聖武天皇の古代宮都と山陰地方の山城も。金武鍾乳洞や窯業集落景観も重要文化財に
文化審議会(会長不明)は12月19日、令和7年度の特別史跡1件、史跡6件、名勝1件、天然記念物1件の新指定と、登録記念物の新登録6件、重要文化的景観の新選定1件を文部科学大臣に答申した。特別史跡に指定された「恭仁宮跡」は天平12年(740年)に聖武天皇が遷都した宮都で、後に山城国分寺となった歴史を持つ。この答申後、官報告示を経て史跡名勝天然記念物は3,398件、登録記念物は149件、重要文化的景観は74件となる予定だ。
特別史跡に恭仁宮跡、史跡に出羽金沢城跡など6件を指定
特別史跡に指定された恭仁宮跡(山城国分寺跡、京都府木津川市)は、天平12年(740)に聖武天皇が遷都を宣言し、以後3年3ヵ月営まれた宮都。平城還都後に大極殿が山城国分寺に施入されたという、宮跡を国分寺とした例のない遺跡である。
現在も大極殿基壇や国分寺の塔基壇が残り、発掘調査によって朝堂院や2つの内裏地区といった宮の施設、山城国分寺の僧房と想定される建物遺構等が検出されている。『続日本紀』に記される元日朝賀の記事を裏付けるような憧旗の遺構が検出されるなど、古代宮都の変遷やあり方を伝え、国分寺として鎮護国家思想を体現した場として学術上の価値が極めて高い遺跡とされた。
史跡には6件が新たに指定された。
出羽金沢城跡(秋田県横手市)は、横手盆地内の要衝の地に築かれた群郭式構造の大規模山城で、室町期は南部氏、戦国期は国人領主金沢氏の本拠の城。小野寺氏・六郷氏勢力における境目の城としても機能した。北東北における中世後半期の政治的な情勢とその変化を知る上で重要な遺跡とされた。
大桑城跡(岐阜県山県市)は、16世紀前半から中頃にかけて機能した美濃国守護土岐氏の拠点城郭。政治的空間と居住空間を備え、戦国時代における守護大名の本拠地の構造を知るだけでなく、美濃国騒乱の舞台となった城として、当時の社会的、政治的動向を知る上で重要とされた。
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