京都府舞鶴市は、10月7日を「舞鶴引き揚げの日」とする条例を制定した。
京都府北部の日本海に面し、終戦直後から13年間にわたり、市を挙げて約66万人の引揚者を迎え入れてきた“引き揚げのまち”の舞鶴市(市長:多々見良三)は、引き揚げの史実と世界の恒久平和の継承をまちの使命と位置付け、引き揚げ第1船が舞鶴港に入港した10月7日を「舞鶴引き揚げの日」とする条例を制定しました。
このたび、戦争を知らない若い世代にも関心を寄せていただくため、国内外に発信する際に活用する「舞鶴引き揚げの日」のロゴマークを全国から募集中です。応募の締め切りは本年2月8日(金)必着。採用された作品は「舞鶴引き揚げの日」の取り組みをPRするパンフレットやホームページなどで広く活用していきます。
《「舞鶴引き揚げの日」条例制定の背景》
舞鶴市は、昭和20(1945)年10月7日、引揚船「雲仙丸」が入港して以来、昭和33(1958)年に最後の引揚船が入港するまでの13年間にわたり、当時国内で唯一の引揚港となっていた舞鶴港に海外からの引揚者約66万人と遺骨1万6,000柱を、市をあげて迎え入れました。
当時の舞鶴市民は、終戦直後で食糧も物資もなく自分たちの生活もままならない時に、引揚者をお茶やふかし芋で振る舞い、港で熱烈歓迎するなど、市民にとって真心からお迎えした記憶は、現在も子供たちに伝えたい「まちの歴史」です。
その後、昭和63(1988)年に引揚体験者の熱望により、祖国への帰国の第1歩を踏みしめた舞鶴港を見下ろす丘に「舞鶴引揚記念館」を開館しました。以来30年間にわたり、引揚体験者や舞鶴市民等と共に、引き揚げやシベリア抑留の史実を継承するとともに、平和の尊さを国内外に発信し続けてきました。
平成20年代になると、戦争を知らない世代が増加し、引き揚げ等の史実の風化が全国的に進むなか、来館者の減少傾向が顕著になり、記念館の存続が危ぶまれるまでになりました。市は平成22(2010)年から2年間をかけて、引揚者、有識者、市民等多くの声を聴き検討を重ねた結果、舞鶴引揚記念館の存続と再生を決断。
まずは、平成24(2012)年に館の運営を指定管理者制度から市の直営化とし、「民から官へ」の再生プロジェクトをスタートさせました。
市は、引揚者を迎えた舞鶴市の歴史と引き揚げの史実を次世代に継承し、平和の尊さを国内外に発信し続けるための取り組みを、平成25(2013)年から進めました。
取り組みの1つとして、市が所有するシベリア抑留と引き揚げに関連する資料が、人類が共有すべき世界的に重要な資料と認められるよう、ユネスコ(国際連合教育科学文化機関)の「世界記憶遺産」の登録申請に向けて、所蔵資料の調査を開始。翌年に国内候補に選定され、平成27(2015)年に市が所有する資料570点が「世界記憶遺産」に登録されました。
もう1つの取り組みは、舞鶴引揚記念館を引き揚げの史実を若い世代に伝承する拠点として、また“平和への願いを世界へ、未来へ”と継承する拠点となるよう、体験を重視する施設整備事業を進め、約7億円を投じ、5年半をかけて昨年(2018年)4月、記念館のリニューアル工事を完了させました。
市としても「世界記憶遺産」登録の意義や感動を一過性とせず、さらなる歩みを進める事が市にとっても大切であると考え、市民が引揚港の歴史に思いを馳せ、平和の尊さを再認識し、引き揚げのまち舞鶴から平和の願いを世界へ未来へ発信する大きなきっかけとなるよう、さらに引き揚げの史実の伝承を市の事業としてではなく確実に後世に伝承できるよう、引き揚げ第1船が入港した10月7日を「舞鶴引き揚げの日」とする条例を制定しました。
【「舞鶴引き揚げの日」 ロゴマーク募集の概要】
主 旨
舞鶴市は、引き揚げ事業やシベリア抑留などの史実や引揚者を13年間に渡り温かく迎えた「まちの歴史」を次世代へ継承していくために条例で制定した「舞鶴引き揚げの日」について、戦争を知らない世代にも関心を高め、分かりやすく伝えていくため、全国からロゴマークを募集します。採用された作品は、「舞鶴引き揚げの日」の取り組みをPRするパンフレットやホームページなどで広く活用していきます。
応募資格
不問
応募規定
◆「舞鶴引き揚げの日」の趣旨をイメージでき、親しみやすいもの
◆未発表の自作作品で、著作権や商標、その他第3者の権利を侵害しないもの
◆カラー、モノクロを問わず表現できているもの
◆作品の一切の著作権、使用権は舞鶴市に帰属
◆1人何点でも応募可能。ただし1通につき1点
応募方法
◆住所、氏名、性別、年齢、職業、電話番号、メールアドレス、
デザインのコンセプトを明記(様式自由)し、作品の画像データ(JPGかGIF形式で3MBまで)とあわせて電子メールで送付。
