【観光経済新聞創刊75周年記念論文コンテスト佳作】旅館を諦めない 小野雅世氏


小野雅世氏

 本稿は「旅館とはなにか?」を軸に、文化的非効率性と時代の変化とのバランスの中で、旅館の意義と価値観について考察するものである。

 江戸時代から続く旅館経営の実践を通し、人口減・超高齢化社会・世界から見た日本という社会変化の中で「旅館らしさ」を再定義していきたい。

 槇原敬之の「Elderflower cordial」という楽曲の中に、
 「ここが君においでよと、言える場所かどうか。僕はずっと考えてる。」
 という一節がある。

 2015年リリース直後に聴いて以来、ずっとこのフレーズが引っかかり続けている。

 初めて聴いた当時、恥ずかしながら胸を張って「うちの旅館においでよ!」とは知人に対して言えなかった。正直にいうと、まだ言えない。楽天トラベルで先日5点満点をいただいたが、心から感謝はしつつ、まだまだ納得できていないのだ。

 この一節は「まさに旅館とは何か」というこの問いに向き合い続ける重要なキーワードなのだろう。

 それは、「サービスが丁寧」とか「料理が美味しい」とか「清掃が行き届いている」とかそんな話とは違う。

 それらは大切なのだが、事象についてのことというよりは、
 「あなたにとってこの場所があなたのままでいいんだよ。」
 と親戚のお家、おばあちゃんのお家のように「目に見える何かではないけど、なんにもあらへんけど、良かったらいつでもおいでよ」と言える心にあるのではないか。

 多くのことが効率化されていく現代においてもなお、日本人が古来から九十九神を信じるように、人々に説明のつかない安心感と共にずっと変わらずにその場所にある日本古来の生活文化を通して帰れる場所こそが、旅館なのではないか。

 

揺らぐ旅館らしさ

 2019年の旅館業法が変わるまでは法律で「旅館」「ホテル」と明確な区分があった※。部屋数等もあったが「和」と「洋」の違いも明記されていた。

 そこだけを捉えると、もはや旅館業法上で旅館ホテルが合体されたことも頷ける。

 ホテルという名の宿泊施設だが泊まってみると畳の部屋にお布団を敷いてくれるし、板前が会席料理を提供してくれるところもある。まさに「和」のおもてなしである。

 理由の一つに検索サイト等で絞り込み検索をかける際、旅館のチェックを外されることもあるため、施設名をホテルとし、検索の際に候補から外されないような意図があると聞いた。

 逆に旅館だが和洋室としてベッドを用意しているところも少なくない。

 京都においては、外資系ラグジュアリーホテルをはじめ多くのブランドが進出してきているが、外資系ホテルに定期的に舞妓が来てロビーで舞を披露したり※、高級な日本の調度品が飾られていたり、大浴場があったり、レストランに行けば地産地消のもの※を使った料理を味わえる等旅館顔負けのホテルも多数存在する。

 旅館関係者と「旅館って何だろうか」と話をすると経営者たちは言葉を詰まらせることが多く、その議論に結論が出たことはない。

 先日立命館大学経営管理大学院の「旅館経営」というタイトルの模擬授業を受講した際※、教鞭を取られているその方に「旅館の定義」をお伺いしたところ、間髪入れずに2つの条件「部屋数が少数であること」と「泊食分離でないこと」と提示された。

 実務をしている私からすると、納得には至らなかった。部屋数に関しては大型旅館は100室以上あるところもある。

 また泊食分離については少なくとも綿善では20年以上前から泊食分離は進めている。その他の旅館もどこを見ても食事付きでないと予約が取れないというところは一軒も見当たらない。ちなみに泊食分離の定義は聞くことが叶わなかったので私の解釈が違う可能性もあるのでその点は補足しておきたい。

 ただし、その教授の定義に則ると、創業200年を目前とした綿善旅館はプラン上で泊食分離を叶えているため、私たちはホテルに区分されてしまう。

 現代において、各旅館はホテルのようにレストランは持ち合わせていなくても、宿泊プラン上で素泊まり、一泊朝食付き、一泊二食付きを選べる等、泊食分離は当たり前に進んでいる。

 今年に入り、一時期旅館が泊食分離をせずに旅館がお客様を地域飲食店には行かせないよう囲い込んでいると見受けられる記事がネット上を賑わせ※、関係行政もヒヤリングされるなど一部業界が反応した。

