前回に続き、旅館・ホテルと文化芸術の関わりについて考えてみたい。観光市場はいま大きな転換点を迎えている。大型施設の建設ラッシュによってマス層向けの供給は増えているが、人口減少や価値観の多様化を踏まえれば、この経営のスタイルは遠からず限界に直面するだろう。特に中小規模の旅館・ホテルは、大手に比べOTAを通じた集客で不利な面があり、価格競争に巻き込まれれば持続的な経営は難しい。だからこそ、繰り返し訪れる固定客を育てることが今後の生き残りに欠かせない。
この観点から注目すべきが文化芸術である。観光庁が推進する「地域観光魅力向上事業」でも、収益性と独自性を兼ね備えた観光コンテンツの開発や販路拡大が重視されている。地域の資源を生かして新しい物語を創出することが求められており、美術分野はその可能性を大きく秘めている。
具体的な手法として広がっているのが「アーティスト・イン・レジデンス(AIR)」である。一定期間アーティストが地域に滞在し、制作や交流を行う仕組みだ。1960年代以降、芸術を社会に開いた形で支援する動きが欧州を中心に広がり、地域振興や文化政策の一環として定着してきた。近年では観光とも結びつき、芸術祭や都市ブランド戦略の柱として活用されている。
日本にもAIRを受け入れやすい土壌はある。古くは文豪が旅館に逗留(とうりゅう)して執筆に励み、作品に土地の空気を映し込んできた。現代ではアニメ監督が民宿で構想を練ったり、アーティストがホテルの客室やロビーを作品として手掛けたりする事例もある。宿泊施設が創作の場となることは日本文化に根付いた伝統であり、それを制度的に整えることは自然な発展といえる。
観光の視点で重要なのは、地域で活動するアーティストや地元出身の作家との連携だ。館内に制作スペースを設ければ、宿泊客が創作過程を間近で体験できる。完成した作品を展示すれば、鑑賞と滞在が一体化した特別な価値が生まれる。地域の美術館や芸術祭と協力した宿泊プランを企画すれば、美術ファンを確実に取り込める。さらにトークイベントやワークショップを実施すれば、アーティストと宿泊者が直接交流でき、他では得られない体験を提供できる。
こうした取り組みは、地域のアーティストに活動機会をもたらすと同時に、宿泊施設の魅力を高め、地域全体の文化資源を磨き上げることにつながる。観光と地域文化が一体となれば、訪れる人々に強い印象を残すだろう。
観光の未来を支えるのはマスではなく、ファンである。美術は地域の魅力を新しい形で表現し、確かな支持層を築く力を持つ。旅館・ホテルがアーティスト・イン・レジデンスを取り入れ、地域のアーティストと共に滞在を文化体験へと発展させることは、これからの集客戦略における有効な選択肢となる。
(アルファコンサルティング代表取締役)




