
日立駅前の「平和の鐘」(写真:日立市提供)
1963年公開の映画「いつでも夢を」は、吉永小百合さんと浜田光夫さんの名コンビに橋幸夫さんが絡む青春映画だ。
夜間高校に通う吉永さん演じるひかるは、事情があって医院に引き取られ、父親代わりの院長を看護師見習いとして助けながら明日の希望を忘れない。医院はひかるが通う夜間高校で無料健康診断をしており、手伝うひかるはマドンナ的存在だ。
同級生の浜田さん演じる勝利は、父が出奔した貧しい家で、昼間は工場で働きながら家計を支え、一流商社への就職を希望。優秀な成績を収めて入社試験に臨むも不合格となってしまう。「夜間高校出身だから労働運動に身を染めている」といった偏見での判断があったことが後に判明。やる気をなくした勝利をひかる、橋さん演じるトラック運転手の留次が叱咤激励し立ち直っていく、という物語だ。
映画と同名の歌「いつでも夢を」(作曲:吉田正、作詞:佐伯孝夫)は公開前年の1962年に橋さんと吉永さんのデュエットで大ヒット。それをきっかけに映画が作られた。今もデュエット曲として人気で、カラオケでは映画の場面が登場する。社会の不条理があっても、へこたれることがあっても、友がいれば立ち直れる、そんな内容が時代を超えて共感を呼ぶのだろう。
この歌について吉田氏は、橋さんと吉永さんの「2人の個性が対照が新鮮な感じで、長く愛好される曲を書くことができた」と振り返っている。橋さんも、吉永さんも、歌手として吉田氏の門下生であった。
吉永さんは1961年から忙しい映画撮影の合間を縫って吉田家に通い、レッスンを受けていた。「私はよく間違えました。先生はその都度、弾いていらしたピアノをパッと止めて、大きな眼で私をご覧になるのです。きっと『よく間違える娘だ』と困っていらしたに違いありません」と話している。
橋さんはその前の1960年から吉田正の門下生になっていた。「橋君の声の明るく抜ける感じと、少し巻き舌になる口調を生かして」「私としても作風を一変した現代的な演歌の『潮来傘』(作詞:佐伯孝夫)を書いたのである。うまく橋くんのデビューを飾ることができた」と話している。
吉田正は歌手の個性をよくみていたプロデューサーでもあり、だからこそ、橋さんと吉永さんのコンビを誕生させ、「いつでも夢を」のヒットにつながったのだろう。日立駅前の「平和の鐘」からは朝8時と夕方6時にメロディが流れてくる。
日立市にある吉田正記念館の、名誉館長は橋さんであり、恩師との縁はこのメロディで今もつながっている。
*参考文献:「生命ある限り―吉田正・私の履歴書」財団法人日立市民文化事業団編、2001)
※元産経新聞経済部記者、メディア・コンサルタント、大学研究員。「乗り鉄」から鉄道研究家への道を目指している。著書に「釣りキチ三平の夢 矢口高雄外伝」(世界文化社)、「駅メロものがたり」(交通新聞社新書)など。
日立駅前の「平和の鐘」(写真:日立市提供)
(観光経済新聞25年5月26日号掲載コラム)