 だが、それは宿泊業界に対する偏見を記事にしたように捉えており、実際にはほとんどの旅館が上記のように必要に応じて泊食分離の宿泊スタイルをご予約の時点で選ぶことができる。

 まさに今多様化する宿泊施設を前に「旅館らしさ」とは何か、改めて答えを見つける時期に差し掛かっているだろう。

 

旅館と文化と生産性

 旅館は日本の生活文化をより色濃く体験できることが、価値の一つであると考えている。

 実際、宿泊アンケートのインバウンドの方の結果は概ね半数以上の方が「旅館施設」を意思決定の際の動機としてチェックを入れている。いわゆる、旅館という体験を求めているのである。

 また文化都市である京都に関しては、長年に渡り国内外から人気観光地となっている。それは観光客として訪れるだけでなく、働く土地としても選ばれる傾向にある。例年、採用の際にも京都府外からの応募は一定数ある。

 観光に関しては先日、JAFのプレゼント企画に協賛した際に、プレゼント応募条件として旅館に関するアンケートにお答えいただいた。

 総回答数は5,307名で、京都に過去何度訪れたことがあるかという問いに対しては5,032名約95%の方が一度は来られているとのことだった。

 2回以上に関しては4,425名と約83%がリピーターとなり、その中でも5回以上の訪問者は2,951名55.6%と回答数の半数以上になる。

 それほど京都は人気の地で、伝統や歴史は選ぶ上での揺るがない理由の一つだろう。実際に京都コンベンションビューローが京都を選ぶ理由を4つ挙げているが、一つ目に「伝統と革新の調和のまち」とあり二つ目に「日本の文化首都」とある。

 京都の観光ののちに、その疲れを癒し翌日の活力に繋げる宿泊拠点として旅館は一役買っているつもりだ。

 チェックイン後には畳の部屋にて寛いだのち、大浴場で汗を流し、夕食を選択された方は板前が朝一番から支度していたお出汁を使った様々なお料理を召し上がっていただく。その後、お布団を敷き、お休みになられたら翌朝にはまた板前が一つ一つ丁寧に作り上げた朝食をご用意し、食後には京珈琲や和紅茶をご案内する。

 旅で体感する文化の世界観を、そのまま旅館でも引き継ぎ一連のご旅行を宿泊という角度から私たちはお手伝いさせていただいている。

 しかし、「文化」は少子超高齢化の進む現代において、相性が良いとは言えない。

 国や観光庁が2015年から宿泊業に対しても強く生産性向上を求めるようになった。

 そうしないと、人口減少に起因する人手不足が加速する中で成り立たないからだ。

 例えば、旅館では定番の布団を定刻に敷くというオペレーションは、その時刻前後に人手が必要になってくる。それがベッドであればその分の作業は生まれない。

 だが、「布団を敷く」「布団をあげる」ということは現代において文化体験の一つとなっている。

 海外のお客様はその布団をスタッフが用意する姿を動画で撮る方もしばしばある。

 職人技のように華麗に用意する姿はどうやら面白いようである。

 また、修学旅行生の方々は、普段ほとんどの方がベッドのため、布団を敷くことは学習の一つとして求められている。

 お料理もそうだ。ビュッフェスタイルの旅館も増えてきている。フードロスの削減の観点からも、生産性の観点からも否定するわけではないのだが、お給仕されるというおもてなしスタイルからは離れているのではないか。

 地域においても感じることがある。例えば地蔵盆の文化だ。

 京都ではお盆明けの土日どちらかに町内単位で町内のお地蔵さんをお参りする文化がある。それは主として子供達の成長を祈念するという意味合いもあり町内の子供たちにお菓子が用意されたり、朝から夕方まで町内中の大人から子供までが集まって数珠回しやスイカを食べて顔を合わせたり、近況報告をしたりする町内の一大イベントである。

 これを行うために、道路の通行止めになる場所もありそれについて京都の人は「地蔵盆やってはるんかぁ」と受け入れている。

 綿善のある井筒屋町でも例年当たり前のように行われていたのだが、コロナが蔓延していた頃の約3年は休止された。

 コロナが明けた時には、地蔵盆を続けるべきかと議論となり「準備が大変だから、もう辞めてもいいんじゃないか。」という話に毎年なっている。

 毎年、お寺さんが来られるが、「地蔵盆を続ける町内が激減している。」と言っておられた。

 確かに、地蔵盆自体やめても誰かが致命的に困ることもない。でも確実に京の夏の風物詩は減り、地域コミュニティとの繋がりが減る。地域の子供達と高齢者を含めた大人までが一堂に集まる機会もこれを除くと今ではもうほとんどなくなった。有事の際に助け合いたくても、顔すらも分からない町内はいかがなものか。

