日本の”道”が、世界を魅了する~歩く旅がひらくアドベンチャートラベルの可能性~


左から、山下氏、川口氏、安藤氏

  一般社団法人日本アドベンチャーツーリズム協議会は6月27日、『日本の”道”が、世界を魅了する~歩く旅がひらくアドベンチャートラベルの可能性~』と題したシンポジウムを東京ビッグサイトの国際ツーリズムEXPOで開催した。インバウンド旅行会社である奥ジャパン株式会社のゼネラルマネージャー川口浩司氏、特定非営利法人日本ロングトレイル協会事務局長の安藤伸彌氏が登壇。モデレーターはJTB総合研究所フェローの山下真輝氏が務めた。

外国人観光客の動向と歩く旅への注目

 山下氏はイントロダクションとして、インバウンド市場の最新動向について解説した。2024年の訪日外国人旅行者数は、現在の推移が続けば4,000万人を超える見込みである。消費額も8.1兆円に達し、コロナ前の約5兆円から大幅に伸長している。政府は2030年に訪日外国人旅行消費額を15兆円にする目標を掲げており、「自動車産業を超える輸出産業まで拡大しようという目標もある」と山下氏は説明した。

 注目すべきは、訪日外国人の7割以上が地方を訪れたいと考えていることだ。「地方にこそ本物の日本があると分かってきた」と山下氏。旅行のトレンドとしては、物や場所よりも体験や時間を重視する「体験型」への移行、団体旅行から個人旅行へのシフト、都市観光から地域や自然、日本人の生活文化への関心の高まりが挙げられた。

 また、リピーター増加の傾向も顕著で、特にアジアからの訪日客の中には10回以上訪れる「ハードリピーター」も多いという。

 こうした背景の中で、世界的に「歩く旅」への注目が高まっている。アドベンチャートラベル市場は2022年時点で約90兆円規模、2030年には178兆円まで拡大するとの見方もある。「より個人的で没入感のある体験を求める旅行者が世界的に増えている。自然との触れ合いや文化体験への関心が高まり、新興市場、特にアジア諸国からの新たな旅行需要も増加している」と山下氏は解説した。

 アドベンチャートラベルには「自然との触れ合い」「文化交流」「身体的活動」の3要素があり、最近のトレンドとして「ハイキング・トレッキングのような『歩く』活動」が人気を集めている。山下氏は「今、日本の道は世界の憧れになった」と指摘し、中山道(サムライロード)、熊野古道、四国遍路などの古道に多くの外国人旅行者が訪れるようになったと説明した。

 さらに近年は、東北の「みちのく潮風トレイル」(青森から宮城にかけての約1,000km)、長野県から新潟県にかけての「しなの木トレイル」、大分県の「国東半島峯道ロングトレイル」などにも注目が集まっている。

山下氏

SBNR層の増加と日本の古道への関心

 山下氏は「近年、SBNRというカテゴリーの人たちが増えてきた」と説明した。SBNRとは「Spiritual But Not Religious(宗教的ではないがスピリチュアルな価値観を持つ人々)」の略で、ある調査によると北米の5人に1人がSBNRに該当するという。

 「こういった人々は心の充足や自己変革、自己成長を旅行に求める傾向があり、日本のアドベンチャートラベルのスタイルと合致している。日本の古道や巡礼の道を通じて人生を見つめ直すような旅を求める人が増えており、そういった人々にとって日本は最高のデスティネーションとなっている」と山下氏は述べた。

ロングトレイルの魅力と日本における展開

 安藤氏は日本ロングトレイル協会の活動とロングトレイルの概念について説明した。「ロングトレイルとは歩く旅を楽しむために作られた道」と定義し、「日本の登山が山頂を目指すことを目的としているのに対し、ロングトレイルは道を使いながら自然の中を歩き、自然や歴史文化に触れることが主な目的」だと説明した。

 ロングトレイルの文化は主に欧米で発祥し、アメリカの「アパラチアントレイル」やヨーロッパの巡礼路が代表例として挙げられた。日本でも2000年代に入ってから普及が進み、現在は北海道から九州まで29のトレイルが整備されている。

 これらのトレイルには、歴史的な道(熊野古道、中山道など)、海沿いのトレイル(みちのく潮風トレイルなど)、山を歩くトレイル(富士山周辺、群馬県境稜線トレイルなど)など様々なタイプがある。

