
オンライン講演する環境省の中原氏
一般社団法人日本アドベンチャーツーリズム協議会は2025年5月12日、アドベンチャーツーリズム・アカデミーのオンライン一般公開講座を開催した。「国立公園における保護と利用の好循環に関する政策」をテーマに、環境省自然環境局国立公園課国立公園利用推進室室長補佐の中原一成氏が講演。日本の国立公園制度を理解し、国立公園における保護と利用の好循環に向けた各種政策、ルール、事業を学び、自然環境保全と地域経済向上の両立を目指すアドベンチャーツーリズムの発展について考察した。
中原氏は東京農工大学農学部地域生態システム学科卒業後、2010年に環境省に入省。2012年から2014年まで阿寒国立公園川湯自然保護官事務所自然保護官として勤務し、その際に地域のステークホルダーと共に「川湯温泉街活性化ビジョン」を策定、サイクルツーリズム推進などに取り組んだ。2019年から2021年まで長期在外研究員としてコロラド州立大学大学院へ留学し、自然環境保全と地域経済向上の両立を目指すアドベンチャーツーリズム発展を研究テーマに、自然資源人間事象学修士号を取得。2024年5月より現職にて、国立公園における保護と利用の好循環、マーケティング、アドベンチャートラベル推進、ロングトレイルの活用などに注力している。
環境省自然環境局 国立公園課 国立公園利用推進室 室長補佐の中原一成氏が講演した
米国トレイルに学ぶ多目的利用と持続可能性
講演の前半では、中原氏がアメリカ・コロラド州で経験したマルチユーストレイル(多目的トレイル)の事例が紹介された。コロラド州北部のラリマー郡では、フォートコリンズ市を中心に900マイル(約1,450km)にもおよぶトレイル網が整備されており、そのほとんどが多目的利用を前提としている。
「コロラド州のフォートコリンズ市は人口約16万5,000人、ラリマー郡全体で約35万人が暮らす地域です。自然公園やオープンスペースにおいて、市が50の自然地域と110マイルのトレイルを管理しています」と中原氏は説明する。
利用ルールの徹底で異なるアクティビティが共存
マルチユーストレイルの最大の特徴は、ハイカー(徒歩利用者)、マウンテンバイカー、乗馬利用者など異なるアクティビティが共存していることだ。この共存を可能にしているのが「トレイル・コーティシー(利用ルール)」と呼ばれる優先順位の徹底である。
「優先権は乗馬が最も高く、次にハイカー、そしてマウンテンバイカーという順番です。利用者全員がこのルールを遵守することで、多種アクティビティの共存が実現しています」と中原氏は強調した。
また、一部のオープンスペースでは、ハイカー専用のトレイルとマウンテンバイク・トレラン・乗馬ができるトレイルに分かれている「ゾーニングシステム」も導入されている。例えば「デビルズバックボーン」と呼ばれるエリアでは、同じ自然地域内でトレイルを分けることでリスク管理とアクティビティの共存を両立させているという。
持続可能な整備と資金調達の仕組み
トレイルの持続的な整備・管理においても学ぶべき点が多い。フォートコリンズ市のトレイルデザイナーであるトッド氏の実践例として、「生物多様性保全」を優先した上で、耐久性と楽しさを両立させるトレイル設計が紹介された。
「持続可能なトレイルとは、耐久性があって安全で楽しく、水の排水などもしっかり考えられ、維持管理が最小限で済むものです」と中原氏は説明。3対1ルール(30%の斜面に対して10%のトレイル勾配)や起伏のある設計によって水の排水や浸食防止を実現しながら、マウンテンバイカーが楽しめるカーブやバンクを設けるなど、技術的な工夫が随所に見られるという。
フォートコリンズ市では定期的なトレイル状況の評価も行っており、GISを用いたコンディション管理によって95%のトレイルが良好な状態を維持している。
情報発信の充実とリアルタイム更新
米国のトレイル運営で特筆すべきは情報発信の充実度だ。コロラド州の「COTREX(Colorado Trail Explorer)」は、州内230以上の土地管理者が協働してトレイルマップとコンディションをほぼリアルタイムで提供している優れたシステムである。
「山火事による通行止めなどの情報が一目でわかるようになっています。環境省としても、このCOTREXをモデルとして、日本の国立公園でも同様のシステム構築を進めています」と中原氏は語った。