 綿善はおかみが旅館に生まれた跡取りの立場で文化的なものを継承したいと考え、対してその夫は京都府外出身で文化にはあまり興味がなく、コスパタイパ重視である。そうなると毎年地蔵盆の継続の議論になると真っ先に「やめたらいい。」と言い、理由は「めんどくさいから。」である。

 私たちは井筒屋町内でも江戸時代から続く旅館なので、文化を率先して継承する役割を担っていると考えるが、京都外から入る新しい価値観においてそれは理解されないものでもあることが分かった。

 近頃では、目に見えない価値は、経済的価値やタイムパフォーマンスによる明らかにメリットがなければ大切にしてもらえない希薄な社会傾向に怯えすらある。

 他にも、旅館では数を大切にする。「4」や「9」は四苦八苦を連想させるため避けるのだが、先ほどの京都府外出身の社長は以前、料理の盛り付けの手伝いに際して、器に平気で4切れを乗せていることがあった。おかみが事前に気付き「日本は4と9を嫌うし、縁起が悪いとされるから会席料理ではその数を避けてほしい。」と訴えた。

 しかし、その返事は「アホらしい。」と一言。無視してそのまま作業を進めようとするので、綿善で40年以上勤めて下さる料理長に相談して彼から説明してもらうと渋々「分かりました。」とそれ以降は4と9を避けてくれている。

 その後なぜ4切れにしたのかをじっくり聞くと、特に4にこだわりはなく、適当に気にせずに盛り付けた方が早く進み生産性が上がるという言い分だった。

 他にも、日本では裏表や上下、向きについても昔から配慮がある。細かな配慮をではなくそれが日本人の多くは知らぬ間に習慣として身につけている。ある意味子供の頃からの躾がそれにあたるとも考えられる。この一つ一つが実は日本の丁寧な空間づくりであったり、文化につながる根本にあるのではなかろうか。

 旅館内の小さな文化に見えるかもしれないが、その一つ一つをおざなりにしていくことで失われていくものでもある。

 ただ、生産性を考えた時に全てをきちんと整えることや、それらにこだわりを持たせることは是ではない。

 スピードが重視されつつある中では、いかに効率よく美しく見せるのかの勝負である。表向きに整ってさえいれば、多少ずれていても向きがおかしくても仕方がないとその背景にある文化なんてものは軽視されてしまうのであろう。

 以前に東京の結婚式場八芳園の井上社長が「文化継承は意志と意地だ。」とおっしゃっていたそうだ。まさにその通りだと痛感するところである。

 

旅館は街の景色の一部

 綿善は京都の四条烏丸から徒歩8分の碁盤の目の中にある街のど真ん中の旅館だ。そして京都の中でも旅館が多い地域の一つでもある。

 各旅館はそれぞれの趣を保ちつつ、街の中でギラギラとアピールすることもなく、そこに佇んでいるのである。

 京都の旅館というと、格式の高いもののように思われることも多くあり、同時に敷居が高く選び難い存在となっているという話も昨今耳にすることが増えた。

 事実、敷居の高い旅館も多数あるがそれだけではない。街には高級レストランもあれば、お手頃で身近な定食屋があると同様だ。

 だが、京都の旅館どれも共通して言えることは、「ドヤ」感がないということである。

 どの旅館も「私ら京都の代表どす」なんてことは言わない。それは無粋だ。

 どこの旅館もお取引さんを大切にし、地域のイベントやお祭りがあればお手伝いさせていただいている。

 そして日々、お越しくださるお客様をお迎えしているのである。

 旅館は街の景色の一部であり、地域と相互に関わりながら在り続けるものなのだろう。謙虚な存在だと捉えている。

 

