八重樫氏
仲間とのつながりこそ宝
2026年の1月1日も私は三陸海岸宮古の海で新年を迎えた。今年の初日の出は例年より神々しく見えたのは私の気持ちのせいだったかもしれない。15年の年月を感じたせいだと思っている。2011年の元旦の初日の出の時、私を含めて誰一人としてその2カ月後にあの自然の驚異に会うことなど想像もしていなかったからだ。そして間もなく東日本大震災の津波から15年がたとうとしている。
あの日、私は岩手県庁にある県政記者クラブに「岩手県北自動車観光バスガイド入社式」のプレスリリースをするために駐車場にいた。14時46分、強い揺れを感じたと思った途端、正面入り口から多くの職員の方が走って出てきた。揺れはさらに強いまま続き、桜山神社にわたる信号が倒れた。駐車場はアッという間に人であふれた。宮古での生活が長かった私はとっさに津波が来るに違いないと思った。とにかく会社に戻らなければと思い車に乗り込む。案の定、大津波警報が出ていた。ラジオからは避難を呼びかける声。車に乗っていても揺れを感じるくらい、とにかく揺れ続けた。いつもだと20分で着くはずの会社に届かない。そして15時15分、ラジオから津波到達の、しかも今まで経験したことのない大きな津波が押し寄せたと報道、私の頭の中は真っ白になった。この瞬間から明日を考えられない日々が続く。
会社に泊まりながら余震に震え、ラジオの放送をただただ聞いていた。いや聞き流していたという表現が正しい。なぜならその日の夜の記憶は全くないからだ。あるのは車が通らない国道4号線と星がやたらと輝いていたことだけだから。
震災の翌日から、とにかく日々を生きることに追われた。その時のことはここで申し上げると字数・枚数共に間に合わないので割愛させていただくが、とにかく取り戻せない日常を少しでも前に進めるよう従事したことは確かである。
そして発災からおよそ2カ月後、バスガイドと共に宮古市へボランティア活動のため向かった。私が大好きな宮古の景色は街も海も全く無くなっていた。大災害がもたらした傷跡に言葉を失い、自暴自棄になりかけた私を励まし奮い立たせてくれたのは、被災の中で復旧に取り組む地元の皆さんの勇気とたくましさであった。振り返るより前に進むことが今できることだと教えてくれた。
あれから15年である。東日本大震災は多くのものを壊したが、それと同じくらい、生きるための力、人と人とのつながり、私たちに新しい宝物も残してくれた。観光とは大自然と共生しながらそこに生きる人々の文化や生活を伝えることだと感じている。そしてその役目を次の世代につなげることこそ震災の中で生かされた者の使命だと思っている。

八重樫氏




