旅行業界がEUDIウオレット試験から学んだこと


欧州ではデジタルアイデンティティの変革が転換点に差し掛かっている。EU Digital Identity Wallet Consortium(EWC)のパイロットプロジェクトが完了し、二つの大規模試験が開始されたことで、旅行者が国境、ホテル、航空会社、フェリーおよびデジタルサービスにおいて身元を証明する方法が変わりつつある。

その調査結果は、長年にわたり手作業のパスポート確認に縛られ、扱いにくい規制に直面してきたホスピタリティ業界にとって、救命ロープであると同時に行動を促す呼びかけでもある。

最新の Decentralized Identity Foundation(DIF)Hospitality & Travel Special Interest Group(SIG)セッションでは、業界リーダー、パイロット参加者、技術提供者が EWC パイロットの結果を詳述し、今後導入される EU Digital Identity(EUDI)Walletが旅行をどのように簡素化できるかを検討した。

彼らのメッセージは明確だった。デジタルアイデンティティの採用は旅行者の旅程を大幅に簡素化し、旅行サービス提供者の作業負荷を軽減する可能性がある。しかし、調整すべきデジタルアイデンティティ標準には依然としてギャップがある。

 

パスポート進化の世紀はデジタル時代に到達 A century of passport evolution reaches its digital era

プレゼンテーションは身分証明の100年にわたる進化をたどることから始まり、政府がデジタルシステムを採用して以来、その進歩の速度が加速していることを示した。写真付きパスポートが標準であり続けた期間は60年だったが、過去40年で大きな改善が見られる。

EUDI Walletは次の段階である:デジタルパスポート、運転免許、支払い手段、検証済み属性などの資格情報を格納できる、安全な政府発行のデジタルIDコンテナだ。規制市場(ホテル、航空、銀行、通信)における本人確認需要が国境管理の需要を上回った重要な転換点で、その導入が進んでいる。

「私が得た認識の一つは、国境越えの用途よりも規制対象市場でのデジタル旅行資格情報の利用が多いということだ。それは重要だ」と、NetSys Technology の CEO で SIG 議長の Nick Price は述べた。

ホテルでの本人確認件数は2015年の28億件から2025年には30億件に増加した。航空会社での本人確認は過去10年で9億件から11億件に増加した。一方、国境での確認は同期間に13億件から12.5億件へ減少している。

デジタルアイデンティティは、本人確認が最も頻繁に行われる場所で最大の効率化効果をもたらす――それは圧倒的に国境ではなく、ホスピタリティと航空分野である。

 

EWCパイロット:実際のゲスト、実際のホテル、実際のデータ The EWC pilot: Real guests, real hotels, real data

EWC は、最初に EU が資金提供した4つの大規模パイロット(LSP)の一つで、2023年から2025年にかけて24か国と約80の公的・民間パートナーが参加した。

550以上の公的機関・企業が LSP に参加し、26のEU加盟国(プラス ノルウェー、アイスランド、ウクライナ)で11を超える主要ユースケースを実際の条件下でテストした。これらのプロジェクトはまた、国ごとのEUDI ウォレットに必要な技術およびガバナンスの基盤である「Wallet Toolbox」にも寄与した。

EWC パイロットでは、ホスピタリティが主要なユースケースとなった。

「大規模パイロットの範囲では、実際の人物、実際の金銭、実際のデータで実取引を行うことができた」とSicpa のマーケットセクター・シニアマネージャー、Laurent Loup は述べた。「本当に、本当にエキサイティングだ。」

パイロットでの旅行シナリオには以下が含まれる:

  • ホテルのチェックイン(スペイン Benidorm)、

  • 航空会社のチェックインと搭乗(ルフトハンザ、フィンエアー、Amadeus)、

  • 博物館での年齢確認(Buda Castle、ブダペスト)、

  • フェリーのチケッティング(ギリシャの Fast Ferries)。

スペイン:ホテルのアイデンティティ管理のためのストレステスト

Spain: A stress test for hotel identity management

スペインはホテルのアイデンティティ管理にとって最も強度の高い実証現場となった。政令 933/2021(2024年12月発効)により、ホテルおよびホリデーレンタル提供者は全てのゲストから身分証明書の詳細、未成年と成人の関係、支払い情報、滞在に関する契約データなど、42項目の個人データを収集することが求められる。