良い旅館になるための5+1

 旅館について多角的に見ていく中で、良い旅館とは何かについて考察したい。
 
 まず、良い旅館の定義として「ここが君においでよと、言える場所かどうか。」の冒頭の一節の質問に胸を張って「イエス」と答えられることを良い旅館としたい。

 対象はお客様、スタッフ、お取引先様とする。

 なんて不安定な定義だと思われるだろう。それも含めて人の作る温度のあるものが旅館だと認識していただきたい。

 そこで良い旅館になるために必要なこととして、アメリカの心理学者エリクソンが提唱する「人間が求める5つ」と愛媛県善照寺住職である真城義麿氏の「+1」※を挙げる。

 まずエリクソンの提唱する5つを紹介する。
 1、敬意を持って接してほしい。 2、存在を認めてほしい。 3、プラス面を見てほしい。 4、どんな人でも誰かの役に立ちたい(貢献したい) 5、束縛されたくない(他者に振り回されたくない)という5つである。

 まさに人間の心理的欲求だろう。マズローの欲求5段階説の中でいう社会的欲求よりも上位を具体的に指摘したものではなかろうか。

 そこに真城氏は「+1」を提唱しておりそれは「静かに自分を振り返るひとときを持つ」というものだった。

 現代社会において、心理的に忙しいと感じる要因で溢れている。例えば、情報量の多さはよく使われる例え話として、現代人の1日分の情報量は江戸時代の一年分、平安時代の一生分だと言われる。

 また、共働き世帯が増えたこともあり公私共にマルチタスク化が進み脳が疲れてきていたり、オフ時においてもSNSによる情報を見たり、スマホの放つブルーライトから疲労が取れない状況だったり、気づけば何かとつながり続けているというストレスにさらされている。

 真城氏はその点を指摘しているのではないか。

 実際、満足度の高い旅館やホテルでのひと時を思い出すと、ほぼ例外なく上記の6つが満たされている。

 例えば、以前シックスセンシズに宿泊した際には「敬意」、「存在」、「プラス面」の3点は関わるスタッフさんから会話の節々に滲み出ており満たされた。

 「誰かの役に立ちたい」は、サスティナビリティを強みとしてた当宿において、館中で一度もプラスチックに触れることがなく、エコや地域との連携を強めているホテルに滞在しているだけで、少しでも環境に貢献できた気になった。

 「束縛されたくない」は特に用事がなければスタッフさんとのタッチポイントもないため、滞在中は自由に動き回ることができる。そして「振り返りのひととき」については、シックスセンシズKYOTOはプログラムとしてヨガや坐禅なども用意されていた。

 また俵屋旅館においては、客室内に書斎のような柔らかな光の入る場所があり、その場所に座るだけで、普段は持てない自分自身の振り返りを行うことができた。それ以外にもライブラリスペースがあり歴代当主が集めてきた歴史的なアート作品などをゆっくりと鑑賞できるエリアも用意されている。驚くほど価値の高いものもあり、手に取れるその場所にそっと並べられている。その美術館のような場を当たり前のように宿泊客に提供してくださること自体に「敬意」を感じた。

 どちらの滞在も比重は違うもののエリクソンと真城氏の6つが満たされていた。

 逆にネガティブな印象を持つとしたらこの6つのうちの一つでも著しく欠如した際に起こっていることに気がついた。

 例えば、温泉もお料理もスタッフさんも最高に素晴らしく感動していたのに、チェックアウトの際に対応してくれた、その宿の主の態度が横柄であれば、それまでの素敵な思い出が最後に茶色のペンキをバケツごとぶっかけられたように台無しになってしまうようなものだ。そうなると「敬意」も「存在」も「プラス面を見てほしい」も、「誰かの役に立ちたい」も、どれも否定されている。

 旅館は一泊二食付きをお客様が選択されれば、よりタッチポイントの多いサービスを提供することができる。大いにそれらを満たすチャンスがあるのだ。

 良い旅館とは宿泊文化体験を通して、この5+1の欲求と向き合い満たすことができる宿であると考える。

 

旅館のバトンをつなぐために

 少子高齢化の波は、すでにどの業界にも大小に関わらずなんらかの影響を与えている。旅館はバックヤード業務を機械化したとしても、お客様に接するところでは必ず人が必要であり、生産性が低いことが価値を生んでいるとも考えている。

 つまり、人が絶対に必要な業種なのだ。

 しかし旅館を知らない世代がどんどんと増えている。私は年間20回程度学校等で講演を行なっているのだが、定番の質問として「旅館に宿泊したことがあるか。」を問う。

 多いところでは8割程度は「泊まったことがある」と挙手してくれるのだが、国際系の学校・学部になると1割を切ることがある。なぜかというと修学旅行でも旅館ではなくホテルや国内ではなく海外が選ばれるようになってきたからだ。

