生じます。その違いは、建物の新しさやブランドの知名度だけでは説明できません。地域にどれほど優れた観光資源があっても、その魅力がゲストに伝わらなければ、宿泊には結び付きません。反対に、必ずしも有名観光地ではない地域であっても、ホテルがその土地の文化、食、自然、産業、人々の営みを上手に伝えることができれば、ゲストに「この地域に泊まりたい」と思ってもらうことができます。
ホテルは、単に客室を提供する建物ではありません。地域に存在する魅力を見つけ、編集し、ゲストが体験できる形へ変換する場所です。そして、その変換を実際に担っているのが、ホテルで働く一人ひとりのスタッフです。
本稿で提起するK-HEGM-Route(Kitamura Hotel Economic Gravity Model―Route Extension)は、ホテルと地域の関係を「重力」という考え方で捉え、ゲストがどの地域に引き寄せられ、どこに何泊するのかを考えるための実務モデルです。
本モデルは、ホテル評価、地域分析、宿泊施設の現場観察から導いた、検証可能な実務モデルです。地域やホテルの価値を一つの数値で断定するものではなく、複雑な現実を分かりやすく整理し、宿泊業界で働く人々が同じ視点を持って改善の方向を考えるための共通言語として提示するものです。
ゲストの旅を三つの段階で考える
K-HEGM-Routeでは、ゲストの旅行を大きく三つの段階に分けて考えます。
第一段階は、どこから地域へ入るのかです。海外からのゲストであれば、どの空港を利用するのか、どの都市から直行便があるのか、便数や座席数はどの程度あるのかが、旅行の入口を左右します。国内旅行であれば、新幹線、高速道路、鉄道、航空路線などが入口になります。この段階では、地域までの経路が利用しやすいかどうかが大きく影響します。
第二段階は、どの地域に引き寄せられるのかです。歴史、文化、食、自然、温泉、祭り、買物、産業、地域の物語などが、その土地の魅力を形成します。しかし、魅力が存在するだけでは十分ではありません。情報が届き、交通手段が分かりやすく、宿泊施設があり、滞在方法を具体的に想像できて初めて、ゲストの選択肢になります。この段階では、地域が持つ魅力と、それをゲストに届けるホテルの力との掛け算が働きます。
第三段階は、その地域に何泊するのかです。旅行者が使える日数には限りがあります。東京に何泊し、京都に何泊し、地方都市や温泉地に何泊するのか。ゲストは、限られた日数を、それぞれの地域に感じる魅力や移動のしやすさに応じて配分します。そこに、地域がどれだけの宿泊需要を受け止められるかという受入能力が関わります。
この考え方を単純な式で表すと、次のようになります。
V = A × G × H × R
n = D ×(V ÷ 全地域のVの合計)
Vは地域の総合的な宿泊引力、Aは地域の魅力度、Gはホテルの経済重力、Hは地域の受入能力、Rは経路の利用しやすさを表します。nはその地域での宿泊日数、Dは旅全体の宿泊日数です。
この式が示していることは、決して難しくありません。ここでいう「全地域」とは、旅行者が一つの旅程の中で訪問先として比較する地域の集合を意味します。
地域の宿泊引力は、地域の魅力、ホテルの力、受入能力、たどり着きやすさの掛け算で形成される。そして、旅全体の日数は、より強い引力を持つ地域へ多く配分される。
それだけです。
ホテルの経済重力とは何か
このモデルで、ホテルスタッフが最も直接的に変えられるものがG、すなわちホテルの経済重力です。
地域の魅力Aは、その土地の歴史や自然、文化、産業、人々の営みによって形成されます。地域の受入能力Hは、客室数や客室タイプ、観光施設などへの投資によって決まります。経路の利用しやすさRは、空港、鉄道、道路、案内表示、予約環境、二次交通などの影響を受けます。
Rは、単なる距離ではありません。
乗換えが分かりやすいか、多言語で案内されているか、二次交通を予約しやすいか、駅からホテルまで安心して移動できるか。こうした条件も、ゲストがその地域を「行きやすい」と感じるかどうかを左右します。ホテルが送迎を用意したり、分かりやすいアクセス情報を発信したりすることも、Rを高める行為です。
一方、Gは、ホテルが地域の価値をどこまでゲストの体験へ変換できるかを表します。
たとえば、地域に優れた食文化があっても、レストランで産地や生産者が説明されず、どこにでもある料理として提供されれば、その魅力は十分に伝わりません。
しかし、「この魚は今朝、地元の港で水揚げされたものです」「この酒は、この地域の水と米から造られています」と伝えることができれば、料理は単なる食事ではなく、その土地を体験する時間になります。
フロントで鍵と朝食時間だけを案内すれば、ホテルの機能を説明したことになります。一方で、「明日はどちらへ行かれますか」と問い、天候やゲストの関心に応じて地域での過ごし方を提案できれば、ホテルは地域への入口になります。
客室清掃も同じです。清潔で、静かで、安心して休める客室は、目立たなくてもホテルの信用を支えています。その信用は口コミや再訪意向を通じて、次のゲストの選択に影響します。
設備管理、予約、営業、マーケティング、料飲、宴会、清掃、フロント。すべての仕事がGを構成しています。
未実現価値を見つける