「少なくとも、ホテルにいる全員について異なる情報を記入しなければならない」と Visit Benidorm のマネージングディレクター、Leire Bilbao は述べた。「現状では本当に複雑だ。」

この新しい要件は、特に高ボリュームのレジャー目的地で多数のゲストを処理する必要がある場合に、運用上のボトルネックを生む。

「今年初めにバルセロナのホテルでチェックインした私の個人的体験では、パスポート確認に20分以上かかった—最初から最後までひどい体験だった」と Price は語った。

この要件によるボトルネックは行列、ミス、スタッフのストレスを引き起こしている。また、違反した場合の罰金は€100から€30,000に及ぶという規制リスクもある。

「正直、悪夢だ」と Loup は述べた。

Benidormでは、EWC パイロットにより EU 市民が EUDI Walletを用いてホテルにチェックインするという史上初の事例が実現し、スペインの複雑なデータ要件を自動化した。

「欧州ウォレットが可能にするのは、実際に新しいユーザー体験だ」と Loup は述べ、オンラインチェックインが「非常に煩雑」で「多くのエラーを生む手動入力を必要とする」ことと対比した。

デジタルウォレットの処理は瞬時に行われる。「ユーザーが同意すると、すべてのデータが自動的に送信され、数秒でここにすべてのデータが揃う」と Loup は述べた。

 

ホテルにはPIDだけでなく、PhotoIDが必要 Hotels need PhotoID, not just PID

個人識別情報(PID)ではなく PhotoID がホテルには必要だ

個人識別資格情報の標準にはギャップがある。Loup は、EU の基本的な個人識別データ(person identification data. = PID)は氏名、姓、生年月日のみを含み、固有識別子や写真を欠いているため、ホテルや航空では不十分であると強調した。

国際民間航空機関(ICAO)が作成したDigital Travel Credential(DTC)Type 1 も、選択的開示をサポートしないため一般データ保護規則(General Data Protection Regulation = GDPR)に適合せず、ICAO が策定中の DTC Type 2 でも選択的開示の問題が解消されない可能性がある。

したがって EWC パイロットでは、パスポートの属性をすべて含む ISO 規格の PhotoID に依拠した。

「規制対象市場は、顧客を一意に識別し規制を順守するために、パスポートのような属性を含むデジタル資格情報を必要とする」と Loup は述べた。

IATA支援により、航空会社はホテルよりも速く動いてる

Airlines are moving faster than hotels—with IATA’s help

SIG の議論は、旅行業界のセクターごとに進捗の差があることを浮き彫りにした。航空会社はより協調的で進展が早く、その要因として国際航空運送協会(IATA)が実用的な標準確保に注力していることが挙げられる。

「それが航空事業の強みの一つだ。彼らには IATA のような連合体があり……すべてのアーキテクチャやベストプラクティスを推進し、政府や他の利害関係者にロビー活動を行っている」と Loup は述べた。「ホスピタリティにも同様の組織があれば、コミュニティは非常に感謝するだろう。」

「ホテルが協力して、自分たちに必要なことを一つの声で訴えるのは理にかなっている」と Price は語った。

しかし航空会社はすでに生体認証搭乗のプロトタイプを進めている。「これは現在我々が取り組んでいる目的の一つで、IATA でも同様だ」と Loup は述べた。「顔をトークンとして使う……手荷物預けから保安検査、搭乗まで。」

この取り組みは、IATA の 2025年Global Passenger Survey(GPS)の結果と合致している。その結果は次の通りだ:

  • 78% の旅行者がスマートフォンベースのデジタルID+ウォレット+ロイヤルティカードを望んでいる

  • 50% がすでに生体認証を使用したことがある(2024年の46%から増加)

  • 74% が行列を避けるために生体情報を喜んで共有すると回答

  • デジタルウォレットの利用は前年比で20%から28%に増加した

「乗客は、旅行の管理を他の多くの生活面と同じようにスマートフォンとデジタルIDで行いたがっている。予約から手荷物受け取りまでのデジタルプロセスの経験が増すにつれ、今回の GPS が伝えるメッセージは明確だ:彼らはそれを好み、もっと求めている。ただし重要な注意点として、信頼を構築し続ける必要があり、サイバーセキュリティが優先事項であり続けるべきだ。サイバーセキュリティは、航空旅行の予約、支払い、体験のエンドツーエンドのデジタルトランスフォーメーションの中核でなければならない」と IATA の運航・安全・セキュリティ上級副社長(SVP)Nick Careen は述べた。

PhocusWire が最近報じたように、ルフトハンザとAmadeusは2025年後半から欧州各地で EUDI Walletのテストを実施し、パスポート不要のオンラインチェックイン、自動APIデータ転送、生体認証による手荷物預けなどを具体的に検証する予定だ。

目標は、旅程全体にわたってシームレスなレイヤーとしてデジタルアイデンティティを使用し、EU の国別ウォレット・エコシステムと相互運用可能にすることだ。

Apple も最近デジタルID を立ち上げ、米国のパスポートを利用して Apple Wallet にデジタル ID を作成できるようにした。これは250か所の TSA チェックポイントで実装される予定で、パスポートのチップ読み取り、デバイス上で暗号化された保存、顔のセキュアな生体スキャン、必要なデータのみを選択的に開示する方式を使用する。

このデジタルIDはまだ国際旅行でパスポートを置き換えることはできないが、米国での導入は需要を反映している。Apple が12億台の iPhone 利用者に対してデジタルアイデンティティを一般化すれば、欧州のホテルと航空会社は遅れを取るわけにはいかない。

 

新EU パイロット始動 — ホスピタリティ分野にも参加呼びかけ New EU pilots are starting—and hospitality is invited

2025年に二つの新たな EU パイロットが始まった:

(1) APTITUDE(旅行、輸送、車両登録証を対象)と

(2) WE BUILD(法人銀行、決済、B2B 資格情報を対象)だ。

「彼らはまだボランティアを探している……多分ホスピタリティ側で」と Loup は DIF Hospitality and Travel SIG セッションで述べた。

ただし、資金はすでに割り当てられており、今参加するホテルは「関連パートナー」として参加する必要がある。自己負担であるが、次フェーズのウォレット標準化に影響を与える機会を得られる。

Price は、欧州のデジタルアイデンティティ枠組みにまだ欠けている三分野を指摘した:

  • アクセス制御(部屋、ジム、ラウンジのデジタル資格情報での解錠)、

  • 予約資格情報(IDに紐づく予約確認と支払い)、

  • 旅行者の嗜好/プロファイル(ロイヤルティデータサイロに代わるプライバシー制御された代替)。

これらがなければ、ホテルは再び航空に後れを取るリスクがある。「学ぶことは多く、得られる利点も大きい。関与すべきだ」と Price は呼びかけた。

今後10年を左右する欧州のデジタルIDを規定する標準が策定中であり、航空業界のほうがホテルよりも多くその標準作成に関与している。

「ホスピタリティと観光の要素が、欧州のデジタルIDの次段階で十分に存在感を発揮できるようにしよう」とPrice は締めくくった。

(12/9 https://www.phocuswire.com/travel-industry-lessons-eudi-wallet-pilot?utm_source=newsletter&utm_medium=email&utm_campaign=pcww_daily&pk=pcww_email_newsletter_pcww-daily&oly_enc_id=9229H9640090J9N )

【出典:Phocuswire   翻訳記事提供:​業界研究 世界の旅行産業

 
 
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