また、アウトドア小売大手REIが提供するアプリでは、ユーザーからの情報が集約され、コミュニティ主導の情報発信が行われている点も注目に値する。
持続可能な資金確保の仕組み
トレイル管理を支える資金面においても、米国の先進的な取り組みが紹介された。政府予算や入場料収入だけでなく、特筆すべきはフォートコリンズ市とラリマー郡の消費税の一部がトレイル管理や教育プログラムに利用される仕組みだ。
「フォートコリンズ市では消費税の一部が環境保全や教育プログラムに使われる仕組みが住民投票で決まりました。年間約1,300万ドル(約20億円)の収入があり、その97%が消費税からの収入です」と中原氏は説明した。
また、「LWCF(土地・水資源保全基金)」など連邦政府のファンドや、地元ビール会社「ニューベルジャン」など民間企業の協力も資金源として重要な役割を果たしている。
日本の国立公園制度と保護・利用の好循環
講演の後半では、日本の国立公園制度の特徴と、保護と利用の好循環を生み出すための環境省の取り組みが紹介された。
35公園に広がる多様な自然環境
日本には現在、35の国立公園がある。2023年6月に「日高山脈襟裳十勝国立公園」が35番目の国立公園として指定された。面積は245,668ヘクタール(陸域)と6,510ヘクタール(海域)で、陸域面積は日本の国立公園の中で最大となっている。
「日本の国立公園は北海道から沖縄まで、流氷からサンゴ礁まで様々な風景が広がっています。圧倒的に美しい自然を保護し、同時に最高の自然体験フィールドとして利用するという二面性を持っています」と中原氏は説明した。
地域制自然公園の特徴と課題
日本の国立公園制度の大きな特徴は「地域制自然公園」を採用していることだ。これはアメリカなどの「営造物型自然公園」とは異なるシステムである。
「地域制自然公園では、土地所有の有無にかかわらず、公園管理者が区域を定めて指定し、公用制限を実施しています。つまり、国立公園内に民有地も含まれ、人々の暮らしもあるのです」と中原氏は述べた。
この違いによる特徴として、地域制では広大な土地を取得する必要がなく広域な保全が可能である一方、土地所有者の私権や地域社会への配慮が必要となる。また厳正な自然保護が難しい場合もあるという。
「日本の国立公園には人の暮らしがあり、人の営みで作られた風景、食事や伝統工芸品、寺社仏閣や祭事など文化的資源が多くあります。これが日本の国立公園ならではの魅力であり、アドベンチャートラベルとの親和性を高めています」と中原氏は指摘した。
国立公園満喫プロジェクトと上質なツーリズム
2016年から始まった「国立公園満喫プロジェクト」は、国立公園の保護と利用の好循環により、優れた自然を守りながら地域活性化を図る取り組みである。
「日本の国立公園のブランド力を高め、国内外からの誘客を促進することが目的です。単に利用者数を増やすだけでなく、滞在時間を延ばし、自然を満喫できる上質なツーリズムを実現したいと考えています」と中原氏は語った。
このプロジェクトでは、①地域の体制づくり、②受入環境の磨き上げ、③自然体験アクティビティの充実、④国内外へのマーケティング、の4つの柱で取り組みを進めている。2021年からは全ての国立公園に取り組みを展開し、コロナ禍からの回復期には滞在型・高付加価値観光の推進にも力を入れている。
滞在体験の魅力向上モデル事業
国立公園における滞在体験の魅力向上を図るため、民間活用による「先端モデル事業」が4つの国立公園(十和田八幡平、中部山岳、大山隠岐、やんばる)で実施されている。
「十和田八幡平国立公園の休屋・休平地区では、利用拠点マスタープランの作成や、国立公園ならではの感動体験を提供する宿泊施設の誘致について検討しています」と中原氏は紹介。2031年までに全ての国立公園で民間活用による地域魅力向上事業を実施する計画だという。
国立公園ブランドの確立と高付加価値化
2023年6月に策定された「国立公園ブランドプロミス」では、「その自然には、物語がある」をブランドメッセージに掲げ、4つのブランドプロミス(約束)と9つのブランディング活動を定めている。
「国立公園の高付加価値化とは、単に価格を上げることではなく、国立公園の魅力的な自然環境を基盤とし、その土地の生活・文化・歴史を踏まえた本物の価値に基づく感動や学びの体験を提供し、利用者に自己の内面の変化を起こすことです」と中原氏は説明した。