 安藤氏は特に「ジャパントレイル構想」について言及した。これは日本全国のトレイルをつなぎ、日本を貫く約1万kmの長大なトレイルを作る構想である。「現在の構想ではまだ全部がつながっているわけではなく、約7割がオープンしている状態。これを詰めて全部歩けるようにしていきたい」と安藤氏は述べた。

 山下氏はこの構想について「スイスなどは人間の動力だけで旅ができることをコンセプトにしている。日本も交通の便がよく、江戸時代はみんな歩いて旅していた。人間の動力だけで日本の旅ができるというコンセプトが面白い」と期待を示した。

安藤氏

インバウンド向け歩く旅の実践

 奥ジャパンの川口氏は、ロングトレイルを活用した訪日外国人向け旅行商品の開発・提供について説明した。同社は2005年に設立され、アドベンチャーツーリズムの考え方を実践している企業である。

 「我々はツアーをメインに展開しており、地域に入り込んだ商品を作っている。本当の日本の素顔を商品に落とし込み、ツアーガイドが地域の人々をつなぐ役割を果たしている」と川口氏。特に日本では珍しい「セルフガイド付きツアー」を導入したことでも知られている。

 川口氏は奥ジャパンの理念として「コミュニティファースト」を掲げていることを強調した。「もちろんお客様も大切だが、コミュニティが上位である。コミュニティがハッピーにならないとお客様もハッピーにならない、そして従業員もハッピーにならないという考え方だ」と説明した。

 同社の主力商品は熊野古道と中山道のツアーで、最近ではみちのく潮風トレイルも注目を集めている。川口氏は地域との関わりについて「地域の農家の方々との交流や、地域の子どもたちと海外からの旅行者との交流の場を設けるなど、単なる観光にとどまらない体験を提供している」と述べた。

 また、同社は地域の課題解決にも取り組んでおり、地域住民向けの英語講座の提供や景観保全活動、伝統芸能の保存などにも参画している。「お客様だけでなく地域が重要なキーワードとなっている」と川口氏は強調した。

川口氏

歩く旅の商品設計と価値提供

 「歩く旅」の商品設計について、川口氏は「歩くことは手段であり、その手段を通して人々と触れ合ったり、その土地の背景や文化を深く知ることが目的」と説明した。奥ジャパンのツアーは、セルフガイド型で平均6〜7日間、ガイド付きは2週間程度のコースが主流という。

 ガイド付きツアーでは専門ガイドが同行し、日本の生活や文化について解説しながら旅を進める。一方、セルフガイドツアーでは、同社が作成した特別なガイドブックを使って旅行者が自ら歩くスタイルとなる。「最初はセルフガイドの需要は少なかったが、近年急速に伸びている」と川口氏は述べた。

 「歩く」という活動の分類について、安藤氏は「ハイキング」「トレッキング」「バックパッキング」などの違いを説明した。「日本語ではハイキングは簡単なイメージがあるが、世界的には一番包括的なのは『ハイキング』。トレッキングはネパールやヒマラヤなどで荷物を持って長距離歩くイメージ。バックパッキングは自分で必要な荷物を全て背負って歩くスタイル」と解説した。

 山下氏は「日本の観光業界ではすぐに『トレッキング』という言葉を使うが、外国人からするとトレッキングは本格的な登山を意味する。実際には簡単な道を歩くだけなのに『トレッキング』と表現すると期待と現実のギャップが生じることがある」と指摘した。これに対し川口氏は「我々はアクティビティの距離やレベル、トレイルのコンディション(石が多いかなど)によって2つの指標を設け、わかりやすく示している」と対応策を説明した。

歩く旅の価値と魅力

 シンポジウムでは「歩く旅」の本質的な価値と魅力についても議論された。山下氏は「歩く旅とは時速4kmで出会う本当の日本。速さでは見えなかった日本の素顔が現れてくる。人間の五感を最も働かせるアクティビティであり、村の道や田畑、道端の地蔵など様々な風景や人々との会話が生まれる」と語った。

 安藤氏は「マスツーリズムではバスや電車で移動するため途中の風景がわからないが、歩くことでよく見えるようになる。日本のトレイルの特徴は、狭い空間の中に豊かな自然があり、山もすぐ近くにあること。さらに人の暮らしも密接に関わっていて、里山のような環境に触れられることが魅力だ」と述べた。