K-HEGM-Routeが現場に与える重要な視点の一つが、未実現価値です。地域に魅力があり、交通条件も悪くなく、一定の宿泊施設もある。それにもかかわらず、宿泊日数、ADR、連泊率などが伸びていない場合、そこには、まだ十分に実現されていない価値がある可能性があります。
原因は一つではありません。
宿泊施設が地域の魅力を伝え切れていないのかもしれません。夜や早朝に楽しめる体験が少ないのかもしれません。地域内交通が分かりにくいのかもしれません。魅力は存在していても、予約できる旅行商品として整理されていないのかもしれません。ホテル単体でも同じです。同じ地域にあり、施設条件も大きく変わらないホテルと比べて、自ホテルのADR、連泊率、口コミ評価が低い場合、ホテルの持つ力が十分に発揮されていない可能性があります。ただし、未実現価値という言葉は、スタッフを責めるために使うものではありません。建物、客室面積、築年数、ブランド、販売チャネル、団体比率、改装履歴など、現場だけでは変えにくい構造的な要因もあります。大切なのは、現在の実績と、本来持ち得る価値との差を見つけ、どこなら変えられるかを考えることです。
現場で使うために
K-HEGM-Routeは、精密な数値計算をしなければ使えないモデルではありません。
自分の地域の観光客数、宿泊施設数、客室数、主要空港や駅からの所要時間、地域内の交通手段、代表的な観光資源などを整理するだけでも、議論を始めることができます。地域の魅力は何か。宿泊の受け皿は十分か。たどり着きやすさに課題はないか。ホテルは地域の魅力を体験へ変換できているか。どこに未実現価値が残されているか。こうした問いを、DMO、宿泊施設、自治体、交通事業者、金融機関、地域の事業者が、同じ言葉で話し合えることに、このモデルの実務的な意味があります。
また、時系列の変化を考えることもできます。空港便数が増えれば、入口の条件はどう変わるのか。二次交通を整備すればRはどう高まるのか。ホテルが地域の食体験を強化すればGはどう変わるのか。客室供給が増えればHは高まる一方、供給過剰の懸念はないか。K-HEGM-Routeは、未来を自動的に予言するものではありません。しかし、条件が変わったときに、どこへ影響が及ぶかを整理するための思考の枠組みになります。
明日から変えられること
K-HEGM-Routeは、大規模な投資だけを求めるモデルではありません。
現場の小さな行動も、ホテルと地域の結び付きを変えます。チェックイン時に、ゲストの翌日の予定を聞く。地域について、自分の言葉で語れる話を三つ持つ。混雑していない場所や時間帯を知る。ゲストの反応を部門間で共有する。チェックアウト時に、次に戻る理由を一つ伝える。
どれも、特別な設備を必要としません。
「今日は雨ですね」で終わるのか、「雨の日なら、近くの酒蔵をゆっくり見学できます」と伝えるのか。
この違いは小さく見えます。しかし後者は、天候という不利な条件を、地域体験へ変換しています。地域の魅力Aを、ホテルの力Gによって宿泊価値へ変えた瞬間です。同じ勤務時間でも、地域を知り、相手を見て、次の行動につながる一言を届けられるかによって、ホテルが生み出す価値は変わります。
実務モデルとしての位置付け
K-HEGM-Routeは、現時点で、すべての係数や因果関係が確定した完成理論ではありません。地域の魅力度をどう測るのか。ホテルの経済重力をどの指標で捉えるのか。客室供給はどこまで増えれば効果が弱まるのか。市場ごとに、移動時間や交通費への感じ方はどう異なるのか。これらについては、今後、宿泊統計、交通データ、口コミ、ホテル別の運営データなどを使って検証を重ねる必要があります。それでも、このモデルを提起する意味はあります。実務の現場では、データが完全に揃うまで何も考えないというわけにはいかないからです。ホテルは毎日ゲストを迎えています。地域も毎日、観光客や宿泊客を受け入れています。現場では、限られた情報の中で、何を改善し、何を伸ばすべきかを考え続けなければなりません。そのとき、地域、ホテル、交通、供給、滞在日数を別々に見るのではなく、一つの関係として捉える枠組みがあれば、議論を整理しやすくなります。また、このモデルは、ホテル一社の中だけで完結するものではありません。DMO、自治体、交通事業者、地域の生産者、飲食店、文化施設などが、同じ視点を共有したとき、地域全体の宿泊引力は強くなります。
おわりに
ホテルの価値は、建物の中だけで生まれるものではありません。地域に存在する魅力を見つけ、ゲストに届く言葉や料理、サービス、滞在体験へ変換することで、初めて宿泊価値になります。その変換を担うのは、経営者や投資家だけではありません。フロントで交わされる一言、料理に添えられる物語、丁寧に整えられた客室、安定して動く設備、相手の旅程を考えた予約提案。その一つひとつが、ホテルの経済重力を作っています。今日の一言、今日の一皿、今日整えた一室が、ゲストの旅を変えます。ゲストの旅が変われば、ホテルの価値が変わります。ホテルの価値が変われば、地域の価値も変わります。
私たちの仕事は、単に宿泊場所を提供することではありません。人と地域を結び、その土地に泊まる意味を生み出すこと。K-HEGM-Routeは、その見えにくい仕事の価値を、宿泊業界で働く誰もが同じ言葉で語り合えるようにするための実務モデルなのです。
株式会社日本 ホテルアプレイザル代表取締役/株式会社サクラクオリティマネジメント代表取締役/一般社団法人宿泊施設関連協会副理事長 北村剛史