その結果として、利用者の満足度向上、地域の価値向上、自然環境の保全向上、地域の活性化という好循環を生み出すことが目標だという。
保護と利用を両立させる具体的施策
保護と利用の好循環を生み出すための具体的な施策として、①物語(ストーリー)、②インタープリテーション、③ルール、④体験コンテンツ、⑤ツアー化という5つの要素が紹介された。
ストーリー化による地域価値の言語化
国立公園の魅力を伝えるには、風景の成り立ちと価値を言語化した「ストーリー」が重要だと中原氏は指摘する。
「何を地域側として大切にして、来訪者に何を伝えたいのかを整理して作り上げることが大切です」と中原氏。環境省は「国立公園ストーリー集」を作成し、阿寒摩周国立公園などの先行8公園についてストーリーを整理している。
例えば阿寒摩周国立公園では「亜寒帯気候とカルデラに育まれた、マリモとアイヌ文化」という物語として、火山活動により生まれたカルデラ湖や針葉樹林に、地熱や湧水などの要素が絡み合って独自の生態系を育み、アイヌ文化が発展してきた関係性を一つのストーリーとして表現している。
インタープリテーションによる感動と学びの創出
ストーリーを来訪者に伝えるための手法として「インタープリテーション」が重要だと中原氏は強調する。
「インタープリテーションとは、単に事実や情報を伝えるのではなく、直接体験や教材を活用して、事物や事象の背後にある意味や相互の関係性を解き明かす教育的な活動です」と中原氏は説明。
雲仙温泉地区では「火山と人々の暮らし」「外国人避暑地としての歴史」「雲仙温泉と信仰」「自然の恵みと心身の健康(ウェルネス)」という4つのテーマでインタープリテーション計画を作成。JR九州の豪華寝台列車「ななつ星」の顧客向けに体験コンテンツを開発するなど、地域の価値を伝える取り組みを進めている。
自然保護と利用を両立させるルール作り
保護と利用の好循環を生むためには、適切なルール設定も欠かせない。環境省では様々な手法でルール作りを進めている。
十和田八幡平国立公園の蔦沼では、紅葉シーズンの混雑や湿地植生の破壊を防ぐため、予約制と協力金制度を導入。中部山岳国立公園では、高山帯の希少種であるライチョウの観察ルールハンドブックを作成し、地元の山岳ガイドがツアーを造成している。
より規制力のある制度として「エコツーリズム推進法」に基づく特定自然観光資源の立入制限も活用されている。阿寒摩周国立公園の硫黄山では、年間上限5万人、1日130人を上限とし、認定ガイドの同行を条件として特別な体験を提供。参加料金13,000円の一部が保全に還元される仕組みとなっている。
西表島では2024年3月から全島を3つのゾーンに分け、4つの特定自然観光資源(ヒナイ川・西田川、古見岳、浦内川源流域、テドウ山)に立入制限を設定。地域ごとに1日の上限人数(30〜200人)を定め、町長の認可を受けた者の同行などを条件としている。
「エコツーリズムの理念として、自然環境保全、観光振興、地域振興、環境教育の場としての活用という4つがあります。これらを実現するための3つの要素として、ガイダンス(インタープリテーション)、ルール、モニタリングが重要です」と中原氏は述べた。
自然体験アクティビティガイドラインの整備
環境省は2024年3月、国立公園における自然体験アクティビティの質の向上と地域価値を高めるためのガイドラインを発表した。
「このガイドラインはアクティビティ提供事業者向けのもので、コンセプト、マーケティング、プログラム、ガイド人材、外国人対応などの『アクティビティ開発』、感染症対策や緊急時対応などの『安全対策・危機管理』、環境保護・保全や地域との関わりなどの『環境への貢献・持続可能性』という3つの観点から整理しています」と中原氏は説明した。
ガイドラインは個別事業者の取り組みによるフェーズ1と、地域ぐるみでさらなる質の向上を目指すフェーズ2に分かれており、世界基準である「アドベンチャートラベルガイドスタンダード」も参照して作成されている。
地域主体の自然体験ツアー開発支援
環境省では2023年度、全国14地域で自然体験アクティビティツアーの開発を支援した。例えば阿蘇くじゅう国立公園では「千年の草原の限定体験」をコンセプトに、eマウンテンバイクで普段立ち入れない草原をライドするツアーを開発。参加料の一部が草原保全に還元される仕組みを構築し、保護と利用の好循環を実現している。
