前回の続き。NYで訪れた、「グランド・セントラル・オイスター・バー&レストラン」は、1913年、グランド・セントラル駅構内で創業。100年以上の歴史を誇るオイスター・バー文化の先駆者だ。NY以外唯一の支店は、東京品川。訪ねてみると、NYと同じアーチ形の天井や、赤白ギンガムチェックのテーブルクロスが、何だか懐かしい。
NY本店も品川店も、日付入りのメニューをA3サイズの紙に印刷して手渡している。ナゼなら、生牡蠣(がき)は十数種類用意されており、日によって産地が違うから。ランチでは4種各1個のオイスタープラッターがあり、コレも日替わり。生牡蠣にはビネガーとカクテルソース、ホースラディッシュが添えられているが、レモンを絞るだけでウマい♪ 産地による味の違いも楽しめて最高!
生牡蠣も美味だが、同店名物料理は他にも。白いニューイングランドと、赤いマンハッタンの2種のクラムチャウダー。そして、牡蠣の上にクリームスピナッチとオランデーズソースをかけて焼き上げた「オイスターロックフェラー」。いずれもNY本店と同じレシピだ。火を通した牡蠣料理も数種あるので、生牡蠣が苦手でもOK!
考えてみると、牡蠣の生食は、生食文化のない欧米から逆輸入されたモノだった。かつて日本では、刺し身は食べるのに、牡蠣を生で食べる習慣がなかったのだ。牡蠣自体は縄文時代ごろから食されていたが、火を通していた。流通が未発達で保存も難しいため、産地以外では食べられなかった。明治時代になると食文化も西洋の影響を受け、牡蠣の生食文化が広まったという。だが生食が本格的に普及したのは、冷蔵技術が発達した戦後だそう。
では、欧米の生食はいつ頃から? 実は、古代ローマでは既に牡蠣を生食していたという記録があるようだ。その後フランスで、生牡蠣は王侯貴族の人気を博し、太陽王ルイ14世やナポレオンは、毎日大量の生牡蠣を食べていたらしい。冷蔵技術のない当時、海から遠いパリまで陸路で運ぶワケだが、生牡蠣というより「活」牡蠣だから食べられたのだろう。
フランスでは、かつて在来種のヨーロッパ平牡蠣が主流だったが、1960~70年代に病気がまん延し、牡蠣がほぼ死滅してしまったという。仏牡蠣産業崩壊のピンチは、宮城県産種牡蠣導入で救われた。現在フランス産牡蠣の9割以上が、三陸がルーツの真牡蠣だ。
2011年、東日本大震災で宮城県の牡蠣産業が壊滅状況に陥った時、今度は自分たちが恩返しをと、フランスが立ち上がってくれた。仏牡蠣生産者団体や養殖資材企業、高級ブランドのルイ・ヴィトン社などが、資材や復興支援金を提供してくれたのだ! 2016年、再びフランスで牡蠣の病気が広がると、日本側からお返しを発動、両国間の絆はさらに強まったそうだ。
さて、英語圏ではRの付く月以外牡蠣を食べないって本当? 牡蠣の物語、次号はいよいよ完結編!
※宿泊料飲施設ジャーナリスト。数多くの取材経験を生かし、旅館・ホテル、レストランのプロデュースやメニュー開発、ホスピタリティ研修なども手掛ける。




