
平林氏
EY ストラテジー・アンド・コンサルティング パートナーの平林知高氏は6月27日、「生成AIがツーリズム産業に与える衝撃~前提が覆る3つの変化の可能性~」と題して、東京ビッグサイトで開かれた「観光DX・マーケティングEXPO」で講演した。平林氏は生成AIの普及によってツーリズム産業に起きる「3つの変化」として、データ収集のベクトル変化、ビジネスモデルの転換、求められる人材の変化を挙げ、これまでの常識が覆される可能性を指摘した。
パーソナライゼーションの限界とデータ収集の方向転換
「旅行って皆さん、年に何回されますか?特に海外旅行だって年に1回行くか行かないか、こういう方が圧倒的に多いんじゃないか」と平林氏。この問いかけから、現在のAI活用における課題を浮き彫りにした。
平林氏によれば、生成AIの登場でパーソナライゼーションへの期待が高まっているものの、年に数回程度しか利用しない旅行サービスでは、顧客データの蓄積に限界がある。各施設が個別に管理する現状では、旅行者の姿は「断片的」にしか見えていないのだ。
「飲食店は私が飲食したデータは持っていると思いますけれども、宿泊施設でどこに泊まったのかとか、小売店で何を買ったかっていうデータは持てない」と平林氏は説明する。これでは旅行者のニーズを正確に把握できず、適切なレコメンデーションも難しくなる。
この課題に対して平林氏が提案するのが、「ベンダーリレーションシップマネジメント(VRM)」という考え方だ。2013年にドク・サーベージ氏がインテンションエコノミーという中で提唱した概念で、従来のCRM(カスタマーリレーションシップマネジメント)とは逆の発想となる。
「CRMというのは、データを持っているのはそれぞれのお店側」と平林氏。「そのお店の方々が、自分たちが収集したデータに基づいて旅行者に対してレコメンデーションをしていくサジェスチョンをしていく」というものだ。
一方、VRMでは「断片的なデータしか持っていないサプライヤーからサジェスチョンを受けるというのでは、自分の手のかゆいところに届いたサジェスチョンにはならない」との認識から、「自分がいろんなデータ情報を提供することによって、そのデータからいろいろサジェスチョンしてもらえる」という世界観を目指す。
「データの流れとしては、サプライヤーではなくて旅行者(デマンドサイド)からサプライヤーサイドに情報が流れていく、真逆の発想になってくる」と平林氏は説明する。
平林氏によれば、この考え方は過去に総務省が「情報信託銀行」というプロジェクトとして取り組んだものに近いが、生成AIによって「実現可能性が高まってきている」という。
ビジネスモデルの転換がもたらすサプライヤーのエンパワーメント
平林氏が指摘する2つ目の変化が、ビジネスモデルの転換だ。旅行プランニングの現状について「基本的には過去のデータに基づいてレコメンデーションやパーソナライゼーションが行われている」と説明。しかし「旅行の目的って、実は過去の履歴に基づいていろいろ言われたとしても、なかなか過去のデータだけでは分かりきれない」と指摘する。
「例えば直前にいろいろ恋人と別れただとか、いろいろ友達と喧嘩しただとか、いろんなケースが近い過去に起きている」とすれば、過去の旅行履歴だけに基づいたレコメンデーションは的外れになりうる。
また、サプライヤー側の視点では「AIとかいろんなものを使って効率化ができれば、それなりにコスト削減とかも進む」としながらも、「売上トップラインが伸びていかないと、収益というのは伸びていかない」と指摘。「旅行者のニーズというものを把握できない状況でどうやって売り上げを上げていくのか」という課題を投げかけた。
平林氏は旅行業界のビジネスモデルの変遷を3つの時代に分けて説明した。
まず「オフラインの時代」。旅行者が店舗に行き、旅行会社と対面で相談。「こういうことしたいです、ああいうところに行きたいです」と伝え、旅行会社がパッケージ化したものを提案し、それを購入するという流れだった。「この時は一定程度旅行者のニーズというものを伝えないと旅行会社の方も分からないので、オフラインの時代はまだ旅行者の声が旅行代理店に届いていた」と平林氏は説明する。
次に現在の「オンラインの時代」。旅行者はOTA(オンライン・トラベル・エージェント)から選ぶものの、「どこの温泉がいいかというのはあまりよく分かっていなかったり」といった曖昧さを抱えている。そして「リスティングから選ぶということが結構常態化しているような時代になっているので、我々の声というものがなかなか届きづらい」と平林氏は指摘する。
そして今後到来する「生成AIの時代」。平林氏が描くのは、AIのマッチングプラットフォームを介して、旅行者とサプライヤーが直接つながる世界だ。
「東京から90分圏内でバーベキューもしたくて、水遊びも好きだから川があって、夜はちょっと森林とかが見えるようなところがいい」といった複合的なニーズを、テキストや音声で生成AIに伝えることで「やりたいことというものが可視化される」。一方、サプライヤー側も「目に見えている需要に対して自分たちがそこにマッチしているのかマッチしていないのか」を判断し、提案できるようになる。
