一枚岩にならない温泉地
良い面も、悪い面も。時の経過とともに、時代は否が応でも前に進んでいきます。
岡山駅からバスで山道を揺られること4~5時間。私の住む湯原温泉は、岡山県北にある山奥の温泉地でした。しかし、高速道路ができてからは1時間半でたどり着けるようになり、日帰りもできるまでに交通の便が改善されています。
そんな湯原温泉ですが、往年の時代には狭い温泉街の中にお土産屋さんが14軒、飲食店やスナックが20軒という盛況ぶり。果てはストリップ小屋が12軒、芸者の置屋や検番が4軒あり、芸者さんの数もゆうに120人を超えていたといいます。
夕方になると旅館のお座敷に向かう芸者さんたちの艶姿が温泉街を彩り、「一坪の土地があれば一家四人が暮らしていける!」というほどもうかっていました。
しかし、今からおよそ50年前となる昭和47年をピークに、観光客数は減少の傾向を示すようになります。
にわかに「今はいいが20年後、30年後と未来は大丈夫なのか?」という危機感が街に影を落とす中、多かれ少なかれ、変革の機運は高まっていました。しかし、事はそう簡単にうまくはいきません。
みなさんの観光地も、観光関係者だけでなく、酒屋さん、お土産物屋さん、工務店、その他さまざまな業種の方がいらっしゃることでしょう。そうした方々全員を巻き込んで、街全体で同じ方向を向く。それが成せればさぞ素敵なことではございますが、利害関係や思惑、しがらみ。さまざまなものが邪魔をして一枚岩にはなり切れないのが実情でございます。
湯原を例に挙げるならば、昭和56年には旅行作家である野口冬人さんの「露天風呂番付」で湯原温泉が西の横綱に選抜され、温泉街が足並みをそろえるキッカケはありました。
しかし、すべてをひっくり返すには、それでもなお足らないのです。
しかし、一枚岩にはなり切れない。そう諦めてしまえる余裕は残されているのでしょうか。
現在の湯原の人口は、2428人。統計予測によれば今後、10年以内には今の56%に相当する1359人程度まで減少してしまう見込みです。その時、観光地としての「湯原温泉」は残っているでしょうか? 周りの商店は、残存しているでしょうか?
湯原だけでなく、いろんな地域が岐路に立たされていると言えます。若い方たちは可能性を求め、地元を離れて街に出て行ってしまいます。土地を守り、観光を盛り立てる私たちには何ができるでしょうか?