◆手描きの作品はスキャニングしてデータ化する。
ただしデータ化が難しい場合は、現物を上記の必要事項とあわせて、舞鶴引揚記念館へ郵送。
応募先
舞鶴引揚記念館
電子メールの場合:
maizuruhikiagekinenkan@nike.eonet.ne.jp
郵送の場合:〒625-0133 舞鶴市字平1584番地
応募期間
平成30(2018)年12月10日(月)~
平成31(2019)年2月8日(金)必着。
※作品の返却はできません。
賞
採用作品(1点)には賞金3万円と舞鶴市へ無料招待
(作者1名、国内移動分に限る)
今後の予定
◆平成31(2019)年2月下旬:
審査を行い、数点を選考
◆平成31(2019)年3月初旬~中旬:
数点の中から市民投票により採用作品1点を選考
結果発表
平成31(2019)年3月下旬以降、採用者に直接通知すると共に、
舞鶴引揚記念館公式ホームページで発表
主 催
舞鶴市
一般からの問い合わせ先
舞鶴引揚記念館
(9:00~17:00、ただし毎月第3木曜日、
12月29日~1月1日を除く)
電話:0773-68-0836、FAX:0773-68-0370、
電子メール:maizuruhikiagekinenkan@nike.eonet.ne.jp
住所:〒625-0133 舞鶴市字平1584番地
※舞鶴観光の情報は「まいづる観光ネット」を参照してください。
※状況によって、内容を変更・中止する可能性があります。予めご了承ください。
※参考1:「舞鶴引揚記念館」の施設概要
施設名
舞鶴引揚記念館
開館日
昭和63(1988)年4月 ※平成24(2012)年から市の直営施設
所在地
京都府舞鶴市字平1584番地
開館時間
9:00~17:00
休館日
毎月第3木曜日(8月と祝日を除く)、
年末年始(12月29日~1月1日)
入館料
<個人> 大人300円、学生(小学生~大学生)150円
<団体(20人以上)>
大人200円、学生(小学生~大学生)100円
※舞鶴市内在住・在学の学生は無料
公式WEBサイト
施設面積
引揚記念館(1,352.56㎡)、絵画美術品収蔵庫(125.13㎡)
資料数
所蔵資料数:シベリア抑留や引き揚げに関する約16,000点
常設展示資料数:約1,500点
※参考2:「世界記憶遺産」の名称について
「世界記憶遺産」の名称は、平成28(2016)年6月、文部科学省と外務省が英語名の「Memory of the World」を直訳する『世界の記憶』に改称すると発表しました。
舞鶴市では「舞鶴への生還 1945-1956シベリア抑留等日本人の本国への引き揚げの記録」の登録申請(平成26年3月)および決定(平成27年10月)時点では「世界記憶遺産」を使用していた経緯があり、また市民などに浸透していることから、現在も「世界記憶遺産」の名称を使用しています。
※参考3:舞鶴市の紹介
舞鶴市は、縄文時代から交易の要所として繁栄し、明治34(1901)年の舞鶴鎮守府(旧海軍の統括機関、初代司令官庁は東郷平八郎)の開庁以来、日本海側で《唯一の軍港都市》として発展してきました。
市内は、戦国武将・細川幽斎が築いた田辺城の城下町として古い町並みが残る「西地区」。平成28年度の「日本遺産」に認定された旧海軍ゆかりの「赤れんが倉庫群」など、近代化遺産が数多く残る「東地区」を中心に形成されています。
現在、市内沿岸部には海上自衛隊舞鶴地方総監部、第八管区海上保安本部が設置され、「海上自衛隊」と「海上保安庁」の拠点が同一の市に設置されている《全国で唯一》の都市です。
また、舞鶴市は戦後13年間にわたり、海外から約66万人の引揚者を迎え入れた「引き揚げのまち」でもあり、平成27(2015)年10月、舞鶴市が所蔵するシベリア抑留と引き揚げに関する資料570点がユネスコの「世界記憶遺産」に登録されました。
市は、70年以上前に舞鶴港に引き揚げてきた日本人抑留者の、旧ソ連時代のウズベキスタン(平成3年独立、現在はウズベキスタン共和国)における実直で勤勉な仕事ぶりが「縁」となり、平成29(2017)年11月、同国の2020年東京オリンピック・パラリンピック競技大会の「ホストタウン」として、レスリングと柔道の2競技の事前合宿が決定しました。
アクセス:
《電車》JR京都駅から山陰本線、舞鶴線でJR西舞鶴駅まで約1時間40分(特急利用)
《車》京都から京都縦貫自動車道・舞鶴若狭自動車道で西舞鶴ICまで約100km
《高速バス》京都から直通で約1時間50分。大阪(梅田)から直通で約2時間10分。
人口:80,781人(平成31年1月1日現在の推計人口)
面積:342.12k㎡(平成29年4月1日現在)
市長:多々見良三(たたみ・りょうぞう)