2024年度も13地域で伴走支援を行っており、専門家も交えて商談会などを通じて海外向けツアーの造成を支援している。
「上質な魅力的なツーリズムを提供するには、インタープリターなどの人材育成も大事です。環境省では毎年、自然を活かす上質なツーリズム人材育成の支援事業を行っています」と中原氏は述べた。
アドベンチャートラベルの可能性と課題
講演の締めくくりとして、中原氏は国立公園における「本物のアドベンチャートラベル」実現に向けた視点を示した。
「本物のアドベンチャートラベルは、ストーリーに沿った体験の組み合わせでトランスフォーメーション(変容)を起こすことが重要です。エコツーリズムの理念を基盤として、アドベンチャートラベル層にアプローチし、地域のストーリーを伝えるためのインタープリテーションの一環として自然体験アクティビティを位置づけることが大切です」と中原氏は強調した。
また、価値と価格を上げていくツアーデザイン、長期滞在を基本としたツアー作り、限定体験による高付加価値化、適切なマーケティングとターゲティングも欠かせない要素だという。そして何よりも「保護と利用の好循環の仕組み」がアドベンチャートラベルには不可欠だと指摘した。
質疑応答では、「国立公園満喫プロジェクトの成果」や「ガイド人材の教育訓練」に関する質問が寄せられた。中原氏は「2016年から進めてきたプロジェクトは2025年度で一区切りとなるが、これまでの成果と反省を踏まえて2026年度以降の新たな目標を設定していく」と説明。人材育成については「環境省だけでなく観光庁などの取り組みも組み合わせながら、官民連携で進めていくことが重要」と回答した。
再生可能エネルギー開発の影響についての質問に対しては「景観への影響も考慮しながら、個別ケースで検討することが必要。自然保全が再生可能エネルギー推進の基礎である」との認識を示した。
中原氏は自身もスキーヤーやマウンテンバイカーとして国立公園の自然を楽しんでいることを明かし、「国立公園は自然を楽しんで感動して学びを得る場所。人生を変えるような体験ができる素晴らしいフィールドなので、一緒に魅力的な国立公園にしていきたい」と締めくくった。
アドベンチャーツーリズム・アカデミーとは
講演に先立ち、アドベンチャーツーリズム・アカデミー事務局の出口氏から、同アカデミーの概要説明があった。
「アドベンチャーツーリズム・アカデミーは、インバウンド誘致・地域振興のノウハウを学べる日本唯一のアドベンチャーツーリズム専門講座です。現在、2025年度の第2期募集を実施しており、今後も第3期の開講を予定しています」と出口氏は説明した。
アドベンチャーツーリズム(AT)とは、自然との触れ合いや文化交流をフィジカルなアクティビティを通して楽しむ旅の形態で、主に欧米語圏の高所得な訪日客に好まれるという。日本政府は2030年に訪日客6000万人を目標としているが、主要地域ではオーバーツーリズムが課題となっている中、日本の各地域に残る独自の自然や文化が、分散型の観光誘客の受け皿として注目されている。
アカデミーのカリキュラムは、①ATリーダーのあり方、②国際動向・海外ニーズ、③地域のサステナビリティ、④コミュニケーション・マーケティング、⑤ツアープランニング、⑥品質管理・危機管理の6テーマで構成。オンライン講座(全13回)、フィールド研修(北海道での3日間)、オンラインサロン「ツーリズムフォワード」(予定)の3つの要素から成り立っている。
第1期受講生(43名)からは「ATの全体像が見えてきた」「地域事業者の熱い思いを直接聞けた」「学んだ内容を即コンテンツに反映できた」などの声が寄せられ、満足度は92%に達したという。フィールド研修では、北海道の弟子屈・阿寒エリアで実際にカヌーやトレッキングなどのアクティビティを体験する。
「6月以降に開始を予定しているオンラインサロンでは、アカデミー受講者以外の方も月額1,000円で参加可能です。インバウンド対応や新しい観光DMOの姿、観光DXやウェルネスなど最新トレンドについて学ぶ機会を提供します」と出口氏は紹介した。
第2期は現在進行中で、第3期は10月開始予定。オンライン講座は28万円、フィールド研修は20万円。「一見すると高いと思われるかもしれませんが、人脈形成や今後のビジネスの基礎作りとしての価値があります」と出口氏は強調した。