 JAFアンケート「旅行の際、旅館、ホテル、ゲストハウス、その他のうち、どれを宿泊施設として選びますか?」という質問に対しては5307名中1,638名31%が旅館と答え、3,316名62%がホテルと回答していた。

 旅行の際の宿泊施設としても認知度が低いのに、就職先として視野に入れてもらうのは至難の業だろう。

 旅館のバトンをつなぐためにも、まずは認知度を上げる。その為にはより旅館を知ってもらう、敷居が高くて泊まりにくいという誤解を解く行動が必要になってくる。

 現在、日本旅館協会関西支部連合会では旅館の魅力を知っていただく活動として何名かの社長や女将が手分けして近畿圏内の学校にオファーがあればゲストスピーカーとしてお話にあがっている。私もそのうちの1人だ。

 将来的には、私自身も旅館を次世代に任せ、大学で旅館の研究を進め教鞭をとり、未来を作る学生さんに対して旅館を知っていただきたいと考えている。

 同時に根本的なことなのだが、日本がもっと子供を産み育てたいと思える国にする必要がある。旅館以前に日本はこのままの人口減が進み、なんの手も打たなければ50年以内には総人口が今の約25%減の9千万人を下回ると言われている。※

 難しいかもしれないが日本人口を増やして初めて、旅館で働こうと思う母数が増え、より高クオリティなサービスを展開できるスタッフの確保にもつながるだろう。

 俳優山口智子さんのご実家が旅館で、幼少の頃に旅館にネガティブな印象を持ったことから子を持たない選択をしたと何かの記事で読んだ時、こんなに悲しいことはないと肩を落とした。

 旅館で働きながら、子供を産みたいと思える旅館にしていくこと、そして親が旅館で働いていることを誇りに思えるような職場にすることが私たちの今できる一つだろう。

 また小さな子供づれは日常生活でも萎縮しているシーンが多く、それらを感じさせない宿にすることもミッションだと考えている。

 

旅館を諦めない

 「旅館とはなにか」「旅館らしさとは何か」そしてその思い込みに縛られていないか。

 大切にすべきお客様やスタッフ、各ステークホルダー、そして私たち経営者も時代とともに変わる。その在り方を見極めながら適度なタイミングとフットワークで旅館は旅館を諦めずに追い求め続ける必要があるのではないだろうか。

 京都にある創業300年を超える香りの老舗松栄堂さんは「変わらないために変わり続ける」というキーワードを掲げ、日本の香り文化をつなぐため尽力されている※。

 旅館もそうだ。
 文化と社会の変化とのバランスの中で、説明のつかない大切な温度を繋いでいかなければならない。

 この姿勢こそが、「旅館」なのではないか。

 100年後に日本を残し、その中の風景に旅館があるよう、私たちはこれからも旅館を諦めない。

 参考資料:
 ・JAFプレゼント企画 アンケートデータ JAF京都支部 2025年7月
 ・旅館業法の一部を改訂する法律の概要(厚生労働省平成29年12月8日):
 https://www.mhlw.go.jp/content/11130500/001353964.pdf
 ・Fourseasons Kyoto 舞妓さんによる舞の披露
 https://www.fourseasons.com/jp/kyoto/landing-pages/property/events-and-promotions/
 ・アマン 京都
 https://www.aman.com/ja-jp/resorts/aman-kyoto/dining
 ・立命館MBA エッセンシャルズ
 https://www.ritsumei.ac.jp/mba/essentials/
 ・旅館が夕食をやめ始めた日「囲い込みから始まる観光の未来」木曽崇
https://news.yahoo.co.jp/expert/articles/57e2329f8a8f476616f017f01218647dfbdb3634 
 ・2025年2月25日東光寺 真城義麿法話会より
 ・日本の将来推移人口 令和5年推計 国立社会保障・人口問題研究所
 https://www.ipss.go.jp/pp-zenkoku/j/zenkoku2023/pp2023_ReportALLc.pdf
 ・松栄堂 企業理念
 https://www.shoyeido.co.jp/philosophy/

小野雅世氏

 【著者略歴】1984年生まれ。立命館大学卒業後、三井住友銀行勤務を経て家業の綿善旅館へ。2015年取締役、2021年代表取締役に就任。現在は「おかみ」として旅館の魅力発信や講演活動にも力を注ぐ。4児の母。

 
 
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