 川口氏は「お客様からのフィードバックでは、有名な観光地よりも風景や匂いなどの感覚的な体験が印象に残るという声が多い。特に人と人とのぬくもり、触れ合いが高く評価される。言語の問題ではなく、直感的に感じる人の温かさや地域愛に触れることが記憶に残る体験となる」と説明した。同社のツアーでは「偶然性を装った出会い」を演出することもあるという。

 山下氏は「宿場町などの風景を守るためにどれだけの人々がどれだけの人生を費やしてきたか、壮大なドラマがある」と指摘した。安藤氏も「日本には人と自然が身近にあり、そこに歴史文化も必ず関わっている。さらに深掘りすると日本人でも知らないような深い世界が広がっている。山岳信仰や八百万の神など、外国人にとって非常に興味深い側面がある」と述べた。

 山下氏は「人は自分ではどうしようもないような長い時間軸や壮大な自然に触れたときに気づきを得る。アドベンチャートラベルはそうした長い歴史の中で形成された古い街並みや大自然の中で、自分自身の悩みがいかにちっぽけかを感じる体験でもある」と語った。

持続可能な観光と地域との共存

 シンポジウムの終盤では、観光と地域社会との共存について議論された。山下氏は清水寺の混雑状況を例に挙げ、「これからは旅行者の需要量と供給側の供給量のバランスが重要。歩く道は地元の人の生活道路や林業の作業道であることも多く、地元の人たちの生活を安心安全に担保する必要がある」と指摘した。

 川口氏は「オーバーツーリズム対策として、宿泊を組み込んだツアー設計を心がけている。妻籠宿などは日帰り客が多いが、実際に泊まると静かな環境で夕方や早朝の風景を楽しめる。宿泊することで地域により多くの経済効果を残すこともできる」と説明した。

 山下氏は「オーバーツーリズムは夕方5時までに起きる現象。宿泊客は別の視点で考える必要がある」と述べた。

 また、トレイルの整備と地域との合意形成については、安藤氏が「地域との合意形成がうまく取れないとトレイルがなくなってしまうこともある。地域の方々の生活を尊重しつつ、どうすれば地域の良さを知ってもらえるかを考え、別の道を検討するなど調整が必要」と述べた。

 川口氏は歩く旅の課題として「トイレや休憩所などの施設整備、安全な道の選定、季節による道のコンディション変化への対応」を挙げた。特にセルフガイドツアーでは「前回は歩けたのに今回は草が生い茂って道がわからない」「雨で道が流されている」といった状況変化に対応する必要があるという。

今後の展望と可能性

 シンポジウムの最後に、「歩く旅」の今後の展望と可能性について議論が交わされた。

 安藤氏は「ロングトレイルと聞くと『長い距離を全部歩かなければならない』と思われがちだが、そうではない。我々は長い道を用意しているが、歩くのは旅行者自身であり、好きな区間だけを歩くことも可能」と強調した。また、トレイル管理には当然コストがかかるため、協力金などの仕組みも広がりつつあると説明した。

 川口氏は「これからの課題は経済効果を上げるだけでなく、地域の方々に受け入れてもらい、暮らしの中にある生活体験ができる受け入れ体制を整えること」と述べた。「例えば地元の農家の方が有志でボランティアで道を維持管理している。そういった方々と協力することで、旅行者に本物の体験を提供できる。地域の社会的意義を広げていきたい」と今後の展望を語った。

 山下氏は「これからはソフトアドベンチャーと言われる、ゆったりとした中での静かな挑戦、内面的な挑戦の旅が広がっていくだろう。私はこれをスピリチュアル・ウェルネス・アドベンチャー体験と呼んでいる。日本はそうした旅の最高のデスティネーションになりうる」とまとめた。

 また、多様な「歩く旅」の可能性として、妙高山の山岳信仰を体験するツアーや、温泉の源泉まで歩いて帰りに温泉に入るといった日本の文化や資源を活かした商品開発の事例も紹介された。

 シンポジウムを通じて、世界的に注目される「歩く旅」と日本の多様な「道」の可能性、そして地域社会との共存や持続可能な観光の在り方について、多角的な議論が展開された。アドベンチャートラベルの市場拡大とともに、日本独自の歴史的・文化的資源を活かした観光の新たな形が模索されている。

【kankokeizai.com編集長 江口英一】

 
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