小正月行事「かまくら」で知られる秋田県横手市では2月15―16日の2日間、コロナ禍を経て3年ぶりに「雪まつり」が開催された。一部縮小はしたが、久しぶりに観光客でにぎわった。B級グルメ「横手やきそば」でも知られる街、最寄り駅のJR横手駅の発車メロディは「青い山脈」。同名映画の主題歌だが、観光客の中には「なぜこの駅でこの曲が?」と尋ねる人も少なくない。背景には、さまざまな人たちの「横手を元気にしたい」という願いが重なり合っていた。
メロディは2011年の秋、同年3月の東日本大震災の影響を受け、観光客が激減した街を「少しでも活気づけたい」と考えた市職員の大友幸憲さんの発案により採用された。原作は、作家の石坂洋次郎が戦後に手掛けた新聞連載小説で、地方の女子高を舞台に、偽ラブレターをめぐる男女交際の顛末(てんまつ)を描き、映画化されて大ヒットした。石坂は戦前、横手の高校で教鞭(きょうべん)をとっており、作品にはその経験を織り込み、記念館が市内にあるという縁があった。
メロディの制作は当時、中学生だった佐藤亮太さんで、すでにヤマハのエレクトーンのコンクールで入賞経験のある音楽少年だった。「青い山脈」のことは何も知らなかったが、エレクトーンでアレンジ。「短調の曲を、最後は長調の和音で終わらせて明るいイメージにしました」。この物語のように、どこか明日への希望を感じさせる仕上がりになっている。
「青い山脈」は過去5回、映画化されており、吉永さんは1963年公開の3回目に主演した。石坂は実の父のような存在で、結婚を周囲に反対された際には「味方になる」と応援してくれたという。記念館を訪ねたこともあり、応援するために、石坂と並んで撮影したスナップ写真(=筆者撮影)とサインを寄贈した。
石坂作品の多くはすでに絶版だ。だが「青い山脈」は女性がいじめや偏見を跳ね返し、力強く生きていこうとする様子も描かれている。吉永さんは楽しんで演じたといい、メロディは「中学生が一生懸命、演奏してくれたことがうれしいし、石坂先生を皆さんが知るきっかけになれば」と産経新聞の取材に語っている。
佐藤さんはその後、秋田大学を卒業、「地域医療に携わりたい」と看護師になった。現在は市内の総合病院に勤めながら、学生時代から取り組むNPO法人での音楽活動を続けている。このメロディをきっかけに声がかかることも多く、ライブでも演奏、特に高齢者に喜ばれているという。「病院でも演奏会を開きたいのですが、コロナ禍でなかなか実現できなくて。今年は何とかしたいです」。
「青い山脈」のメロディは、時代を超えて、「明日への希望」につながっていく。
※元産経新聞経済部記者、昭和女子大学現代ビジネス研究所研究員。「乗り鉄」から鉄道研究家への道を目指している。著書に「釣りキチ三平の夢 矢口高雄外伝」(世界文化社)など。