「日々の業務で忙しい中、いろいろ整形をしてデータをアップロードするということではなくて、目に見えている需要に対して自分たちがそこにマッチしているのかマッチしていないのかという提案が相手に対してできるようになってくると、これは今までのビジネスモデルとは全く変わってくる」と平林氏は説明する。
平林氏によれば、このモデルの実現によって「サプライヤー側が初めてデマンドサイドの旅行者に対して疑似的にアプローチができる」ようになり、「OTAとか旅行会社さんの役割というものがだいぶ変わってくる」と指摘。これまでの「ただ予約を待っている」状態から脱却し、「営業ができるような形になってくる」と展望する。
さらに、このビジネスモデルでは、バンドルされた旅のニーズを「アンバンドル」することで、「中小零細の方々でもできることというのがかなり広がってくる」と平林氏は指摘する。例えば、団体旅行で旅行会社経由で予約が入っても「お客さんのニーズがよくわからない状態」だったのが、生成AIによって「ニーズが可視化」され、それに対してサプライヤーが個別に対応できるようになるという。
データ解釈力を持つ人材への転換
3つ目の変化として平林氏が挙げたのが「求められる人材の変化」だ。「データサイエンスとかが必要だということを結構言われてきた」としながらも、「本当にデータサイエンスって必要なんだろうか、全ての地域にも」と問いかけた。
データを活用するプロセスを「データセット」「分析」「結果の解釈」「戦略・施策への反映」の4段階に分け、「これまで」と「今後」を比較した。「これまで」は「分析するスキルがないわけですね」と平林氏。「データサイエンティストを入れて分析をさせるといっても、コストもすごいかかりますし、データサイエンティストもそんなに多くない」ため、分析がボトルネックとなり、後続のプロセスも進まない状況だった。
一方、生成AIの登場により「データを一定程度放り込んで、こういう形でグラフ化してほしいとか、トレンドを分析してほしい」と投げれば、「ある程度のことは簡単なことになってくれる」と平林氏は説明する。
その結果、「グラフをするところはある程度の機械でできてしまっている状態なので、グラフの作り方で悩んでいるということではなく」、「できてきたグラフを見たときに、これが何を意味しているのかというところをどう判断するか」という能力が重要になるという。
「当然エクセルとかも使えて、いろいろできるほうが望ましい」としながらも、「それ以上にデータを上がってきたグラフとか、データをどういうふうに読み解いてどうこれから使っていくか、ここをどういうふうに育てていくかが非常に重要」と平林氏は強調した。
質疑応答では「どうデータを解釈するのか、スキルを身につけるためには何をすればよいですか」という質問に対し、「数字というものは単体では何も語ってくれませんので、比較して初めて数字というものは何か語ってくれます」と回答。「観光客が減ってきました」という現象について「何パーセント減ったのか、他の地域が何パーセント減っているのか、これを比較することによって自分たちが何でそんなに大きく減っているのかという問題に行き着く」と具体例を示した。
生成AIがもたらす新たな可能性と責任
講演の締めくくりとして平林氏は、生成AI時代に考えるべきビジネス戦略について提言した。
旅行者に対しては「パーソナライゼーションに向けては旅行者のニーズをいかにして把握できるかがポイント」とし、「旅行以外の情報も必要となると、いかにして旅行者(生活者)とのタッチポイントを多く持つ事業者と連携を進めていくかが焦点」と強調。
サプライヤーについては「定型のタスクをAIに移管し、接客や経営へのリソースをいかに捻出するか」「ディスカッションパートナーとしてAIを活用し、意思決定につなげられるか」「データ分析等をAIに任せ、その数字をどう解釈するか」が重要だと指摘。「人材不足をAIにより補うことも重要だが、最後はヒトによる『判断』が重要」と述べた。
「これまでのようにパーソナライゼーション、あるいは効率化オートメーション、あるいはコミュニケーションが変わってくるというような話、こういったものが非常に一般的」としながらも、「本当にそういう効率化ということだけがこのAIによって起こり得る世界観なのかな」と問いかけ、「このトラベルツーリズムのビジネスモデル、これが今までと同じような形で継続していくのかどうか」という本質的な問いを投げかけた。
平林氏の講演は、単なるAIの活用方法ではなく、AIによって産業構造そのものが変化する可能性を示唆するものだった。特に、これまで相対的に弱い立場にあったサプライヤーがAIを活用して初めて力を取り戻す機会が訪れるという視点は、ツーリズム産業に新たな可能性を提示している。
VRMという概念の導入や、旅行者とサプライヤーを直接つなぐビジネスモデルの展望は、業界関係者に新たな視座を提供するものだろう。また、データサイエンティストから「データを読み解く力を持つ人材」へのシフトという指摘は、今後の人材育成の方向性を示すものとして注目される。
テクノロジーの進化によって産業構造が変化する中、AIをどう活用していくかは各事業者の戦略次第だが、平林氏が示した「3つの変化」を踏まえた準備が求められていることは間違いない。
【kankokeizai編集長 江口英一】